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子どもたちの「居場所」づくり


都内にあるボクシングジムへ。引退後にジムを設立、一方で全国を回って恵まれない子どもたちに会いに行きました。ボクシングを通して子どもたちに「安らぎ」を提供する。資料には子どもたちの笑顔がいっぱい。感動的な写真が並んでいました。

少子化が進む日本。ですが相対的貧困率は上昇しています。6人に1人の子どもが貧困。貧しい家庭で育った経験は、「意欲」を削がれるといいます。「あれほしい、これほしい」と訴えていた子どもはいつしか「どうせムリ」とあきらめるように。勉強したくても「かったるい、どうせバカだし」と無関心をよそおって、無気力が助長されていきます。

家では疲れ切った母親、最低限の食事、整頓するヒマがない寝室。学校に行けばピカピカの靴や洋服の同級生たちがいる一方で、自分は明らかに違う身なりに孤立感を抱きます。どこにも「逃げ場」がなく、それでもなんとか強がって、それがより一層孤立を深める

そんな子どもたちの「居場所」や「たまり場」としてジムは機能しています。ボクシングはある意味「手段」に過ぎません。ホッとできる場所、安心して過ごせる時間。上から目線で叱るのではなく、耳を傾け、感情に寄り添って、我慢強く接し続けることで信頼関係が生まれます。そこから子どもたちは「変わる」そうです。

昔は、近所のおっちゃんが私たち少年少女を注意してくれました。でも今はどうでしょう?親や先生以外の大人と接する機会は激減しました。「他人の子どもに話しかけないでください」という貼り紙を出すマンションがあるという。事故を未然に防ぐ対策なのかもしれません。人と人とのつながりはますます希薄化していきます。

ならばと会長は自ら出向きました。全国にある孤児院をまわって、ボクシングを教えながら、子どもたちに語りかけ、話しを聞きます。おそらく最初は「おそるおそる」だった子どもたちも、魔法をかけられたかのように会長の周りにあつまり、笑顔でまとわりつきます。「近所のおっちゃん」の代わり。親や先生以外の大人との時間は、予想以上に楽しかった!というのが偽らざる子どもたちの感想なのではないでしょうか?

ボクシングはあくまでも「手段」と先に書きました。私は「サッカー」で子どもたちを笑顔にしたい。会長に会いにきたのは、私が会いたい子どもの「居場所」を知っていると思ったから。実は日本では、「生活保護」の捕捉率が極端に低いんです。保護をうける資格がありながらも、「世間体」を気にして申請しない親たち。

ヨーロッパでは90%を超える一方、日本では十数パーセントしか国からの補助を受けません。「子育ては家庭の問題」という慣習が根強い日本ならではの現象。ですがそれが、貧しい子どもを「隠す」ことにつながっています。本当に必要としている子どもはどこにいるのか。プライバシーの保護を徹底しつつ、なんとかたどり着きたい一心で会長に訴えました。

貧困や教育問題については、しかるべき専門家やNPO法人で働く人たちが日々、懸命に努力をして課題解決を模索しています。そして私が企画しようとしているイベントは、それに比べれば雀の涙ほどでしかありません。だけど、芸人というネームバリューを活用して、メディアを通して世間に少しでも広まれば、という思い。

貧しい子どもがいる。こんな話をすると、海外の難民キャンプで苦しむ子どもを想起して、「日本は大丈夫」というリアクションが普通です。ですが、先にも述べた「他と比較した」貧困率(相対的貧困)は悪化の一途をたどり、貧困がさまざまな問題(意欲低下、学力低下、職種の限定、虐待、うつ)を複合的に引き起こす主因にも。

そんな現状をひとりでも多くの人に認知させるきっかけづくりとして。私だって何か役に立てるのでは?会社のアセットを利用して社会課題に一石を投じてみたいと思います。

久保大輔




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