映画でイメージがしっくりきたクラシック音楽
クラシック音楽はわかりにくい。
やたらと長いし、何を表現しているのか聞いただけではわからない。
解説を読んでも難しいことが書かれていて、頭に入ってこない。
その通りです。
クラシック音楽はわかりにくくて嫌になってきますよね。
でもきっかけがあると何となくわかったような気になることもできます。
今回は音楽そのものを映像化したわけではないものの、音楽と映像が上手くマッチしていて、映像から受ける印象で大体の理解はできてしまうのではないかというものを3つご紹介します。
『ノウイング』(2009年)
『ノウイング』は2009年のアメリカ映画で内容はいわゆる「人類滅亡もの」です。
ジョンは独力で予言の内容を解き明かします。ですが人類滅亡を食い止めることはできません。
ただ一人息子を救うためにひたすら頑張る父親をニコラス・ケイジが好演しています。
その彼が孤独に頑張る場面で何度か流れるのがベートーヴェンの交響曲第7番の第二楽章です。
名指揮者バーンスタインが「これは音楽と呼べるでしょうか?」(もちろん反語的表現ですが)と言った、音の動きがほとんどない、リズムだけの、重々しい音楽。
ですがこの映画を見ると音楽の意味がわかるような気がします。
絶望的なほど辛いけど、黙って頑張らねばならない状況。
仕事、人生。人として、父としてやらねばならないこと…
ベートーヴェンがそうしたことを表現しようとしていたのかはわかりませんが、私たちが辛くてたまらない時、この音楽を思い浮かべることは決して間違ってはいないように思います。
ベートーヴェンは恋愛は成就せず、家族愛には恵まれず、音楽家の命ともいえる聴力すら失いました。
そんな彼が書いた重く苦しい音楽には、それでも頑張り続ける人間の姿が描かれているような気がするのです。
『八つ墓村』(2019年)
何度も映像化されている「金田一耕助もの」で、2019年にNHKが制作したTVドラマです。
このドラマの最初の場面、落ち武者狩りのシーンで流れるのがベルリオーズ作曲の『幻想交響曲』第一楽章です。
この音楽には元々作曲者によってストーリーが設けられています。
これはベルリオーズ自身が作曲当時ご執心だった女優ハリエット・スミスソンへの感情を音楽に表したものです。
ここでは情熱的な芸術家の妄想が描かれていますが、これが『八つ墓村』で使われると、少し違った意味合いを帯びてきます。
一言で言えばそれは醜い「執着」です。
田治見家初代が落ち武者狩りをしたときの懸賞金への執着。
要蔵の鶴子への執着。
小竹・小梅の家督への執着。
犯人・森美也子の情と欲への執着…
ドラマの最後は家督を失った小竹の首吊りの場面で終わりますが、ここでもこの音楽が流れます。
かくしてこのドラマで何かに執着した者は全て命を落としました。
ベルリオーズもまたハリエットとは別の女性との破局の時、相手や家族を巻き込んで無理心中しようと計画までしました。
NHK版『八つ墓村』は、現代ならストーカー殺人事件を起こしても不思議ではないくらいヤバい男ベルリオーズの音楽が最大限に生かされたドラマと言えるでしょう。
参考までにバーンスタイン指揮のライブ画像を添付します。
第一楽章は最初の13分間ほどです。
『メランコリア』(2011年)
『メランコリア』は2011年公開。独特なムードを持った、これまた「人類滅亡もの」のデンマーク映画です。
ですが、あらすじは意に介さなくてもいいです。
まずは添付の予告編を見てください。
この華麗な曲はドイツオペラの巨人ワーグナー作曲の楽劇『トリスタンとイゾルデ』第一幕の前奏曲です。
こちらは中世ブリテン島(今のイギリス)が舞台で、“許されぬ愛”(要は不倫)が男女の死で終わるという物語。
つまり映画『メランコリア』とは全く違うストーリーなのですが、この音楽が映画のムードと怖いくらい合っていて、音楽が主役かと思えるほどです。
この『トリスタンとイゾルデ』というオペラは物語の起伏が少なく、音楽がとても難解なので、私は長年苦手意識を持っていました。
ですがたまたま自宅近くの小さな映画館でこれが上映された時に何気なく見に行ったのですが、もうのっけから衝撃を受けてしまいました。
音楽にです。
映画のストーリーが始まってもいないうちからこの音楽がフルで流れます。(8分くらい)
その映像はこの曲のイメージビデオかと思えるくらい違和感がありません。次々に象徴的なイメージ画像が続きますが、それはぞっとするほど美しい“滅び”のイメージです。
前段で紹介したベルリオーズでさえこの前奏曲を聞いただけでは「この作曲家がこれで何をしようとしていたのか、いまだにほんの少しでさえもわからないということを、私は告白せねばなりません。」と言ったように、何を表現しているのか理解できません。
なぜなら音楽が具体的ではないからです。
ですがこの映画を見ると、音楽が何を表現しているのかが何となくわかるような気がしてきます。
いや、実は音楽が映画の主題を説明しているのでしょうか?
それは“滅びの美学”なのかもしれません。
『トリスタンとイゾルデ』の中で逢引きをする二人は夜の闇の中で歌います。
まさしく映画のイメージそのものです。
私は『トリスタンとイゾルデ』のあらすじは知っていましたが、この映画を見てこの素晴らしい音楽と映画の両方が表現していることを理解できたような気がしました。
ある一組の男女の満たされない愛情を表現した音楽が地球の破滅のイメージとリンクするなんて、なんて壮大なオペラなのでしょうか。
オペラ全曲鑑賞に挑戦される方は以下の字幕付き動画でどうぞ。
ただし4時間以上の大作ですが…
おっと、肝心の映画も紹介せねば。
映画全編はYouTube(有料)の他、各種メディアで見ることはできますので、ぜひご覧になってみてください。
これらの映画音楽は効果的だったと言えるか
今回紹介しました3つの映画やドラマに付けられた音楽はどれもBGMのために作られた音楽ではありません。
作曲家の意図は映像の内容とは当然関係ありません。
ですがその音楽を物語のイメージとして選んだ制作者は何らかの類似性を感じていたことは間違いありませんし、その選択は恐らく正解でした。
実はクチコミなどを見ると否定的な意見(イメージがマッチしないとか、退屈だったとか)も多いのですが、私はこれらの組み合わせは上手くいったと思います。
少なくとも私の中では音楽への新たな理解が生まれましたし、映像の内容にも筋書き以上の意味を感じることができたのです。
今回はここまでです。
映画も他のジャンルの表現とどこかでつながっているということがあるんですね。
別の記事では映画と文学がつながっている例も紹介しています。
こちらのぜひ読んでみてください。
それでは!
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