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苦難の物語とともにある、もう一つの物語を見つける

ある日、いつも読んでいるイギリスの独立系新聞ガーディアン紙で、南アフリカ共和国でナラティヴ・セラピーを行っているジンバブエ出身の女性心理学者Ncazelo Ncube-Mlilo (カゼロ・ヌカンベミロ)さんの記事に偶然あいました。

「変わる勇気(Courageという英語から、Rをひとつ増やしてCOURRAGEと呼ばれるプログラム)ː 女性のデプレッションと貧困を(自分の)物語を語ることによってタックルする」という試みです。
カゼロさんは、南アフリカ共和国でエイズが原因で親を亡くし孤児になった子供たちのセラピーを行っていたときに、既に存在する心理学の手法は、この子供たちには適さないものだということに気づき、「Tree of Life」という、「Tree(木)」というメタファーを使って、自分が受け継いできたもの(家族・親戚・地域の文化等)、困難や夢について語るプログラムをつくりました。
2016年には、ズル語で「いやし」を意味する「Phola」という団体を設立しました。これは、アフリカの文化・慣習への繊細な配慮をし、アフリカの解決法をアフリカの人々に提供する、というものです。

カゼロさん自身が勉強・トレーニングされてきたのは、西洋諸国での研究を主としたものですが、文化や慣習の違いもあり、そのままだと適さないこともよくあります。
この西洋諸国の伝統では、心理学者・セラピストというエクスパートがいて、エクスパートがセラピーをリードするというものですが、カゼロさんは、地域のコミュニティ―の中にエクスパートを位置づける、というやりかたをとっています。
なぜなら、家庭内暴力や女性への暴力・搾取等の多くの問題は、社会構造とは切り離せず、社会・コミュニティーの中で、被害者が回復する時間と場所をもち、勇気をもって歩いていくことをみんなでお互いに支えあっていくことが大切だからです。
このプロジェクトに参加した女性たちは、自分たちで同じようなグループを新たにつくり、女性たちのネットワークをひろげ、お互いを支えあってそれぞれの夢に向かって歩いているそうです。
カゼロさんは、これを人々がvulnerability(ヴァルネラビリティ/脆弱さ、もろさ)からstrength(ストレングス/強さ)の場所へと動いたことであり、これは、Healing(ヒーリング/いやし)の証拠である、としています。
ガーディアン紙の記事の中には、最後に少し、このプロジェクトに参加した男性が、男性たちがお互いを支えあえるフォーラムをつくったことも書いてありました。
この地域の男性たちに刷り込まれる、不可能としか思えないような男性の理想像が実現できないときのフラストレーションも男性同士でシェアします。
コミュニティーの中なので、誰かが困難にあっていれば、すぐに電話して会えたりと、お互いを支えあうことが容易です。
これは、男性たちを助けるだけでなく、結果として、立場の弱い女性や子供にフラストレーションの矛先が向くことも助けるでしょう。

このCOURRAGEプログラムの内容は、ポッドキャストで詳しく話されていたのですが、世界中の誰にとっても参考になると思うので、ざっと以下に記載しています。(直訳ではありません)
ちなみに、日本のようなアジアの場合、西洋諸国の手法より、このアフリカで編み出されたカゼロさんの手法のほうが、文化的にしっくりとくるのでは、と思います。

「C」は、Celebrating the survival(生きのびたことを祝福する)を意味します。
女性たちを被害者としてより、survivors(サヴァィヴァーズ/生きのびた人々)として認識します。
さまざまな虐待や暴力、搾取(身体的・心理的・経済的)を生きのびた人たちにとって、生きのびたのは、偶然の結果ではありません。
生きのびるために、スキルや知恵を最大限に使ったのです。
そのことを誇りに思い、祝福しましょう。

スキルや知恵は、本をたくさん読むことだったのかもしれません。
祝福のしかたは、女性たちによってさまざまです。
この中では、歌やダンスを選んだ女性グループがいたことも挙げられていますが、南アフリカ共和国では、歌をみんなで歌ったり、みんなで一緒になって身体を波のように動かしたりというのが、文化的に日常で自然と行われています。
以前、ロンドンのNational Theatreで、アフリカ大陸全体を人々が移動していくのに伴って、それぞれの地域の歌やダンスにであう演劇をみたのですが、今でもその歌と動きが自分の中にも共鳴していくのが思い出されます。

「O」はOur knowledge and skills that have helped us to survive (私たちが生きのびることを助けた知識とスキル)
これは、上記にあるように、本を読むことだったりさまざまななのですが、例としてあがっていたのは、夫のひどい暴力に耐えかねて子供と出て行った女性のお話です。
ある日、この元夫が「元妻のせいで死ぬ」という書置きを残して自殺し、村の慣習でこの元夫のお葬式に参加せざるをえず、元夫の両親や周りの人々からの厳しい視線を感じたのですが、気持ちを落ち着かせるために、大きな木を見つけて、その木陰でいつも持ち運んでいる好きな本を読んで数時間、実際に遺体を墓におさめるまでの瞬間(その瞬間には、対面する必要があった)を過ごしたそうです。

「U」Understanding the history of these knowledge and skills (これらの知識とスキルの歴史を理解すること)
上記の女性が、思い出してみると、両親とはいい思い出がないものの、おばあさんにはとても可愛がってもらい、おばあさんには受けることのできなかった教育(南アフリカは、大英帝国の植民地であった時代、アパルトヘイト時代もあり、1990年代ぐらいまで、黒人であるだけで教育の機会がとても限定されていた)を、孫娘である彼女が受けることを応援し、彼女の可能性と知性を心から信じ、本をたくさん読むことを薦めたそうです。
トラウマ経験は、人々を沈黙させ、ほかの人々から引き離し、孤独を引き起こしがちです。だからこそ、私たちをさまざまなやりかたで支えてくれている人々の存在に気づくことは大切です。

