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世界はつながっているー 弱い立場に追いやられている人たちほど、社会や経済の仕組みを知り、仲間と手を合わせて立ち向かい、そのシステムを越えるものをつくる必要がある ④

資本主義と民主主義は本質的に敵対関係 ーマジョリティーである貧しい人々が統治するのが民主主義で、お金をもっていればいるほど決定権をもつのが資本主義

資本主義のはじまりは、で書きましたが、現時点で、経済的に強い国(西ヨーロッパやアメリカ、カナダ、オーストラリアや日本)で育つと、資本主義と民主主義が必ずセットであるような感覚をもつかもしれません。
実際は、資本主義は経済の領域にあり、民主主義は政治の領域にあるもので、北欧の国々やヨーロッパの多くの国々(イギリスを除く)のように、資本主義と民主主義と社会主義も取り入れた混合した仕組を取っている国々もあります。
共産主義は、資本主義に真っ向から反対するもので、共産主義と資本主義は共存できませんが、資本主義と社会主義は共存可能です。

ギリシャ人経済学者でアクティヴィストであるYanis Varoufakis(ヤニス・ヴァルファキス)さんのドキュメンタリー映画、「In The Eye Of The Storm」の中で、そもそも、資本主義と民主主義は、自然な敵同士(=本質的に衝突する)だとしています。

民主主義をどう定義するか、ということにも専門家の中でも意見はさまざまです。
今回は、ヤニスさんの見解を参考としながらみていきますが、自分で調べて他の専門家やほかの人々の意見も参考にしながら、自分自身の意見をつくっていくことを忘れないようにしましょう。

民主主義の始まりとされている古代ギリシャの政治の仕組では、奴隷階級や家の所有権をもたない人々は投票する権利を与えられていなかったので、すべての「民」ではなかったものの、現代では、民主主義と定義されている国々では、財産の有無や性別やほかの属性に関わらず、一人一人が一票もっています。
古代ギリシャの哲学家アリストテレスの「民主主義」の定義は、以下だったそうです。

「貧しい人々が統治するのが、民主主義のシステムです。
なぜなら、本質的に、貧しい人々がマジョリティーだからです。」

これに対して、資本主義は、すべてにおいて、力(権力や金力、コネクション力等)であり、お金がものをいいます。
お金をもっていればいるほど、さまざまな決定権がより増え、お金を持っている人ほど決定に影響を及ぼすこととなります。
これは民主主義の基本である、「誰でも一人一票」とは反対です。
この力には、人々や資源を搾取・搾り取る力、ほかの人々をその人たちの意思に逆らって、あなたの言う通りにさせる力も含みます。

ヤヌスさんは、資本主義の父といわれる、Adam Smith(アダム・スミス)が思い描いた「資本主義」は1870年代、1880年代に死に、既に存在しないとしています。

アダム・スミスが思い描いていた資本主義は、家族経営の小さな店(肉屋や青果店)が市場でやりとりをしている形態で、現在のモノポリー(独占・専売企業)やオリゴポリー(少数の売り手・供給者が市場を支配)のことは全く想定していませんでした。
もちろん、カルテル(競争を避けるために価格や生産計画などに関する協定のことで、多くの国では、不当な取引制限として禁止されている)も、論外です。
現在は、既に上記のモノポリー、オリゴポリー、カルテルは、全世界単位で起こっています。

例えば、ヨーロッパや中東では欠かせない小麦については、世界の9割の小麦トレードは、グローバル大企業の3社で行われています。
アフリカのマラウイでは、干ばつがあり、5人のうち1人は最低限の栄養が取れていない状態が続いているそうです。
これは、自然現象というより、man made disaster(マン・メイド・ディザスター/人為的災害)で、この地球温暖化に寄与していないアフリカの農業を行う人々や普通の人々が、先進諸国の人々が引き起こした地球温暖化のツケを最大に払い、かつ、この干ばつが与えた影響の大きさには、肥料会社のカルテルが大きく関与しています。
Al Jazeera(アルジャジーラ)のポッドキャストに出演していたCarin Small(カリン・スモール)さんは、肥料会社のカルテルのせいで、マラウイの農耕者たちは、通常の価格の3倍の肥料価格となったため、多くの人々は肥料を買えず、その上に干ばつがやってきて、干ばつの影響はさらに深刻なものとなりました。
肥料会社は数社で市場のほぼすべてを占めており、この価格に抵抗して、ほかのもっと安い企業から買うということは物理的に不可能です。なぜなら、このグローバルな肥料企業の競争相手は存在しないからです。
また、現在のところ、国際的なカルテルを罰して解体する有効な仕組みはありません。
マラウイの人々も苦しみますが、マラウイの周辺の国々でも干ばつが起こり、結果的にこれらの地域からの輸出を多くしている地域も、特定の食料の不足や、価格の高騰にあうこととなります。

