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上手くて当たり前、みんなが上手い時代において、ひとり目立つ存在になるには?


芸人はかつて

師匠のかばん持ちをしつつ
教えを請い、芸事を身につけました。

食の世界でも同様に、

弟子入りしてから数年、
もしくは十数年、

下処理、洗い場、掃除に
従事しながら技を習得。

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専門学校で
お寿司の握り方を教えてくれたり、

牛肉のさばき方を解説する
YouTubeを見て学べたり、

現代は誰でも手軽に
ショートカットできる時代なので、

厳しい修業のありがたみ
が薄れてきているように感じる。

スキルがかようにコモディティ化し、
努力次第で誰でも「うまくなる」ことが可能に。

写真のような絵を描く人なんて
山ほどいて、

スキルの耐久レースは
超がつくほど激戦区になりました。


つまり、

「うまくても勝てるのは数人」

という厳しい世界。

一昔前まで希少だったスキルが、
誰もが簡単に入手できるようになったことで、

「うまい」ことが差別化要因に
なり得なくなってきました。

スキルの価値はどんどん目減り。

だからこそ、
今こそ「センス」の価値

が見直されるべきではないか
と思ってます。

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■長年の修行

で培われた技術を持つ
職人たち。

彼らがずっと
ご飯を食べ続けられるには、

それなりの理由があって、
「センス」とはそういうものではないかと。

下積み時代の経験、
ムダに思えるような経験も含め、

うまくいったことや失敗したこと、

ようやく包丁を握らせてもらって
大けがをしたことなど。

板前という文脈において、
それぞれの職人が、さまざまな経験を積み、

それら経験の足し算と

師匠の言葉や書籍によるインプット
という変数が乗算されて

「センス」が形成される。


学校やYouTubeでは
身につきにくい経験という「引き出し

どの引き出しをあけて、
どのロジックを使うとうまくいく

という判断が
的確にできるのもセンスある人の特徴です。


だからこそ、

そういったセンスを持つ人の下で
一定期間学ぶことに意義があって、

よく「盗む」という言い回しがありますが、
「見破る」といってもいい。

センスある人の言動と、
その背後にある論理(なぜこの人はそうするのか)

を見破り、身につけることで
「引き出し能力」が向上し、センスに昇華して

晴れて憧れのカウンター
に立つことが許されるというプロセス。


このセンス磨き、疑似場数を踏むプロセス
をすっ飛ばして、

スキルでっかちの人が握るお寿司屋さん
が長期的に繁盛するかどうか。


筋トレ、走り込みと一緒で、
即効性はありませんが、

じわじわ効いてくる。

数年、十数年かかる人も
いるかもしれませんが、

経験の量と質、幅と深さ
に支えられたセンスは

その人固有の独自資源となり、
模倣困難性や希少性の源泉

になるはずです。


■大学で勉強している身

なのであまり
大きな声では言えませんが、

大学で経営学を勉強すればすぐ、
誰もが立派に経営ができるようになる

というわけではありません。

スポーツビジネスの専門学校で
1年、2年学べば、

専門用語が分かり、
現場の大変さを知って唖然とすることはあっても、

即スポーツクラブで
社長を務められるほど

一足飛びに
有能になるわけではありません。

スキルは身につけても
センスが伴わない人

大海原を航海する船のかじ取り
をまかせられることは極めて稀です。


長い長い、現場のあれやこれや
一切合切をつぶさに観察し、

背後にある論理
(なぜこうなるの?!)

を見破る活動をくり返すこと。


スポーツクラブに入社すれば
このセンス磨きはできるかもしれませんが、

大忙しで休みなしで
時間がいつも足りない業務の日々、

その合間をぬって

センスある人の言動を
じっくり観察することができるかどうか。

冷静に考えると
あまり現実的ではありません。

そういう意味では

いつでもどこでも、手軽に誰でも、
しかしながら質の高い(だから有料)

生々しいスポーツビジネスの現場を
疑似体験できるとなれば

それは結構、
希少性が高いと思っています。


■最近は

休まず告知していますが、
いいモノだからこそ、ということで。

興味のある方は参加してみてください。
(一か月無料キャンペーン中です)


本日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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