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RAPPORT (相互理解) by EMILY ALISON

先日、BBC RADIO4で定期的に聞いている番組「SPARK」で、テロリストや殺人者、レイプ加害者等を主に扱ってきた心理学者、Emily Alison(エミリー・アリソン)が、夫のLaurence Alison(ローレンス・アリソン、同じく心理学者)と共著した「RAPPORT」について語っていました。日本語訳はされていないようですが、一般大衆向けに書かれているものなので、英語でもとても読みやすいです。この本は、大きく2部の内容に分かれており、一つは、基本となる「HEAR (Honesty, Empathy, Autonomy, Reflection)」についてと、副題になっている「人々を読む4つの方法」となっています。
本の題名にもなっている「RAPPORT(ラポート)」という言葉については、英語でもいろいろな意味で使われているものの、エミリーは、以下の内容を言っていました。
「ラポートを、相手に対してナイスであることや、トリックで嘘をついて相手をだまして情報を得ることだと思っている人も多いけど、全く違います。これは、相手に対して(たとえとんでもない犯罪を行った人であっても)真に興味をもって、相手のことを理解したいという気持ちからお互いの理解、コネクションにつながるものです。相手を理解するといっても、合意する、同情するということとは違います。これはCONGRUENCE(合同)がベースとなっています。CONGRUENCEは、自分自身が真に自分に対して自分であるか、自分は誰なのか、自分は何を信じていて何を気にかけているのか、相手が相手自身に対して相手自身であることを本当に信じているか、ということです。」少し分かりにくいかもしれませんが、これは本当の意味で自分自身をよく知ることと、相手の存在を、自分の経験・環境からくるバイアスや価値観から勝手に判断することなく、そのまま認めることです。興味深かったのは、エミリーが、こういった凶悪な犯罪を犯した人々は、行動は確かにモンスターだったけれど、彼らがもっている価値観や規範は私たち一般の人々と変わらず、こういった人々の行動のとても暗い部分は、私たち一般の人々も持っているものだと言っていたことでした。凶悪犯たちは特殊な人たちではなく、誰もがこういった暴力的な部分は持っていて、状況や、自分の判断・選択によって、誰もが凶悪な犯罪者になりうる、という認識は大事なことでしょう。また、エミリーは、司会者に「こういった凶悪な犯罪を犯した人々にどう共感できるのか」と聞かれ、次のように言っていました。「彼らの多くは、とても過酷な子供時代を過ごし、その後の人生も非常に難しく苦しいものとなっています。彼らの過去の経験に対して、誰もが自分との関連性を感じると思います。」ここに出てくる「EMPATHY(共感)」についてもいろいろな説がありますが、エミリーは、「understanding where they are coming from(彼らがどこからきているのかを真に理解すること)」と言っています。ここで意味しているのは、彼らがどういう環境で育ち、彼らの立っている場所、彼らの目から物事をどう見ているのかを、彼らの側から理解することです。ただし、これは相手に合意することでもなく、同情することでもありません。彼女自身は、「Radical Empathy 革新的・急進的な共感」とも呼んでいました。
この「HEAR」の概念で、日本やアジアだと理解するのが難しいと思うのは、「Autonomy 自律」ではないでしょうか。ヨーロッパでは、子供も大人と同じ基本的人権を持った対等な一個の人間と考えられ、親の所有物であるかのように考える人はまずいません。そのため、「親子心中」といった言葉は存在せず、「子供に対する殺人と親の自殺」という表現になります。多くの親にとっての目標は、子供たちが独立した一個の人間として、自分と周りの人々を尊重し、正しい選択・言動を選ぶことができ、自分たちの家から巣立って自分の人生を歩むことです。子供が家を出てからは、同じ独立した大人同士として接し、干渉はしません。そのため、子供時代も、自分で正しい選択ができるよう、日本と比べると子供の意志は信じられないくらい尊重されます。