「(一つ目の)R」Remembering the hardships we have been subjected to (私たちがさらされた苦難を覚えていること/思い出すこと)
トラウマとなった経験には、トラウマとなった経験の物語とともに、いつもSecond Story(セカンド・ストーリー或いは別の物語)があります
これは、トラウマをサヴァイヴァルと強さの物語として捉えることでもあります。
私たちは、私たちのもっているスキルや知識を使い、生きのびました。
このスキルや知識は、私たちの人生にとって意義深い人々(実在の人物ではなく、本や空想上の人々の場合も含んで)とつながっています。
多くの人々は、この安心できるグループの中で、初めてトラウマとなった経験について話します。
そこで、周りの人々も同じような経験をしていると知り、自分が一人ではないことを発見します。
これはShared experiences(共通の経験)です。
安心できるグループの中で支えられていることは、真実(虐待、性加害、暴力、搾取等)を明るみに出す勇気を与えてくれます。
いったん、明るみに出してしまえば、それは恐ろしいものでも、一人で孤独に抱えているものでも、自分の恥でもないことが明らかになります。

「(二つ目の)R」Reframing and re-positioning ourselves with regards to the problems we have experienced (私たちが経験した問題について、私たちの解釈を見直し、私たち自身を再配置する)

女性たちが、これらの苦難や問題にあったのは、彼女たちのせいではありません。
これらは、いつも文化的、経済的、社会的、政治的な要素によって、引き起こされています。
多くの女性は、苦難にあったのは自分たちのせい、自分たちが弱かったから、と考えがちですが、もっと広いコンテクスト(文化的、経済的、社会的、政治的な要素)で話し始めると、彼女たち自身が問題ではないことが認識できるようになります。
ひとによっては、とても長い間自分を責める気持ちを内在化していて、彼女自身が問題ではないことに気づくのに時間がかかるそうですが、気づきは、回復への大きなステップとなるそうです。

この理解は、自分たちと、問題とを分けて考えることに役立ちます。
問題は問題であり、彼女たち自身が問題なのではありません。


個人的には、その地域や社会、国で弱い立場に追いやられがちな人々(子供、女性、若い人々、移民、マジョリティーでない性的指向をもつひと、心身に障害をもつ人たち、有色人種や原住民等)は、特に社会問題や経済、政治的なことをよく理解しておくことは重要だと感じます。弱い立場においやられるのは、その人たちのせいでは全くないし、その人たちが弱いわけではありません。
社会や政治システムが弱い立場へと押し込むので、その地域・社会での特権階級やシステム(警察・司法等も含む)から搾取されたり悪く扱われることに、抵抗・対抗するために、マジョリティー・特権階級に所属する人々の何倍もの知識とスキル、精神力を必要とします。

「A」Appreciating important people in our lives (私たちの人生で大切な人々を評価・認識する)
上記の例では、いつも彼女のことを信じて励まし守ってくれたおばあさんですが、近所の人の小さな親切だったり、実在の人ではなく、本の中の登場人物なのかもしれません。
以前、イギリスで活躍する自閉症のコメディアンが、学校では孤独だったけど、Dinner lady(ディナー・レィディー/日本でいう給食のおばさんにあたるひと)がいつも気にかけてくれて、友達として彼に接してくれて、学校に行くのは苦じゃなかったと言ってたのを思い出しました。

「G」Guarding and protecting what is valuable to us (私たちにとって大切なものをガードし、守る)
どんなに厳しい苦難の中にあっても、自分にとって大切で、貴重なもの(実際のひとやものだけでなく、価値観も含めて)を心にいだき続けることは大事です。
子供がいる女性にとっては、子供の将来への希望、ということが多いのですが、これも人によって違うので、自分でしっかりと考える必要があります。
あなたにとっては、何が大切でしょう?
それは、あなたがどんな人であり、どんな価値観を大切にしているかをあらわしているでしょうか。

「E」Envisioning the future – hopes, dreams and aspirations for the future
(将来起こり得るよいことを心に思い描くー希望、夢や願望・志)
このCOURRAGEの旅路を歩いてきたこの時点で、あなたにとって何をしたいかが明らかになってきたでしょうか。何が次のステップでしょう。短期間、長期間の計画。
何が可能なのかを夢みはじめるときです。

アフリカ大陸はとても大きくて、さまざまな民族や慣習もあるものの、よく聞くのは、「Ubuntu(ウブントゥ)」で、カゼロさんも、これは、とても大切なもので、英語には翻訳しづらい(概念が存在しないから)けれど、と前置きをした上で、以下の説明をしていました。

アフリカ大陸の多くの地域では、昔から、ベラーゴと呼ばれる動物の皮やさまざまな切れ端を縫い合わせて、赤ちゃんを包んで運ぶブランケットがあります。
それは、コミュニティーみんなでお互いを安全に支えあう、コミュニティーの智慧や知識を指します。

ひとは一人では存在せず、常にみんなとつながっている、という、恐らく日本を含むアジアでは直観的に理解できる考え方だと思います。
このCOURRAGEは、常にコミュニティーがお互いを支えあっていて、この優しく強いコミュニティーがどんどん大きくなれば、世界中がよい場所になるのでは、と思います。

もし、あなたがさまざまな苦難を生きのびたのであれば、どうか自分の生きのびた強さや智慧を誇りに思ってください。
あなたの仲間は世界中にたくさんいます。

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