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本当に解決すべき「課題」を発見する


昨日は、

誰に何を
という価値の定義をすることなく

どのように

ばかり考えて経営する
部分合理性の陥穽について書いてみました。

サッカーだけではありませんが、

価値の定義があいまいで
何をしようとしているのかが分かりにくい

そんな企業を目にすることが
意外と多い。


企業が創造する価値
とはいった何なのでしょうか。

社会や人々にとって企業とは
いったいどんな存在なのでしょうか。

今日少し本質的な、

企業の存在意義

について
書いてみたいと思います。


■企業はなぜ存在するのか?

産業が勃興したそもそもの要因は、

社会や人々に
課題がたくさんあったからです。

現代は
課題がほとんどなくなった時代と言われ、

課題解決より課題発見の能力
にその希少性が認められていますが、

昭和の時代やそれ以前は、
解決すべき課題が山積。

だからこそ、

課題を解決できる企業や人に
莫大な富がもたらされました。

固い岩山を砕くために
鍬を使っていたその昔、

「人力の限界や疲労による生産性の低さ」
が発展を妨げる課題
でしたが、

パワーショベルが開発され
世界が変わりました。

「そんな怪しい機械に、
俺様の肉体に負けるわけがない!」

と息巻いて時代から取り残される、
常識にとらわれて動けない頑固おやじ

がいたかどうかは分かりませんが、

パワーショベルによって
それまでの課題が解消
されることになります。

そして同時期に、

ハイスペックな鍬を開発した企業や人は、
指をくわえてただ立ちすくむしかありませんでした。

パワーショベルがあるのに
鍬の性能をあげたところで

焼け石に水。
誰も振り向いてはくれません。


つまり企業とは、

社会に対して
課題の解決方法を提案し、

人々の受け入れられて初めて
その存在意義が認められる
ということ。

変化する時代を読み、

多くの人々が課題に気づく前から構想し、
形にして世に問うことで

新しい価値が
創造されることになります。


■スポーツクラブが提供する価値とは?

ではスポーツクラブという企業は、
どんな価値を提供する存在なのでしょうか。

いい試合をして勝利すること

・・・・・
・・・・
・・・
・・

だけではないですよね?


ところで「スポーツ」の語源って
皆さんご存知でしょうか?

「気晴らし」や「楽しみ」「遊ぶ」などを意味する「disport」が変化した言葉。「disport」は中期英語で、古代フランス語「desporter(気晴らしをする)」に由来する。

ネットには
こう書かれてありました。

スポーツの価値が

試合を観る、応援する、
勝利を喜ぶ

といった「試合」にあるということは
間違いではありませんが、

それら具体的事象の背後にある
人々の感情
に目を向けると、

日常的なストレス発散や
非日常における高揚感、

元気になること、人生への肯定感(生きててよかった)
といった身体の回復

が浮かび上がってきます。

私の知り合いで、
視力が低下してほとんど何も見えなかった人が、

スタジアムで興奮して、
翌日から視力が回復した

という方がいらっしゃいます。

イングランドのアーセナルは、

武器庫で働く労働者が、
日常のルーチンに飽き飽きして、

身体を動かして楽しんだことが
クラブ創設の源流にあります。


スポーツという概念を、
競技性だけにとらわれるのではなく

多面的にいろんな角度から、
その魅力や価値を見出して、

豊かな言語とイメージをもって、

人々との間に共感的理解を創造
することが大事なんだと思います。

つまるところ、

スポーツクラブは、
スポーツファンのものだけではない、

とも言えますね。


■誤った認識に左右されるクラブの価値

マスコミの影響もあると思います。

偶像化されたスター選手への共感
がスポーツの観戦動機。

そういう方(特に女性)を
たくさん知っています。

選手が移籍するたびに、
全国各地に赴いて選手に声援を送る。

それはそれですばらしいことであり、

選手自身も自尊心をかきたてられて
幸せだと思います。

ですが、その事象をそのままを
価値に据えていいものでしょうか


「降格」を悲劇的に報道する傾向
にも疑問を感じます。

寸暇を惜しんで仕事に従事する
強化部、監督やコーチ、スタッフやホペイロ、

そして日々激しいトレーニングを積み、

一般的な人間とはかけ離れた、
想像を絶する節制した生活を送る選手たち。

もちろん、
全国を回って声援を送るサポーター

彼らの、可処分時間をクラブに費やす
尋常ではないクラブ愛も忘れてはなりません。

しかしながら受け入れがたい不運によって
降格という結果に直面したとき、

報道の内容によっては
彼らの努力が否定されるような気がしてしまう。

(私だけでしょうか、、、?)

翌日もクラブは存続しますし、
翌日からまたあらたな歴史が刻まれます。

勝敗や残留、降格によって
クラブの価値そのものが上下するわけではありません。


そんな「誤った」価値観が、
スポーツクラブの絶対的な価値として、

試合内容や勝利、
そして選手の存在に焦点があたり、

人々、そしてクラブ内部のスタッフにも
「常識」として根付いていった可能性は否定できません。


価値の定義は
スポーツクラブ自ら意図をもってつくるもの

そして顧客とは結果です。

人々がかかえる課題を、
クラブを通してどのように解決できるのか。

多様な欲求や関心をもつ人々と
的確なコミュニケーション
をはかり、

スポーツクラブと

それを取り巻く社会全体が
豊かに発展していく

そんな世界が理想だと思っています。


※本稿は以下文献を参考にしました。
スポーツ・ファン・マネジメント
(早稲田大学スポーツナレッジ研究会)



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