周囲の目を気にして空気を読むより、あえて我が道をいくという生き方
「わざわざ学校で吸わなくても」
尾崎豊さんの「十五の夜」
にある歌詞をみたとある高校生の感想です。
「校舎の裏、煙草をふかして、見つかれば、逃げ場もない」
家で隠れて吸えば
怒られなくて済むじゃん。
至極まっとうな反応だと思いました。
ですが私たちの学生時代は、
学校や先生に対する反抗、
もっとかっこよく言えば社会的価値観に対する反動として、
学校で煙草を吸うことにこそ
意味があった、という見方もできます。
大人の論理を押しつけてくる
社会のプレッシャーに対する反発。
私たち世代の感受性は、
私たちの「外側」に向けられていました。
■ところが最近は、
その視線が「内側」に向けられている
と言われています。
多くの人たちは、
仲間との関係を最も大切にします。
自分たちの存在意義を
外側に発信するよりも、内側に訴えているそう。
人々のコミュニケーションが希薄化している
と専門家は危惧していますが、
むしろ繊細な気配りを伴った
高度なコミュニケーションを展開している
とも言われています。
そしてその背後には
「承認されたい」という欲求が見え隠れする。
自分という存在の確認と、
仲間からの絶対的な承認。
SNSや「あつ森」といった
ネット空間だけではなく、
リアルな場においても
「つながり」をキーにしたイベントが盛り上がっています。
ハロウィンやフェス、
スポーツもその範疇に入るのかもしれません。
現代社会は多様化して、
価値の相対化が起きて、
自らの考えや生き方が
いろんな角度から承認されたり否定されたり。
窮屈な日常の拠りどころとして
仲間との付き合いや承認が
重要視されるようになったのかもしれません。
■お風呂で
大好きな本を読むことがある私としては、
疲れをいやす大切な時間と場所を
入浴に求めていますが、
そんな時間が「不安でしかたない」
という人は少なくないといわれています。
スマホを介した「つながり」を
断絶してしまうお風呂の時間ほど
不安をあおられるものはない、
という理屈です。
スマホは社会的GPS
といわれています。
仲間との位置関係を
確認するための手段。
自分の周囲に張りめぐらされた
複数の他者からのメッセージを受けて、
どうふるまうべきかを慎重に判断して
自分の立ち位置を割り出すもの。
即レスできなかった自分が
仲間からどう思われているのか、
つい気になってしまうのでしょう。
そんな「一体感」はときに攻撃的となり、
空気を読めない誰かに牙をむいて、
それを契機として
周囲の目を伺いながら同調する周囲。
盛り上がり、止められなくなる。
ネットにまつわる諸問題の本質は、
こんなところにあるのかもしれません。
■仲間との関係性だけではなく、
仕事にいったりバイトにいったり、
スポーツを観戦したり、
その場その場で「生き抜く」ために
自分にウソをつくこともあるかもしれません。
人間関係が錯綜して、
葛藤があっても、
相手に応じて切り替える。
そこに「自己矛盾」が生じて、
悩んでしまうことがあるかもしれません。
アイデンティティが多元化する現代人。
社会が求めるのは、
場面に合わせて適切に感情をマネジメントできて、
状況にふさわしい対人関係を営む能力
なのかもしれません。
ビジネスパーソンが活躍するための
基本スキル。
場の空気を敏感に読み取って
迅速に対処できるような能力が、
いろんな局面で問われるようになって、
評価されるようになっている気がします。
■だからこそ、
とでもいいましょうか。
全員ではなくとも、少なくない人たちに
上述したような意識があるとするならば
あえて逆張りで、
個性を主張していくことが大切なときも
あると思っています。
最低限のコミュニケーション能力を
備えたうえで、アンテナを外側に向けて、
意外性に満ちた体験や、
異質な人と出会う体験を積み重ねて、
自己を相対化して
否定されたり非難されたりすることを
自ら求めて、向き合って、
生きる意味を求めていくべきではないかと。
むしろ人生の魅力の一部として、
葛藤や不安、孤独感を味わっていく。
そんな生き方を目指してみるのも
悪くないと思っています。
少なくとも私の周りには
いい意味で意識の高い人が多い。
そしてそんな環境が心地よく
日常的にコミュニケーションをとっている。
もし気になる方がいらっしゃいましたら
ぜひ連絡ください。
オンラインサロンもやってます。
よろしければ。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!
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