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ギベール共感できる

 幻のイマージュを読んでいる。
 よくあるような、血が流れるような痛々しさが描かれたものだと嫌だなと思いながら手にとったら、実際はとっても簡潔なものだった。堀江敏幸さん訳の文章がなせるわざなのか、それとももともと簡潔な人なのか。もともとの簡潔さが、壊されることなく訳されて、出会い、届けられている、と見たい。これはわたしの願望。
 
 日記というか連載されたエッセイみたいな短い作の連なり。ひとつひとつはショートショートのように短い。書かれてあることは難解に思われるかもしれないけど、必要以外の説明というか飾り立てみたいな文章が一切なくて、そこが簡潔に感じる。まだ途中だけど、手にすることが叶わない像みたいなのが色々登場してくる本のようだ。
 文章は簡潔だけど、内容は雲のようにもやもやしている。書くということによっていっそう手から離れていく、またそのことを狙ったようにも思える。”幻の“って、こういう意味か。
 そうして読み進めているうちに、何となく、心当たりあるような、親近感というか、共感できる感じを覚えている。シンパシーとは違う感じである。それは予想外だったので興味深くなってきた。引き続き、もうちょっと読んでみたい。眼差しの距離間合いの間隔が、丁度いいと思わせる。
 本の装丁がセンセーショナルな風合いなので、それだとちょっと誤解が起きそうでもう少し違うものにしたいと想像するけど、手に取らせる手に持って置きたいと思わせるためを思えば、この装丁は正解であって、だけれどもズレている。どうしたらいいのだろう、本の装丁は難しい。
 ところで、装丁が好きな本は沢山あるけれど、新潮文庫の豊饒の海シリーズ(いつの版のものかは今確認してないのでここに書けませんがすみません)は、内容とマッチしてて好きだった。プールは本当にいかしてる。
 話がギベールから逸れてしまった。そんなわけで、若き日のエルヴェ・ギベールに興味がわいているところです。若き日の、といっても、36歳で亡くなっているようだ。“36”というのはサイクルとしては納得できる。記録上亡くなった日にも縁を感じる。それらの事象は偶然並んだまでのことだけど、ついつい、こういうことは紐づけしたくなってしまう。

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