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【宣戦布告】帰宅部から、部活至上主義者へのアンチテーゼ

このnoteは、高校時代の部活動に苦しんでいる生徒や、その経験を通して自分自身と向き合ったことがある人々、さらには学生たちを指導する教師の皆さんに読んでいただきたいです。私の経験を通じて、部活動の在り方や自分自身の選択について考えるきっかけになれば幸いです。

部活に対する葛藤

私は中学時代からバレーボールに打ち込んでいました。そのままの流れで、高校に入学しても男子バレーボール部に入部しました。最初は中学の延長戦のように思い、特に深く考えずに入部を決めたのです。しかし、高校の部活動は中学よりもさらに厳しく、土日も練習があり、自由な時間がほとんどありませんでした。

中学の頃は、部活が楽しくて仕方がありませんでした。仲間と一緒に汗を流し、試合に勝った時の喜びは何にも代えがたいものでした。しかし、高校に入ってからは、練習の厳しさや拘束時間の長さに次第に疲れを感じるようになりました。土日にまで練習があることで、友達と遊ぶ時間や家族と過ごす時間がほとんどなくなり、次第に「もうやめたい」という気持ちが心の中で大きくなっていきました。

土日を求めて

平日の練習はなんとか参加していたものの、土日はどうしても休みたくて、家でゴロゴロしたり友達と遊んだりしていました。部活のメンバーや顧問には黙っていましたが、心の中では罪悪感と解放感が入り混じっていました。

サボっている間は、最初は解放感でいっぱいでした。友達と遊びに行ったり、家でゆっくり過ごしたりする時間は、私にとって貴重なリフレッシュのひとときでした。しかし、心のどこかで「このままでいいのか?」という不安や罪悪感もありました。特に、部活のメンバーや顧問に対して嘘をついているという事実が、私の心に重くのしかかっていました。

サボりがばれた日

ある土曜日、私は友達と一緒にカフェでおしゃべりを楽しんでいました。バレーボールのことはすっかり忘れて、リラックスした時間を過ごしていました。その時、ふと視線を感じて振り向くと、そこには顧問の姿がありました。まさかの鉢合わせに心臓が一瞬止まったかのようでした。

顧問は、いつも厳しい表情のまま、ゆっくりと私たちのテーブルに近づいてきました。その瞬間、私は全身が冷たくなり、何か言い訳を考えようと必死になりましたが、言葉が出てきませんでした。友達も凍りついたように私を見つめ、場の空気は一気に重くなりました。

「お前、何してるんだ?」顧問の声は冷たく、鋭かったのを覚えています。

「すみません...ちょっと休みたくて...」私は小さな声で答えましたが、それがどれほど無力に響いたか、すぐに感じました。

その瞬間、全身が冷たくなり、心臓がバクバクと音を立てました。まるで時間が止まったかのように感じ、何を言えばいいのかわからず、ただ唖然としました。友達の視線も痛く感じられ、地面が開いて私を飲み込んでくれればいいのにと思うほどでした。

サボりがバレた翌日

その翌日の月曜日、私は何事もなかったかのように部活に参加しました。まるでサボりがばれたことなど全く気にしていないかのように振る舞い、淡々と練習をこなしました。周りのメンバーは私の行動に驚き、不思議そうな目で見ていましたが、私はただ無心でボールを追いかけていました。この行動は、まさにサイコパス的としか言いようがありません。

何も考えずに部活に参加しているように見えましたが、内心では混乱と恐怖でいっぱいでした。顧問やメンバーが何を考えているのか、次に何が起こるのか、不安で仕方がありませんでした。しかし、その不安を顔に出さないように努め、自分自身を無理やり平静に保っていました。これは一種の防衛機制だったのかもしれません。

そんな私も、その日を境に部活への気持ちが吹っ切れたのか、練習後に顧問に「辞めたい」と伝えました。顧問は驚き、そして失望の色を隠しきれませんでしたが、私の意思は固かったのです。

