見出し画像

「好き嫌い」と「良し悪し」

板挟み。両者の言い分をリスペクトするからこそ生じる葛藤です。一方の意見に同意する場合、一方の世界で生きているからこそ見える、分かる、理解できる機微、趣、感覚に依存します。だからこそ他方の反対意見が受け入れがたい。でも冷静に考えると、他方の側も、他方の世界観で意見を言っているので、彼らの中では理屈が通っています。つまりどちらも「正しい」のです。

好き嫌いの問題を良し悪しの問題で語る。言い争い、ケンカ、広くは戦争でも同じではないでしょうか。双方の、それぞれの価値観は誰にも侵されるべきではない、尊重されるべきものであるはずです。違いや多様性を認めることは、SDGsでも挙げられている、よりよい世界を目指す、誰一人として取り残さないことを希求する私たち人類の目標のひとつです。つまりお互いの「好き嫌い」を「良し悪し」で語ろうとするから葛藤が生じるわけで、その強制翻訳は不毛なケンカをもたらします。

りんごが好き。私はみかんが好き。あの人はイチゴ。本来は千差万別、好き嫌いであるはずの部分を無理やり良し悪しで斬ろうとしがち。あなたはりんごが好きなんですね。私はみかんが好きです。それでいいはずなのに、りんごのダメなところをあげて、みかんの素晴らしい部分を訴えるからおかしくなってしまう。「気持ちよく放置」する。「尊重するけど無関心」という心構えが大切な気がします。

ビジネスでも、売上とか企業価値で勝ち負けが外在的に決まってしまう。誰かが勝てば誰かが負ける。ですが個人的には、ビジネスの戦略を持って相互に差異をつくってその結果として、ひとつの業界で同時に複数の勝者があり得ると思っています。低価格で勝負する人もいれば、最高品質で戦う人もいる。お客さんの個別具体的ニーズに徹底的に答える戦略だって「正解」です。どれが正しいかを論じる必要はなく、お互いをリスペクトして切磋琢磨すればみんなが勝者になるはずです。

今日は何かと「議論」に巻き込まれ続けた一日。冷静に、第三者的に聞いていると、「よく考えればどちらも正解やん」という結論にいたりました。そしてお互いに好き嫌いを語っているにすぎない、ということも。さらに好き嫌いの問題を良し悪しのモノサシで図ろうとするから(お互いの溝をムリヤリ埋めようとするから)いつまで経っても議論の着地点が見えてきません。

違いを尊重する。多様性を受け入れる。ビジネスの本質は「違い」を作る営みです。自分(自社)がいかに独自性を担保できるかが、厳しい現代社会に適した生存戦略になるとあらためて思った次第です。

久保大輔

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?