尊重されるといっても、子供の言いなりになることとは全く違います。私の姪っ子が3歳くらいのときに、おばあちゃんのところにランチに行くことになり、ニョッキは白(チーズ)がいいか赤(トマト)がいいかを聞かれ、「白」と電話で言っていました。実際ランチにくると、その日は気まぐれな日だったらしく、突然「赤がいい」と主張。お母さんは、「あなたは白がいい、って言ったのを覚えてる?どうして急に気が変わったの」と理由を聞きます。姪っ子は小さいながらも、その日はどうしてもトマト味のものが食べたい、と説明し、お母さんの了承は得ました。赤ソースをよそう前に、お母さんは、明確に「あなたが赤だといったから最後まできちんと食べるのを約束ね」と言います。姪っ子がきちんとそれに合意してから、赤ソースをよそいます。姪っ子は、食べるのに飽きて途中で「白」が食べたいと言いますが、お母さんは「あなたが決めたことだから、赤を食べ終わるまで、白はだめ」ということで、何度かプッシュバックはありましたが、お母さんは言ったことを守り、姪っ子が赤を食べ終えてから、少し白をあげてました。ちなみに、ここでもおばあちゃんは口出ししません。孫の安全に責任を持っているのは孫の両親だから、そのやり方を尊重します。どんな小さなことでも、子供たちは説明することを求められるし、それはきちんと聞いてもらえ、なぜその言動や考えがいけないのか、或いは、いいのか、といったことをきちんと説明されます。イタリアもイギリスも、誰もが誉め上手ですでありつつ、悪い行動を選択した際には、きちんと説明を求め、相応の責任を取らせます。子供たちはもちろん決まりにチャレンジしたり、親が決めたバウンダリーを押してきますが、そのたびに話し合いがあります。決まりにチャンレジしたり、バウンダリーを押すことに親は罰を与えないし、怒りません。これは、健全な大人になる上で重要なことだからです。強制・命令するのは簡単だし時間もかからず努力も最小限ですが、真の理解には全くつながらないし、自律性も育つ機会を失うでしょう。エミリーも番組内で言っていましたが、自律性を尊重して、押し付けでなく、本人に考えて選んでもらう機会をつくると、ほぼすべての人が正しい選択をする、と言っていました。
また、「HEAR」の中の「Reflection」というのも、日本語の翻訳では分かりきらない部分があるのでは、と思います。よくドラマの中でも普通の人が「鏡に映った自分自身を見られないようなことはできない」といった表現が出てきますが、これは、自分の規範に反するようなことをしたときに、鏡に反射される自分自身を見ることに耐えられないということで、自分が自分でいるためにも、難しい状況でも、自分の中にある規範に沿った正しい選択をするということです。例えば、外で数人の男性に絡まれている女性を見て、介入できたのに介入しなかったという場合は、自分の規範に反しているので、自分自身が自分自身の規範を大きく外れる行動を選んで行った、ということであり、そういった自分自身に耐えられない思いをするでしょう。周りの人々が自分をどう見るかは全く関係ありません。よくある議論で、日本は「恥(外からどう思われるか)」に注目し、キリスト教圏では「罪(自分の内側からどう思うか)」ということも言われていますが、このReflectionに当たるのは、後者のほうです。

「人々を読む4つの方法」とは、コミュニケーションスタイルを4つの動物(ライオン、恐竜、ねずみ、サル)に分けて、子供でも理解しやすいようにしています。一つ一つの動物には、効果的なコミュニケーションスタイルと悪いコミュニケーションスタイルがあり、自分が陥りやすい悪いコミュニケーションスタイルを理解・向上し、かつ、相手のコミュニケーションスタイルを理解して、それに適応したコミュニケーションで、お互いの理解を深めることを目的としています。日本だと、どのように衝突しないかに大きな力を注ぐと思いますが、ヨーロッパでは誰もが違う見方や考え方を持っているのは当然で、衝突が起こることが当たり前だと認識しています。お互いがお互いを認めて理解しあい(相手の言いなり、自分の言いなりにするということでなく、お互いを同じ権利を持った対等な人として尊重し、お互いの考え方を理解)、どちらもがある程度納得できるところで折り合いをつけるポジティブな解決方法を、明確に精確な言葉で話し合う必要があります。衝突を避けようとして曖昧な答えを繰り返したり、自分の意見を言わないのは尊敬を得られないし、逆にトラブルになる可能性が高いと思ってほぼ間違いないと思います。なぜなら、そこにはHonesty(正直さ、公正さ)が存在しないからです。このメソッドは、人々をステレオタイプにはめて、小手先の技術で誰かを思い通りに動かそうというものではありません。真の意味での理解を相互に得るために、どういったコミュニケーションスタイルを戦略的に取るか、ということです。
