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人生を変えた出逢い(その2)

皆さん、こんにちは!
Heading South代表の廣田千晶です。

これまでの人生を振り返ったとき、この出来事がなかったら今の自分はないだろうと思えることが、私には2つあります。前回はそのひとつとして、太っていることでいじめられ、コンプレックスを感じていた幼少期と、そんな私を変えてくれた中学時代の恩師との出逢いについてお話ししましたが、今回はもうひとつ、アメリカの大学へ進学したことについてお話をしたいと思います。

勉強も部活動もクラス活動も充実していた中学時代に対し、高校時代は、ひたすら勉強に追われていたように思います。比較的進学校だったこともあり、やたらとテストが多く、ほぼテストのために勉強をしていた記憶が残っています。

テストのために勉強するから、とかく詰め込み型の勉強になりがち(本質的な勉学の大切さに当時は気付けず、今はとても後悔していますが……)。結果として、「私は一体、何のために勉強しているのだろう?」と、鬱々とした気持ちが段々と募っていきました。

卒業後は多くの学生が東京や関西の大学へ進学し、これまでの鬱憤を晴らすべく遊ぶというのが常識になっていましたが、遊ぶことがゴールなのであれば、そのために詰め込み勉強をすることも、その先に高い授業料を払ってまで大学に行く必要もあるのだろうか、と思いを巡らせていました。しかしながら、周りもそれを目指して頑張っている中で、余計なことを考えると脱線してしまいそうだったので、みんなと同じレールに乗ろうと、東京の大学進学を目指して必死に前を向こうとしていたように思います。


高3の春、そんな鬱々とした思いを隠しながら過ごしていた私のマインドを一変させる出来事が起きます。

私の3歳上の兄の同級生がアメリカの大学に進学されたことをたまたま知る機会がありました。私の高校の先輩だったこともあり、休暇で一時帰国されるタイミングでお会いできることになったのです。

幼少期からファッションが大好きだった私は、将来は洋服のバイヤーになりたいと漠然と考えていました。バイヤーに英語は必須。英語をきちんと学びたいと思っていたため、東京の大学進学後に、休学か交換留学などで語学留学を考えていました。もちろん、確固たる意志はなく、何となく程度の軽い思いでした。

時間を作ってくださった兄の同級生に私の思いを伝えたところ、「語学はあくまでコミュニケーションの手段であり、それを学びに留学するだなんてもったいない!」とピシャリ。

英語を使って、別のことを学んだ方が有効だという彼女の主張は、私にとっては、まさに目から鱗でした。雷に打たれたような衝撃が走ったことを今でも覚えています。

おそらく、それまでの私にとって「英語」はあくまで学習教科科目のひとつであり、コミュニケーションの手段という、本来の役割や学習の目的を認識できないまま受験のための勉強をしていたんだろうと思います。

彼女の言葉を受けて、「確かに、コミュニケーションの手段である語学だけを学びに行くのは勿体無いのかも……」とすっかり合点が行った私は、ほぼ即日、アメリカの大学に進学することを心に決めたのでした。


新しい目標ができ、ワクワクしながら、米国大学進学のための勉強と準備に切り替えようとしていた矢先、目の前に壁が立ちはだかります。先生方の猛反対です。

担任の先生との進路面談で米国大学への進学の意向を伝えたところ、早速、学年主任から呼び出しを受けました。

公立高校だったこともあり、学年主任は、私立大学を「死立」と黒板に書くほど、国公立大学の合格者数にひときわの拘りを持っていました。そんな先生にとっては、私立大学希望でも許されず、ましてや米国大学なんて論外です。開口一番、「お前がもしアメリカの大学に行ったら、お前の人生はロクなものにならない」と先生は言い切りました。

もともと、先生たちは、生徒のその先の人生よりも国公立大学の合格者数の方が重要なんじゃないかとの疑念を抱いていた私は、この言葉に憤慨し、「先生に私の人生を決められたくない!」と啖呵を切りました。
結局、何度かの面談の後、(今思えばワケが分かりませんが)国公立大学の合格を条件に、渋々了承を得られたのでした。

私にとっては、理不尽極まりないと腹の虫が治まらなかった一件でしたが、実は、この出来事が、後に窮地に立たされる私に力を与えてくれることになるのです……。

<<つづく>>

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