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戦線の拡大が懸念されるガザ情勢

ガザ情勢については前記事ご参照→「激化するガザ情勢」2023年10月15日

10月7日から始まったパレスチナのガザ地区でのイスラエルとハマースとの軍事的応酬は、10月19日現在、イスラエル側の死者数が1,400人超、ガザ側の死者数が3,500人以上となっており、イスラエルによる空爆の継続、あるいは地上戦が開始されれば、さらに被害は拡大していくものと見られる。

ガザ情勢の展望は地域を超えて国際社会の最大の関心事となっており、戦闘の停止や人道支援の実施は喫緊の課題となっているが、同時に、戦線が周辺地域に拡大していかないかも大きな懸念となっている。

ハマースとの距離を置くパレスチナ政府と地域諸国の立場

国際的にパレスチナ人の代表として承認されているパレスチナ政府(Palestinian National Authority; PA)は、138カ国の国連加盟国から国家として承認されているパレスチナ(State of Palestine)を統治する唯一かつ正当な政府機構である。そのパレスチナ政府を主導しているのは、パレスチナ解放機構(Palestine Liberation Organization; PLO)であり、PLO内の主流派がファタハである。パレスチナ政府はヨルダン川西岸とガザ地区を統治することになっているが、2006年の選挙でファタハがハマースに敗北し、その後ハマース主導の政権運営が行き詰まったことで、2007年にハマースがガザを武力で制圧し、実効支配を確立するに至った。そのため、ヨルダン川西岸のパレスチナ政府(≒PLO≒ファタハ)とハマースは対立関係にあった。

従って、10月7日にハマースがイスラエルへの攻撃を仕掛けた際も、パレスチナ人の唯一かつ正当な代表であると自認するパレスチナ政府としては、ハマースの行動を支持したわけでも承認したわけでもなかった。一方、ガザに置かれているパレスチナ人の苦境やそれに同情を寄せる人々の心情に配慮して、ハマースの行動を非難するどころか擁護する姿勢を示したのは事実である。10月7日の声明では、「入植者や占領軍のテロリズムから身を守るパレスチナ人の権利を強調」し、入植者や占領軍に対抗するために必要なものを提供することを指示している。

もっとも、一時的にハマース寄りの姿勢を見せたとはいえ、パレスチナ政府、より正確に言えばファタハにハマースと連帯してイスラエルに対する攻撃を開始するという発想はなかったはずだ。パレスチナ政府にとってハマースがガザ地区を不当に支配する非合法勢力であるという事実は変わっておらず、仮にハマースが今回の攻撃でパレスチナ人や地域諸国からの支持を集めるようなことになれば、戦後、ファタハはパレスチナ統治が困難になる。今回の衝突はあくまでイスラエルとハマースとの間の対立であり、全パレスチナ人との間のものではない、という整理にしておくことは、ファタハにとって死活的な問題である。パレスチナのアッバース大統領(PLOとファタハの議長を兼務)がベネズエラのマドゥロ大統領との電話会談において、「パレスチナ解放機構の政策、計画、決定がパレスチナ人民の唯一かつ正当な代表であり、他のいかなる組織の政策でもない」と述べたのは、パレスチナ政府の従来の立場を表明したに過ぎないが、わざわざ言及したことには相応の意味があると取って良いだろう。

パレスチナ政府がハマースと連帯していない以上、同政府を正統政府と見なす地域諸国は、ガザへの軍事攻撃を行うイスラエルに対して集団的自衛権を発動する正当な理由がない。可能なことは、ガザへの人道支援を実施したり、秘密裏に軍事支援を行うことだろうが、ガザ封鎖が継続されている以上、そうした支援の実施も非現実的だ。

ヨルダン川西岸でも、10月7日の開戦以来、イスラエルの治安部隊とパレスチナ人の衝突が発生しており、69人の死者が出ている(10月19日現在)。規模としては散発的なものであり、組織的な攻撃がイスラエルに対して行われているとは言い難い。ヨルダン川西岸にもハマースやイスラーム聖戦(Palestine Islamic Jihad Movement; PIJ)の構成員等が武装勢力として存在しているものの、ガザ地区と比べると規模は小さく、新たな戦端を開ける程の勢力ではない。

「抵抗の枢軸」の先兵であるヒズブッラーとイランの思惑

パレスチナ政府が「参戦」していない以上、イスラエルが地域諸国から宣戦布告を受ける可能性はほぼない。しかし、非国家武装勢力であれば話は別である。ハマースと連帯してイスラエルとの戦端を開く可能性が最も高い存在が、レバノンのヒズブッラーであることは衆目の一致するところだろう。

ヒズブッラーはレバノンにおいて合法的に政治に参画する政治組織であると同時に、自派独自の軍事力を持つ武装勢力としての顔を持つ。宗派・党派によって分断されているレバノンは強力な中央集権体制を執ることができず、それぞれの政治勢力が自前の軍事力を持つ、極めて分権的な政治状況にあり、ヒズブッラーもその例外ではない。イスラーム教シーア派を信奉するレバノン国民を支持基盤とするヒズブッラーは、組織設立においてイランからの支援を受けたこともあり、今日に至るまでレバノンにおけるイランの代理勢力とも見られてきた。