部活を辞めると決めた時、心の中には様々な感情が渦巻いていました。解放感と同時に、長年続けてきたバレーボールへの未練や仲間との絆を失うことへの不安もありました。しかし、それ以上に自分自身の時間を取り戻したいという強い思いがありました。この決断が正しいのかどうかは分かりませんでしたが、もう一度自分自身と向き合うためには、どうしても必要な決断だと思ったのです。

バスケットボール部顧問の登場

辞める決意を固めた私の前に現れたのは、バスケットボール部の顧問でした。彼は私のクラスの授業も担当していたため、何かしらのつながりがありました。その日、彼は放課後の体育館で私を呼び出しました。バスケットボールの練習が終わった後、薄暗い体育館の片隅に私を待っている彼の姿がありました。

「お前、ちょっと話があるんだ」と顧問は言い、私をベンチに座らせました。彼は真剣な表情で私を見つめ、静かに話し始めました。

「部活を辞めると聞いた。理由を聞かせてくれ。」

私は少し戸惑いながらも、自分の気持ちを正直に話しました。「正直、バレーボールに対する情熱が薄れてきていて、土日も練習があると他のことができないのが辛いんです。」

顧問は私の話を黙って聞いていましたが、次第にその表情が険しくなっていきました。「それが本当にお前の答えか?逃げているんじゃないのか?」

その言葉に、私は一瞬息を呑みました。「逃げている」と言われることが、私にとって一番嫌なことでした。しかし、顧問の言葉は続きます。

「逃げることは簡単だ。でも、ここで踏ん張らなければならない時もある。お前がやめると、他の部員にも影響が出る。やめるとがっかりだ。」

顧問の言葉は、まさに私の心に突き刺さりました。逃げていると思われたくない、がっかりされたくない、そんな気持ちが頭をよぎりました。しかし、同時に「自分のためにこの決断をしたんだ」という気持ちもありました。顧問の言葉に心が揺さぶられましたが、それでも自分の決意を曲げることはできませんでした。

「わかりました。でも、もう決めたことなんです。」私は静かに答えました。

顧問はしばらく黙って私を見つめていましたが、最後には大きなため息をついて「そうか」と一言だけ言いました。その表情には深い失望が浮かんでいました。

バスケットボール部の顧問は私に対して、部活動を続けるように熱心に指導しました。彼の言葉は確かに魂のこもったものでした。彼は自分の経験や部活動の大切さ、仲間との絆について語り、私にとってどれだけ重要な決断であるかを何度も強調しました。

「部活動は単なるスポーツではない。お前がここで学ぶことは、将来の人生に大きな影響を与えるんだ。」

彼の目は真剣で、その熱意はひしひしと伝わってきました。しかし、私の心には響きませんでした。結局、私はそのままバレーボール部を辞めました。

顧問の熱心な指導を受けながらも、私の心はどこか冷めていました。彼の言葉が届かないというより、届かせたくないという気持ちが強かったのかもしれません。自分の選択を正当化するために、意図的に彼の言葉を受け入れないようにしていたのです。この時点で、私はもう戻るつもりはありませんでした。

豹変する教員

驚いたことに、翌日からその教員は私を無視するようになりました。廊下ですれ違っても目を合わせず、話しかけても返事をしてくれなくなりました。この態度には呆れつつも、私は自分の選択を後悔することはありませんでした。

教員の態度が冷たくなったことに最初はショックを受けましたが、次第にそれもどうでもよくなりました。「結局、彼にとって私はただの一部員でしかなかったのだろう」と、自分を納得させることで、その冷たい態度も受け流すことができました。私にとって大事なのは、自分の選んだ道を進むことでした。

部活動至上主義への疑問

部活動は確かに大切な経験の一部ですが、それが全てではありません。特に、部活動至上主義の教員は、生徒一人ひとりの気持ちや個々の状況をもっと尊重するべきです。部活動が全てであるという考え方は、生徒にとって重荷になることが多いです。生徒が自分の意思で活動を選び、その決断を尊重することが、真の教育ではないでしょうか。

最後に

私の経験を通じて感じたことは、自分の気持ちに正直であることの大切さです。逃げることも時には必要な選択であり、それが次のステップにつながることもあります。部活動に限らず、自分自身の人生を自分で選び取る勇気を持つことが重要です。私はそう信じています。


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