2022.10.02
約12年前に途絶えた、創作活動を再開します。
どうなるか、わからないし、
どこまでやれるのかも、わからない。
そして、こんなちっぽけな存在による決意表明なんて、何の意味もないだろうと思う。
それでも
「また歩き出せる」
という確信が生まれたことは、個人的に大きく、無視できない。
記録の意味で想いを綴る。
*
約12年前の9月最終週、神奈川県横浜市戸塚区のローカルラジオ局「FM戸塚」で担当していた
「TOtunes(トチューンズ)」
という番組が、静かに最終回を迎えた。
録音による放送の時間を、私は近所のスターバックスで迎える。
放送は聴いていない。
編集で何度も何度も聴いているから。
そしておそらく、1つの〝終わり〟を受け入れられなかったからーー。
時計が「放送終了」を告げる。
瞬時に生じたのは、
「もう、しばらく何も生み出せないな」
という感覚だ。説明できない。ただ、
「終わった」
という感触が目の前に、くっきりと存在した。
〝終わりの感覚〟が存在するなんて知らなかった。
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その約3ヵ月前、人生で最初に自分で結成し、
最も期待していた音楽ユニットが解散した。
ラジオ番組を持っている期間の最中に、である。
原因はあまり憶えていない。
週5で正社員として働きながら、番組は無給で担当していた忙しさからのすれ違いが積み重なり、決定的な決別に繋がったんだと思う。
個人的には、自分自身の横暴さや謙虚のなさ、パートナーへの思いやりに欠けていたことも大きいと思っている。
編曲時や録音時に、大事なパートナーを酷使したことも、きっと原因の1つだと、振り返る今なら分かる。
けれど当時は、アタマの中で鳴る音を現実に呼び起こすため必死だった。自分で動かせるのは鍵盤と音楽作成ソフト、そして声のみ。コンピュータで表現できないギターが鳴らしてくれる音は、かけがえのない存在だった。
「なぜオレが声で表現できる音を弦で表現できないの?」
もう会うことはないであろう元パートナーに、心から私の傲慢さをお詫びしたい。
***
ユニットを解散してからの約3ヵ月は、1人で番組を担当した。当時の編成局長・古賀さん(いまどこにいるのか。お元気だろうか..)と話し合った結果、当初の1区切りであった6ヵ月間、つまり9月までは続けることになったのだ。
そこから地獄のような日々が始まる。
会社員として働く日々は出張が多く、主要都市を中心に文字通り日本全国を飛び回った。ラジオ番組を編集するためMacを持参しながら出張する日々は、目が回るようだった。精神的にも肉体的にもギリギリだった。
1週間ごとに回ってくる放送まで、空いた時間はほとんど全て、番組のために費やした。企画を考え、あらかたの台本を作り、編曲し、時には作曲し、録音する。録音したデータを納品した日に飲む酒は、次週の企画を考える呼び水だった。文字通り全力を尽くした。全力よりも少しだけ上回ることはできないだろうかーー。そんなことばかりを考える日々だった。
それでも、番組の内容は胸を張れたものではなかったと思う。アーカイブが残る現代のギリギリ手前で担当していた番組なので、記録は、たぶん、ない。
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番組の終わりをスターバックスで迎えた時、どこかでプツンという音が鳴ったような気がした。きっと音なんて鳴っていない。それでも私には聞こえたのだ。「ここで終わりだよ」という音が。
そこから10年以上、およそ12年の間、オリジナルと呼べる歌詞付きの曲は1つも作れなかった。
なぜか?
音楽作成ソフトを開くたびに、眩暈と吐き気がしたからだ。ラジオが終わって2、3年は、まったくダメだった。きっとある種の病気だったんだと思う。
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実は数年前、発作のようにしてまとめた曲が1つだけある。ソフトウェアシンセサイザーによる打ち込みだけのインストゥルメンタル。
その日は不思議で、突然「できる」という感覚がカミナリのように私を打った。Macを開き、一心不乱に作業した。よく憶えていないのでどうしてそうなったかという推察もない。
ただ、吐き気も眩暈もなく、ほとんど一気に最後までアタマの中で鳴っている音をコンピュータ上に配置した。
数人にしか聴かせていないが、「面白い」と「よくわからない」の感想が半々くらいだった。でも個人的には当時の思考のカオスが反映されている感じがあるので面白く、今でも時折、聴いている。
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「そろそろ音楽が作れるかもな」
発作性インストゥルメンタルから数年。これを書いている1年くらい前だろうか、ある夜、お気に入りのBarでレコードの音楽を聴きながら、何かが戻ってきている感覚があった。嬉しくなり、泣けてきたことも憶えている。
しかしまだ「その時」ではなかった。
帰宅してMacを開くが何も聞こえない。
翌朝はMacを開く気さえなかった。
やはり、もうダメなんだろうか。
でも着実に戻ってきているのではないだろうか。
半信半疑が続く。
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次に近づいたのは、先日のNODAMAP。
まず、芝居を観に行く前の散歩で、色々な音が聞こえてくるのが分かった。鳥肌が立った。
久しぶりの感覚だった。鳥肌がさらなる鳥肌を呼ぶ。街の音、人々が話す音、自分の音、自分の心の音ーー。雑音の奥に見えるメロディの端切れが勇気に変わってゆく。
まだ完全ではない。でもその日は近いと思った。その心のまま、芝居を観に行けたのは最高に好運だった。観劇後の感動は別の投稿で記した通り。だが、それでもまだ何かが足りなかった。
なんだろう。
その後は忙殺の日々。
寝食のために働く手段に振り回されて身動きが取れず、芝居で心が全開になったことなんて思い出しもしなかった。
嵐が過ぎ去り、癒しを求めて、逃げるように奥入瀬へ行ってきた。
そして、時は熟した。
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感性が戻ってきていたところに、大自然による癒しで心身の疲れが消え、全てがいったんクリアになったからかもしれない。「準備が整ったよ」という感触がある。
〝はじまりの感覚〟だ。
そんなものがあるなんて知らなかった。
もう1度、歩き出そう。
何から始めるかは分からない。けれど、作曲を再開し、映像制作にも手を出すつもりだ。文章も書いていこうと思う。
力強く、とはいかないかもしれない。
それでも、一歩一歩、進んでいこう。
また歩きだせるという感覚が大事だ。
ここまで読んでくださったみなさんとは、どこかで私の作品を通じて、お会いするかもしれない。
面白いだろうか。
つまらないかもしれないね。
それでも、とにかく生み出すことを恐れず、研ぎ澄ましてきた自分のフィルターを信じようと思う。
どこかで見かけたら、優しくしてください。
どうぞよろしくお願いいたします。
自分の背中を押すために、書いた。
2022.10.03.
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