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最後は自分の信念~自信を持って語れるほどの努力を日々行っているか?


人は必ず多数派に流れる。

自分自身に確信が持てないとき、
状況があいまいなとき、未知の場所にいるとき、

人は周囲の行動を
正しいものだと期待して、受け入れようとします。

集団思考の心理
数多くの書籍で説明されています。

現代社会はVUCAの時代。

変化が激しく、不確かで、
複雑であいまいな世の中では、

過去の経験や多くの知識が
相対的に低く見積もられるようになりました。

同時に
多様化したのは人びとの価値観。

多くの人が殺到する
ひとつの大きな物語は喪失しました。

あいまいであり、物語もなく、
拠りどころがなくなった今、

私たちは何を信じて意思決定をして、
生き抜いていくべきなのでしょうか。


■正解がAだと、

誰もがわかるような
簡単なテストを受けた10人の被験者。

うち9人はサクラで、
9人はわざと間違うように指示されていると、

残る一人はかなりの確率で
9人に流されるという結果になりました。


太古の昔、
地域社会のルールは絶大で、

ルールに従うことを拠りどころに
人々は生き長らえてきました。

長きにわたり培われてきたDNA
上記の実験結果をもたらしたのか?

ですが
時代の節目節目では

ルールに息苦しさをおぼえ、
疑問を抱き反旗をひるがえす若者が存在しました。

「泥船に乗るのはごめん」

とばかりに
既成概念にとらわれることを拒否。

大多数が信じる物語を否定することは、
嫌われること、自分だけが危険にさらされることを意味します。

集団思考につばを吐く行為。

言うまでもなく、
自分の意見が間違いで、

集団の意見が正しいという可能性
が残っています。

それでも若者が持ち続けたのは
自分を信じる、信念を貫く勇気。

サイコパス的な思考が
革命を起こし、

人々を豊かにしてきたこともまた
一面の事実です。


■創造性と不正行為。

この二つに関連性があることは
すでに多くの研究で証明されています。

慣習やルールを
所与のものとは考えず、

いつも疑問におもって
自分がしたいようにする傾向のある人。

ときに不正を犯してでも
自分の意思を通そうとする人は、

創造的思考に関する課題で
優れた結果を出すことがわかっています。

一般的な規則に制約されない、
ルールを破る人は、考え方が型破りで、

問題解決の方程式を使おうとしない傾向
が見られます。

他人にどう思われるかを気にすることなく、
多数派の意見に逆らう勇気
を持ち、

自分自身を貫いて、
やりたいこと、やるべきことをやり続ける。


好かれようとしない、
所属しようとしない、
同意を求めない、

多数派の論理に異を唱えることを
恐れない。


人は相対的に自由を志向しますが、
いざ自由を与えられると逆に恐怖を感じます。

ところがサイコパス的な性格の持ち主は、

自由に付随する葛藤を
ものともしません。

なので、
好かれていなくても尊敬されたり、

結果を出してしまうので、
冷酷であっても納得される傾向があります。


■結局、

今をいきる私たちは、
自分らしい人間になるために

思考し、行動をくり返し、
毎日自分の責任を向き合って、

その責任を真摯に果たしていくことが
大事なのではないでしょうか?

責任を果たすときに
必ず現れるかずかずの試練。

それを乗り越えることで
ゆるぎない自信が生まれます。

周囲の意見を拒絶し、
そのときに脳裏をよぎる不安

でもこの不安は自分の人生をとり戻すための
痛みです。

自分を信じて行動して、

周囲が失望したり、驚いたりしても、
それはシンプルに周囲、他者の感情にすぎません。

結局最後に決めるのは自分。

精気を失い、
環境の奴隷になって毎日を過ごすことを
よしとする人は多くないでしょう。

誰もが自分の人生を生きたいはず。

そしてそのためには、
自らの軸、自信を持って発信できる「あり方」を
確立するための、

絶え間ない日々の努力が必要
なんだと思ってます。


私はできているか?
自問自答の毎日、刻一刻です。

今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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