ヒズブッラーは1980年代のレバノン内戦でイスラエルに対する抵抗運動が生まれた組織であり、党是としてイスラエルの殲滅を掲げている。同時期に設立されたハマースとは、イスラエルという同じ敵を持つことから、「抵抗の枢軸(Axis of Resistance)」として長年に渡って深い協力関係にあった。一方の勢力がイスラエルと衝突した際に、もう一方がそれに呼応してイスラエルへの攻撃を仕掛けるという事例も過去に何度も見られている。

今回のガザ戦争においても、ヒズブッラーはハマースによる軍事作戦を称賛し、連帯する姿勢をいち早く示した。開戦翌日の10月8日にヒズブッラーはイスラエルが占領するシェバー・ファームズに向けてロケット砲による攻撃を行っている。その後もイスラエル軍・ヒズブッラー間での攻撃の応酬が続いており、10月19日時点でヒズブッラー側に20人程度の死者が、イスラエル側に6人の死者が出ている模様である。

もっとも、ヒズブッラーが持つ軍事力を考慮すると、ヒズブッラーはかなり自制的な対応をしていると言える。兵力は2万人程度でロケット砲やミサイルなどの装備しか持たないハマースに対し、ヒズブッラーは4-5万人の戦闘員に加え、戦車すら保有する近代軍に近い装備の充実ぶりであり、イスラエル軍とも戦闘を行える力を有している。ヒズブッラーがイスラエルへの攻撃を開始してから既に10日以上が経過しているが、双方の被害が軽微なのは、ヒズブッラーの攻撃が限定的なものに留まっているからに他ならない。

ヒズブッラーが自制的な行動に努めているのは、もしヒズブッラーが本格的な戦端を開けば、それはヒズブッラーの後援であるイランも現下の情勢に巻き込まれることがほぼ確定するからであろう。ハマースがイスラエルに対する攻撃を開始した際も、その背後にイランの指示や関与があったのではないかと推測する声が上がったが、イランとハマースとの関係性を考えるとその可能性は薄く、またイランの指示や関与があったと決定づける証拠も出てきていない。しかし、イランとヒズブッラーとの関係はハマースとの関係よりもはるかに深く、ヒズブッラーの政治的な決断にイランの了解がないことはほとんど考えられない。

従って、ヒズブッラーの参戦可能性はイランの意向次第となるが、現時点でイランには積極的に戦線を拡大させるメリットが乏しいように思える。

第一に、ガザ情勢は激化しているが、イスラエル側の軍事的な被害は限定的であり、仮にイスラエル北部でヒズブッラーに戦端を開かせたとしても、イスラエルに致命的な被害を与えることも、それによってイランが利する状況になることも考え難い。イスラエルにとってヒズブッラーは最も重要な味方勢力であり、それを勝算のない戦線で無暗に損耗させることは合理的ではない。イランは、シリアでアサド政権が打倒されそうになった際にヒズブッラーにシリア内戦へ介入させたが、これはアサド政権を助けることがイラクからレバノンに至る「抵抗の枢軸」勢力の協力の要になるという戦略的な判断があったからに他ならない。ハマースは対イスラエル戦線では同志であったものの、シリア内戦ではシリア国内のムスリム同胞団勢力に連帯して反アサド政権の立場を取ったことがあり、イランにとってハマースの政治的重要性は高くない。

第二に、イランを取り巻く国際情勢は近年改善に向かっており、冒険主義的な軍事手段をあえて取る必要がない。米国の核合意離脱より、核開発を再開させたことで国際社会からの制裁も復活したイランであるが、米中対立が深まっていく中、中国とイランの関係は以前にも増して進展している。制裁復活後、2020年のイランの原油輸出量は日量40万バレルと大きく下がったが、その後中国が米国の制裁を無視してイラン産原油の輸入を増やすようになり、2023年8月には日量150万バレルまで輸出量が回復してきている。また、ウクライナ侵攻により欧米諸国との関係が断絶したロシアは、イランからのドローン輸入等、軍事関係を深めている。さらにサウジアラビアとの国交正常化BRICSへの正式加盟も果たしたイランは、国際的な孤立から解消されつつあるところであり、今イスラエルとの紛争に巻き込まれることは、これらの外交的・経済的な成果を無にしかねないことになる。

イランとしては、同じ「抵抗の枢軸」の仲間であるハマースへの政治的な支持は継続していくものの、その先兵たるヒズブッラーを戦線に投入することはないのではないか。むしろ、イスラエルによるガザ攻撃で非人道的な問題が起きれば起きる程、イスラエルを批判する世論が高まり、イスラエルに厳しい態度で臨んできたイランの名声が高まるという目算から、紛争とは一定の距離を保ち続けるように思われる。

ベイルート訪問中にハマースやPIJの幹部と会談するイランのアブドゥルラヒヤーン外相
出所:イラン外務省

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