特集・1969年(第5回) ”ロック黄金の年”を25の動画で一挙紹介!
どうも。
では、今回はいよいよ、1969年のロック、これにスポットを当てましょう。
この年のロックの伝説として語られることが多いんですけど、まずは色々言う前に、ヒットチャートにおいてロックで何がこの当時流行っていたか。まず、これから見てみましょう。
まずはアメリカから。
若い人、目が点になっちゃうかもしれませんね(笑)。でも、彼ら、実際、アメリカのチャートですごく売れてた人です。アイアン・バタフライはこの年のアルバム年間1位、ステッペン・ウルフはこの前の年に売れた「ワイルドで行こう」が映画「イージー・ライダー」で使われ、この年は上の曲がトップ10ヒット、ブラス・ロックの先駆者BS&Tはこの年に3曲の全米トップ10ヒット、カナダのバンド、ゲス・フーはこの年に2曲の全米トップ10。翌年には「アメリカン・ウーマン」の大ヒットがあります。
イギリスに目を転じてみると
プログレ前夜ですね。まだこのころは「アートロック」と言われてたんじゃないかな。ジェスロ・タルとか、そこから派生したブロドウィン・ピッグ、ムーディ・ブルースといったバンドが、サイケデリック・ロックからジャズ、フォーク、ブルース、クラシックの要素を使ってロックを発展させようとしていた時期です。
ただ、ここまであげた人たちが、どちらかというと「リアルタイムで強かった印象」だと思うんですけど、今度は後年までの影響力まで見て選んでみましょう。
まずアメリカから。
アメリカからは、サイケデリック・ロックがこの2年くらい前からブームになっての反動か、テクノロジーとは対局を行くような、オールド・スタイルのルーツ・ミュージックを軸とした人たちが出てきます。上のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルはブルースやフォークを軸とした豪快・痛快なロックンロールで、この年、4曲の全米トップ10曲、さらに3枚のアルバムを大ヒットさせます。CCRってアメリカじゃ本当に影響力あるバンドで、ベスト盤が未だにビルボードのチャートでロングヒットを続けているくらい、「アメリカの心の歌」になってたりします。
あとザ・バンドは、この時期のボブ・ディランのバックバンドとして頭角を現したんですけど、こちらもブルース、フォークに加えて、ソウル、ゴスペル、ニューオーリンズのファンクなどの要素も加えた、より枯れた味わいのどっしりしたサウンドを聴かせますね。彼らも北米ルーツ・ロックの一つの大家ですね。
では、今度はイギリスで「これからの時代を作る」と熱かった人たちを見てみましょう。
やっぱり、このへんでしょうね。
キング・クリムゾンはこの年に「クリムゾン・キングの宮殿」でデビューしてます。
そしてエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの元ヤードバーズのリード・ギタリストのトリオですね。初代のクラプトンはこの年の前まで、ハードロックの元祖のクリームを大成功させた後に、この年にはスティーヴ・ウィンウッドとのブラインド・フェイスを結成。スーパーグループとしてこの当時ものすごく期待された割には短命で終わっています。ただ、そのあとのソロでの大成功は言うまでもないですよね。ジェフ・ベックは自身のグループを結成して、そのヴォーカリストとしてロッド・スチュワートと組んでいたりもしました。
ただ、なんと言ってもレッド・ツェッペリンですよ。この当時からロバート・プラントのハイトーン・ヴォイスとジョン・ボーナムのドラムはこの当時だと本当に基準外の破壊力だったと思うし、ペイジのリフとジョーンジーのアレンジ力。ここから時代を制していくことになるのは、この時期から次の時代の頂点を狙える力は十分あって型破りだと思いましたね。
そして、この時代に頂点を迎えたわけではありませんでしたが
のちにレッド・ツェッペリンと並ぶUKロックの大物たちですね。ピンク・フロイドは初期の中心メンバー、シド・バレットが抜け、ロジャー・ウォーターズとデイヴ・ギルモアの双頭バンドになり始めた時です。そしてボウイの方はこの年に「Space Oditty」の大ヒットで一躍注目され始めていた頃。さらに次の種はもうまかれていたのです。
