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いじめの偶然のターゲットになったときー ケィティーさん(ウェールズ出身コメディアン・俳優・作家)の回想録から

コメディアンでアクター、作家でもあるウェールズ出身のKaty Wix(ケィティー・ウィックス)さんは、14歳のときに親友だと思っていた人から、ひどいいじめを受けたそうです。
ちなみに、ウェールズ国は、The United Kingdom(イギリス、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの連合4か国)の一国で、公用語は英語とウェールズ語(英語とは全く違うことば)です。
関連する記事は、イギリスの独立系新聞ガーディアン紙のここより読めます。

20年以上たった、ある日、ケィティーさんは、短いテキストメッセージを受け取ります。
そこには、「ごめんなさい。私は嫌な女でした。許してくれますか」とありました。

ケィティーさんは、どう対応したのでしょうか?

ケィティーさんは、今ではさまざまなドラマにも出演し、著作も何冊か出版し、外側からは、成功しているように見えます。
国営放送BBCの長寿コメディー・ドラマ番組「Not Going Out」では、主役2人のうちの女性の兄の婚約者という役柄で、とぼけた役をスキルフルに演じています。

ケィティーさんは、生来のよい気質から、「大丈夫だよ!ずいぶん前のことで、思い出したこともなかったよ。もちろん許すよ!」とタイプしたものの、自分の掌に爪のあとが残っているのに気づきます。
ケィティーさんは、こう答えないといけないという気持ちがあったことにも気づきます。
この下書きは、消しました。

ケィティーさんは、どのぐらい、そのいじめが自分の人生に影響したのかを思い返します。

ケィティーさんは、32歳になるまで、肩の出る服装はしませんでした。なぜなら、その友人からのいじめで、肩のことをひどくからかわれたからです。
また、ケィティーさんは、スピーチ・セラピーに1年ほど通いました。
英語スピーカーでは別に珍しくもないと思うのですが、Lisp(リスプ/ 舌足らずな話し方)があり、それをひどく言われたからです。
ケィティーさんは、心理カウンセリングにも通っていますが、そこで、このいじめについて話すのは、大体1か月に1回(月4回のうち1回)です。

ケィティーさんは、考えます。

これは、どのぐらい私の人生に、ひどい影響を与えたのだろう?
肩を出す服装ができるようになったのは、もしかしたら32歳ではなく35歳だったかもしれないし、カウンセリングで毎回、14歳のときのいじめに話すわけではないのは、そう悪くなかったということ?

でも、ここで、ケィティーさんは、自分が14歳だったときの、苦しくつらい気持ちを最小化していることに気づきます。

ケィティーさんが思い出すと、お母さんにいじめのことを話したとき、お母さんは首にクリームを塗る手をとめず、「明日には、また友達に戻るわよ」だったそうです。
でも、ケィティーさんがそれでもそこにとどまっていると、お母さんは、「(友達の行動に対して)ネガティヴに影響されることを(自分自身に)許さないでね」だったそうです。
前髪のことをからかわれた後、お母さんに前髪を切ってもらう時、お母さんは、「忍耐強くね。すぐに(いじめは)終わるわよ」と言ったそうです。
この「忍耐強くね。」ということばは、ケィティーさんが、もともと忍耐強かったことを思い出させます。
パーティー・ドレスは、お母さんがもっているNext(ネクストという服のお店)のカタログから選んで、手に入れるまで6週間ほど待つのが普通だったそうですが、それを待つのは全く苦ではなかったそうです。なぜなら、ドレスを手にすればハッピーになることが分かっていたからです。
それを思い出し、いじめが終わるのを待とうと思います。

いじめが一番ひどかったときは、ケィティーさんは、トイレの個室でお昼ご飯を食べていたそうです。
そのときは、今自分は大人で、成功していて、過去に起きたこと(=今受けているいじめ)を笑っている、という想像をすることで、耐えていたそうです。