アダム・スミスの論理では、「欲深く自分のことしか考えない個人が、最大の利益を求めてビジネスを行うことは、欲深さが抑制されコントロールされている限り、競争を通して、市場という奇跡によってー神の見えざる手により欲深さが善に変換するようにー結果的に社会にとって良いサービスやものを生み出す」ですが、実際には、欲深さは、全くコントロールされていないし、競争がないのも、明らかです。
肥料会社にしてみれば、利益を出すことが一番の目的で、そのために多くの人々が飢餓で苦しんだりすることは、自分たちには関係ない、という態度でしょう。
これは、人々にとっても、社会にとっても地球にとっても、悪いことです。

また、資本主義の原理からいうと、経済活動は、お金儲けができる領域に向かいますが、お金儲けができる領域と、地球上の大多数の人々が必要とする領域は、必ずしも一致するわけではありません。
これは、ネオリベラリズムの台頭(1980年代以降により強くなり、今は多くの先進国で主流)に伴って、肥大化したFinancialisation(ファイナンシャライゼィション/金融化)にも言えることで、ここで生み出された富は、実際のマジョリティーの人々や社会には全く貢献しておらず、それでも金儲けができる領域(実際には、未来からの借金で成り立っている)なので、多くの能力をもった人々が無駄に彼らの時間や力を使うことになっている、とヤヌスさんは言っています。

このネオリベラリズムの詳細については、別の回で話しますが、このイデオロギーを推し進めたFriedrich Hayek(フリードリヒ・ハイエク)はノーベル賞も受賞している経済学者ですが、彼の論理は当時のStatus Quo(ステータス・クォ/体制=大企業や富豪)に都合のよい考えだったからノーベル賞を与えられたとみられており、このネオリベラリズムが直接施行された地域(例/軍事クーデーター後のチリやアルゼンチン)では、その国の自然資源は西側諸国、特にアメリカ企業に搾取され、環境破壊は進み、大部分の人々を極端に貧しくし、一部の金持ちや権威に富が集中・蓄積されたことで知られています。
普通に考えれば、大失敗であり、絶対に機能しないイデオロギー、経済のありかたでありながら、民主主義を嫌い、自分たち裕福層だけが好きなように世界を支配したい人々は、シンクタンクや大学、メディア、政治家をつかい、このイデオロギーを手を変え品を変え、このやり方が一番で、これしかない、と地球上の多くの人々を信じ込ませることに成功しています。

私たちには、真実を見抜き、よりよいシステムを作ることが可能です。
そのためには、権威のある人の言うことを盲目的に信じるのではなく、自分で調べ、考え、周りの人々とも議論し、自分の考え方をつくっていくことが必要です。
正式な教育(例/学校教育、大学等)と、実際に考える力というのは比例していません。
多くの本や情報を深く広く読み、外に出てさまざまな経験をしたり、考えることをやめない人々は、正式な教育がなくても、筋肉のように考える力が日々鍛えられています
逆にいわゆる詰め込み教育で、いわゆるいい大学に行ったとしても、自分の周りの半径1メートルぐらいにしか興味がない生活をしていれば、考える力はほぼなくなります。

イギリスを除くヨーロッパの国々は、大多数が大学も無料です。
日本のように、教育も病院システムもネオリベラリズムが行きわたり、「人」が、お金儲けのための「消費者・道具」となっている世界では、どういう家庭に生まれたかという偶然だけで、教育を受けられる機会が大きく左右されます
アメリカも多くが日本のように私立大学(ヨーロッパはほぼ全て国立大学)で、アメリカの大学の歴史学教授をしているRudolph Ware(ルドルフ・ウェア)さんは、貧しい地域からの混血児(白人の母と黒人の父)で、たまたま野球ができて野球推薦で大学へ進み、博士課程も終えた話をポッドキャストで聞きましたが、自分が育った貧しい地域には、自分よりもずっと頭の良い子がたくさんいけど、大学へ行くお金も手段もないし、それを考えることすらしないだろう、と言っていました。彼も、たまたま野球ができただけで、それがなければ、大学へも進学できていないし、教授にもならず、社会にとっても彼の才能は生かされなかったでしょう。
日本やアメリカのような社会では、実際に才能のある多くの人々が自分たちの才能を開花できず、それは社会にとっても失っているものが大きいことになります。

日本だと、正式な教育を受けていることと知性が比例しているように思い込んでいる傾向が強いと感じますが、それは事実ではありません。
正式な教育を受ける環境になかった人たちの中には、多くの才能をもった人たちがいます。
その人たちは、自分の力を信じて、考えることをやめないことが大切です。

自分で考え続け、真実を見る眼を養った人々が増えれば、社会は、もっとよい場所になり、かつ民主主義が強まり、この歪んだシステムを壊し、新たなよいシステムを作る日が早まるでしょう。

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