で、ここまでいろいろ語ってやっとのウッドストックです!今年で開催50周年ですね。50周年記念フェスは、まだ健在だった主催者マイケル・ラングの手際の悪さもあって中止になってしまいましたけど、それでも1969年8月のヴァージョンが歴史的に持つ意義は変わりません。
その中から語り草になっているものをいくつか。
”ニュー・スター”ということで言えば、イギリスの高速ブルース・ロックバンドのテン・イヤーズ・アフター、そしてデビュー直前だったサンタナですね。前者はアルヴィン・リー、後者はカルロス・サンタナという新たなギター・ヒーローを生み出しました。上に書いた元ヤードバーズの三羽烏もそうですけど、このころはエレキギターの持つ重要性と奏法の進化がロックにとってとても重要な時代でもありました。
そして、ウッドストックの象徴的存在になったのがクロスビー・スティルス&ナッシュとスライ&ザ・ファミリー・ストーンですね。前者は、元バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ホリーズと、実績のある3人が集まって、これ確か、彼らの通算で2回目だかそんな感じのライブでしたけど、その抜群のハーモニーと柔軟な音楽性、そしてヒッピーの気持ちをつかむプロテスト・ソングで時代の代弁者になりましたね。そしてスライは、ロックとテクノロジーを飲み込んだサウンドと、白人に挑戦を叩きつけるようなメッセージ、人種混合の編成と、すべてで型破りですね。1967年にはオーティス・レディングがモンタレー・ポップ・フェスティバルでアウェーな中、白人オーディエンスの心をつかみましたが、ウッドストックではスライですね。
そして何と言っても、ザ・フーとジミ・ヘンドリックス。この当時の最強ライブ・アクトの2つですよ。ザ・フーはこの年の5月に名作「トミー」を出しての3ヶ月後のライブというのも貴重ですね。ジミヘンは、このウッドストックでのサイケデリックな「星条旗よ永遠なれ」からの「パープル・ヘイズ」ですよ。これもロック史の名場面ですね。
この2組、前述のモンタレー・ポップ・フェスティバルでも出演していて、フーがおなじみのギター・スマッシュやったら、ジミヘンはギターに火をつけて燃やしたことが伝説になってますが、ウッドストックでも記憶に残る名演をみせています。
ウッドストックは40万人を集める、この当時としては破格の動員で、最後の方はチケットのないお客さんが柵をよじ登って入場し、それが認められた、後、これだけの人が入って、大した事故の報告もなく平和に終わったことで「愛と平和の祭典」と語られるようにもなりました。まあ、この30周年記念イベントでは、レイプやら放火やらあって、「続編を作ることの代償」を思い切り払わされ、今回は中止というオチもありはするんですけど、まあ、それはそれです。
というかですね、69年の時点で、ウッドストックの夢というのは破れています。
この年の12月、カリフォルニアのオルタモント・スピードウェイで行われたフェスティバルで、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」の演奏中にですね、警備に当たった暴走族のヘルズ・エンジェルズがですね、観客の黒人青年を刺して殺してしまったんですね。
ストーンズは前年に「ベガーズ・バンケット」、この年の年末に「レット・イット・ブリード」と傑作を連発してたんですけど、この年の7月にはギタリストで器用なバイプレイヤーだったブライアン・ジョーンズがプールで遺体で発見されるなど、激動の一年でもありました。
そしてビートルズの活動最終年ですよ。「ゲット・バック・セッションズ」の失敗でバンドの亀裂が決定的になり、夏にはジョンがソロ活動、そして秋に、最後の力を託してのアルバム「アビー・ロード」の制作と発表。翌年4月のポールの脱退宣言で終止符を打つこととなりました。
・・ね?いろいろあったでしょ?この69年を把握するだけで、ロック史の多くは抑えられるものです。個人的には69年が「ロック最高の1年」と断定はしない(ビートルマニアの64年、サマー・オブ・ラヴの67年、パンクの77年、グランジの92年も重要だし、名盤の多さなら71、72年も捨て難い)んですけど、それでもやはり無視しては進めない年であることは事実です。
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