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より自由に、さらなる学びと成長を


知り合いが立て続けに大学院に進学。一人は新潟大学のドクター、もうひとりは京大のMBAです。リスペクトしてやまない二人。そしていずれも個人事業主であり、大きな成果を上げている。サラリーマンをしながらあくせくと大学院に通う私とは一味違う「自由」があります。

「自由とは自らに課す規律の中に存在する」
昨日紹介したアーセン・ヴェンゲルさんの著書に記された言葉です。サッカークラブを代表してクラブ理念を体現し、選手やサポーターの模範となるようなふるまい。自分を律し、むずかしい仕事に立ち向かい、つねに自分を超えんとする姿勢にこそ自由の源泉があるとヴェンゲルさんは語っています。

自由は与えられるものではなく、自分でつかむもの。そして「規律」が自由を生み出すんだと思う。進学する二人。内面からわきあがる知的好奇心を満たすべく学び直しをするわけですが、規律ただしく生き、しかるべき成果を残し、だからこそ得られた空き時間を有効活用できるようになったのです。自由は努力によってもたらされるもの。得られた自由に時間を投資して、さらなる成長をみすえる生き方は本当にすばらしい。

私も、私なりに「二刀流」をこなしてはいるものの、二人のような、本当の意味での「自由」を謳歌しているわけではありません。ちょっと窮屈。ですが知的好奇心を満たしたいという思いは強く、自分ができる範囲でもがいている感じ。エレガントさやスマートさは残念ながら感じられません。

でもそれでいいと思ってます。これが私の現在地。その先を行く二人の存在を間近に知ることができて、「モノサシ」を手にいれることができました。「あんな風になりたい」、そう思わせてくれる二人と、二人の行動に感謝。またひとつ、あたらしい目標ができました。より自由に、そしてもっと学びを。さらなる成長を。

また、自由には「責任」がともないます。自分でえらびとった自由。京大に進む方は、家族を東京に残して単身赴任です。その間、積極的には仕事をしない模様。ホテルを転々としながら、勉強と観光地巡りに費やすそうです。

うらやましいと思った瞬間「(今の)私にはできないな」と。蓄財はとぼしく、当面の稼ぎなしに家族を養えません。これからのことを考えると、2年間のブランクは超マイナス。ですが一方で、2年間のブランクが、学びや体験、創造性をかきたて、膨らませる充電期間になる。もちろん「責任」はすべて自身にありますが、その責任をカバーして余りあるメリットを享受できるはずです。

もっと学びたい。もっともっと自己投資をしたい。飲み会もいらないし、服もいらいない。ぜいたくはまったく興味ない。これからも規律正しく生きて行こうと思う。そしていつしか、学び溢れる自由を手にいれたいとあらためて誓いました。

久保大輔




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