突然、その友達の態度が変わり、いじめが始まった日は、その友達が気に入っている男の子からいい寄られ、はっきりと「No」と言った後だそうです。
それが原因だったようにも見えますが、どんなタイプのいじめやハラスメントも、ターゲットになった人々に非はないのは、明らかです。
誰もが偶然のターゲットになりうるし、恥ずかしいことをしているのは、いじめやハラスメントの加害者であり、偶然のターゲットとなった側には、恥ずかしいことは全くありません。

いじめの終わりは、その友人から公園に呼び出しをされた日です。
身体的なファイトになることは予測していたものの、何を武器にしていいかは分からないし、テレビを観ている親の横を通るときに何かもっていれば怪しまれるのは確実だったので、玄関にあったゴルフ用の大きな傘をもって公園に行きます。
そこで、その友人はもっていたDr. Martinの靴(つま先部分が鋼鉄)でケィティーさんに殴りかかり、ケィティーさんは傘で応戦し、それを見かけた通りがかりの女性とその犬がかけつけて、止めてくれて、終わったそうです。
その友人の最後のことばは、「ともかく、あなたに価値なんてない」だったそうです。
ちなみに、私の周りにもイギリス人の学校の先生はいますが、日本でいる高校にあたる年代の女子生徒と男子生徒がつかみあいの喧嘩になったのを仲裁に入ったりしたこともあるということで、身体的なファイトは男子間だけのものではない、という認識は普通かなと思います。

ケィティーさんは、ストレスがかかると、眠くなる傾向にあるのですが、このメッセージをみたときも、同じ身体症状を経験します。

そこで、気づきます。

本当の恥というのは、これが起こったこと(=いじめのターゲットとなった)ことでもなければ、自分のために立ち上がらなかったことじゃない。
本当の恥は、与えられたアドヴァイスでは、10代の少女だった自分の心に寄り添うことができなかったこと。
それは、間違った解決法でした。
でも、今回は、違った方法で対応できます。

振り返ると、ケィティーさんの母も、その母も、そこに続いている女性たちも、自分自身の痛みを最小化することに熟達していたのでは、と思います。
ケィティーさんをいじめた友達も、誰か他のひとに自分の痛みを負わせた(=ケィティーさんをはけ口にした)のは、自分自身の痛みを最小化していたに違いありません。
ケィティーさんは、その友達の人生に、そのころ、何が起きていたのだろうと思いをはせます。

今回は、成長した大人として、ケィティーさんは、14歳のときの自分の気持ちに寄り添い、真実を語ることを選択します。
次の一言を書いて、「Send(送る)」を押しました。

「私は、あなたを許しません。」

いじめは、イギリスでも問題にはなっているものの、日本とは対応が大きく違います。
学校内でも学校外で起こることも、学校の友達間だと学校側の責任の範囲なので、学校に報告します。
学校には、通常Anti Bullying Policy(アンティ・ブリ―イング・ポリシー/反いじめ方針)があり、そこに、どう報告するか、報告された後に何が起こるか、もし学校側の対応に納得できなければどこに訴えるか等も、記載されています。
保護者向けのい一般的な対応については、イギリスの団体NSPCCのサイトのここから確認できます。

いじめのターゲットになった子供の心身の安全と、安心して教育を受けられる権利は最重要として考えられます。
そのため、悪い言動を取った側(=いじめの加害者)が、別室登校になったり、学校へ来ることを一定期間禁じられたりと、加害者の子供と加害に加担した子供たちを、被害者となった子供から引き離します。
日本だと加害に加担した子供たちは責任を取らされないかもしれませんが、イギリス、恐らくほかのヨーロッパの国でも、いじめに加担することは、たとえ自分がいじめの次のターゲットになることを恐れたせいであっても、いじめをしないという正しい選択を(できるし、そうするべきだったのに)しなかった、ということで、罰せられる対象となります。
ただ、加害や加害へ加担という悪いDoingは即時にストップしないといけませんが、未熟な子供が同じ間違いを起こさないよう、自分の言動の結果についての責任を取り、考え方や言動を変えることに重点が置かれます。
これは、未熟な子供のDoingをよい方向に向ける、ということであり、子供たちのBeingを否定するわけではありません。

