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自意識過剰を取り払う方法

岡目八目

第三者の方が客観的に物事を見ることができるという意味です。いろんな本を読んだり、セミナーを受けたり、運動したり食事に気をつけたりと自分を律している。なんて自意識過剰になっているときに第三者から指摘を受けると「いやいや、そんなはずないでしょ。人並み以上に努力している自分に限ってそんな…」みたいなことを思ってしまいがちです。

「でもちょっと待てよ」

第三者からの指摘。それもちょっとネガティブな指摘を受けたということは、それが実は「本当の自分の姿」ではないでしょうか。自分がどれだけがんばっていると自負していようが、「相手が持っている印象が事実」です。それこそが現在の私の姿であると自覚した方がいいかもしれません。

こういった客観的な視点をもらって、自分を相対比させてくれる人、環境があることは大事なことだし、感謝すべきだと思っています。狭い世界に閉じこもり、井の中の蛙になってはいけないと自戒しているつもりでも、深く顧みると、確かに指摘されたような側面がないわけでもないと、落ち着いて考えれば気づかされます。

指摘されることは痛みを伴いますが、痛みを避けるように安住の世界で過ごしていれば、成長しているつもりでも客観的には何も変わっていないという悲しい現実に背を向けることになります。第三者の指摘、客観的な視点、素直な感想はお金を払ってでもいただく必要がある。今日はそんな感想を持った次第です。

曲がりなりにもコンサルという仕事をしている身として、「クライアントが見えていない世界を教えてあげて、思い込みを取り払う」ことこそが真の価値提供だと心得ているつもり。反対に自分自身が指摘を受けて、心の痛みをどのように解釈できるかという体験は、「何が真の価値なのか」を体感することにもなります。

結果を出せないとき、その責を他者に向けていないかどうか。自分の内面を含めて、積極的に他者の視点をもって無意識の囚われから開放され、新しい世界へ飛躍するきっかけを手に入れられるかもしれません。自分が持っている世界観に、ただただ外部の知識を詰め込んでくっつけているだけでは、大した成果につなげられないでしょう。

大学院での論文執筆。仕事との両立は確かにしんどい。そして一旦停滞してしまうとついつい、自責の念が薄れてしまう。他者からの指摘に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られますが、現状の姿を言語化してもらえることに幸せを感じ、受け入れて改善し、少しずつ前進していきたいと反省しているところです。

他人の打っている囲碁を側から見ている者は、対局者よりも八目も先の手が見える。傍観者は局面の全体を見渡す余裕があり、冷静な観察眼で的確な判断ができます。疑似ですが、noteを記しながら落ち着いて、傍観者目線で振り返ってみました。

久保大輔




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