日常の例でエミリーが挙げていたのは、10代の息子が友達の家でお泊りをしたいけれど、両親は許していないという場合。子供はもちろん、反抗する。この反抗のスタイルが恐竜タイプの悪いパターンで、挑発的な言い方や、争いを求めるものだった。この際の両親の対応は、共感を示し、「あなたが学校の友達から取り残されるのではと心配になるし、友達と楽しい時間を過ごしたいのはよく分かる」と明確に彼の気持ちに寄り添いつつ、恐竜タイプの良いパターンの、直接的・フランクなアプローチで「これは、私たちの家族での決まりであり変えられない」とあくまでも声を荒げつ落ち着いて、しっかりと話すことです。子供の安全を守るための決まりであり、子供の安全が一番大切なことである、という信念を崩してはいけません。
エミリー自身は、サルタイプのコミュニケーションをとる傾向があり(協力的で温かく人に接する。ただし、自分自身と他人とのバウンダリーが曖昧になるネガティブな面もあり)、衝突はできれば避けたい。でも避けられずヒートアップしてくると、恐竜タイプの行動に対して同じ恐竜タイプの悪いパターン(叫び返す、相手を攻撃する、嫌みを使う等)でやり返してしまう傾向があることを理解しています。こういった場合には、意識して一歩下がり、相手は恐竜タイプの悪いパターンでコミュニケーションを行っているから、恐竜タイプの良いパターンでコミュニケーション(率直、正直な言動)を行う、ということを心掛けているそうです。恐竜タイプのコミュニケーションを行っている場合、紛争になる何かがあり衝突を求めているので、衝突を避けるだけだとコミュニケーションが成り立ちません。ゴール(真に理解しあうこと)を常に意識し、どうすることで、それを獲得できるのかを考え、実行するのが大事、とのことでした。印象深かったのは、自分のエゴはドアの外に置いてくるのが大事、との言葉。「自分がボスだから、命令ということで強制して相手の意見は聞かない」という警察官の態度だと、結局テロリストからは真実が得られず、結果的に次の多くの犠牲が発生してしまう。真実を得るために真のコミュニケーションを行うのに、エゴは全く不要で邪魔であり、「真実を聞き出し、多くの人々を次のテロリストアタックから救う」という目的を理解していれば、エゴが入る隙間がないことは明確でしょうとのことでした。

エミリーは、昨今のツイッター等に現れている、物事を二極化して、それを煽情的に扱い、さらにそれに火をつけて憎しみや分断を大きく助長するフェイスブックやツイッター等のアルゴリズムには憂慮していると言っていました。ツイッターやフェイスブックにしてみれば、炎上するポストが多ければ多いほど、彼らの広告収入はあがるので、このアルゴリズムを彼らがすぐに変更することはないでしょう。私たちは、もっとスマートになって、お互いの理解を深め、建設的な話し合いを行うことをスタートできます。それには自分に対して正直になり、自分のことも等身大で見て優しく認めることが第一歩でしょう。また、煽情的で感情を高ぶらせるポストには、一歩下がって息をついて考えられるスペースをつくりましょう。投稿する前に、その言動はあなたや他の人々に対して、ネガティブな影響を与えるものかどうか考えましょう。このスペースは、あなたに自分の考えをクリアーに見る機会を与えます。Authentic(オーセンティック、真正)であるということは、自分の中に浮かんだことを即座に言動に移すことではなく、立ち止まって一歩下がり、スペースを作り自分の考えをクリアーにしてから、自分にとっても他の人にとってもポジティブな影響を与える言動を選択し、実行することです。あなたのその行動は小さくても、世界を良い方向へどんどん変えていくでしょう。

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