偶然、いじめのターゲットになった場合には、記録(誰が/いつ/どこで/何をしたか、言ったか/目撃者がいればその情報/自分がどう感じたか)をしっかりと取ることが推奨されています。
たとえ小さなことに感じられても、パターンが見えれば、それは大きな証拠となります。
また、大人になってから、ハラスメントの偶然のターゲットになってしまった場合も、この習慣は役立ちます。
子供や女性、若い人々は、地球上のどの地域でも弱い立場へとおしやられがちなので、被害にあったときに、どう対応するかを、小さいうちから知っておくことはとても大事です。

いじめは加害者が100パーセント悪い、偶然のターゲットになった被害者には、全く非がない」というのがイギリスを含めたヨーロッパの常識です。
日本での「いじめられないために、どういう言動をするべきか」は、まるで被害者に非があり、いじめのターゲットとなるようなことをしたからだ(=被害者に加害者の言動を変えるコントロールがある)、という印象をつくりだす、まやかしの議論は、ヨーロッパには存在しません。
これは、加害者の責任を、なんの罪もない被害者に負わせることである、ということに誰もが気づく必要があります。
言動を変える必要があるのは、加害者で、被害者にはなんの非もありません。
加害は加害者だけが選択できるもので、被害者には被害にあわない選択はできません。
ケィティーさんの話からも、いじめの加害者のターゲット選択は、とても非論理的で破壊的で、問題があるのは加害者側です。

いじめはどこにでも存在するとはいえ、スケールや陰湿さについては、日本はイギリスに比べるとひどいのでは、という印象があります。
基本的に、「自分より弱い立場にいる人を悪く扱うことは、卑怯なことで、ひととして恥ずかしいことだ」というノーム(風潮)が根底にあることと、日本のように、どんな状況でも、常にひとに上下関係をつけるようなハイラルキーがないからでは、とも思います。
ただ、イギリスだと、捏造された人種差別・白人至上主義は、数百年にわたってしみわたっているので、たまたま非白人である場合は、特定の偏見でみられる・悪く扱われる可能性もあります。
ただ人種(=Beingで、その人そのもので、言動のように変えることができないもの)をもとにしての差別やHate Speech(ヘイト・スピーチ)は違法で、実際に深刻な罰につながるので、そういった偏見を持っていても、慎重な言動をとる人が大半です。

学校での子供間のいじめも、社会をうつしだしているので、大人たちが、自分自身がハラスメントやいじめをしない、加担しない、いじめやハラスメントをみれば、自分には関係ないと無視せずに介入してハラスメントやいじめを止めるよう努力することを、毎日続けることが大切です。
それを子供たちが見ていれば、同じようにポジティヴな言動をすることを学び、学校でのいじめやハラスメントもなくなり、地球はもっとよい場所になるでしょう。

【参考】
ケィティーさんさんの回想録「Delicacy」については、日本語訳は出ていないようですが、読みやすく書かれているので、英語で読んでみることをお勧めします。

私自身、イギリスでAssetion(アサーション)の訓練を、イギリス人心理セラピストから受けたのですが、生きる場所が違っていても、子供の頃から、自分のバウンダリーとほかのひとのバウンダリーを尊重すること、相手にも自分にもフェアな言動を行うことで健康な人間関係を築くことを学ぶのは重要です。
以下のブログに、ざっと内容を記載しています。
子供のころ、虐待を受けて、自分のバウンダリーを設定することが不可能だった人たちにもお勧めです。私たちは、いつでも変わることができます。https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20230705-1
https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20230705-2
https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20230705-3

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