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小2にアポリネールの詩集を読み聞かせ、還暦過ぎてピアス穴をあけた母の話

以前、僕の父の話を書きましたが、今回は、つい先日亡くなった母の話を書きたいと思います。

母の思い出はたくさんあるのですが、ぱっと思い出すのは、小さいときに本を読んだり、物語を話してくれたこと。
読んでくれる本もいろいろで、絵本もあれば、詩集も、あるいは戯曲のダイジェストを語ってくれることもありました。

1) 小2にアポリネール詩集を読んでいた母

特に覚えているのは、まだ小学校低学年頃の僕に「アポリネール詩集」を読んでくれたこと。

アポリネールはフランスの詩人ですが、僕が好きだったのは、(タイトルは忘れましたが)、神話に題材をとった幻想的な詩で、そればかり(たまにミラボー橋とかも)ねだって読んでもらっていました。

母からは、「ギリシア神話はすべての基本だから」といわれ、幼い頃から叩き込まれていましたし、戯曲で言えばシラノ・ド・ベルジュラックのストーリーとかも「半分実話だ」みたいな感じで小学生のうちに教えられていたと思います。

2) 母の生い立ちと文学・映画

そんな母は昭和7年生まれ。満州国が建国された年であり、そこから日本は日中戦争、第二次世界大戦へと突入していきます。
高等教育を受けられる人は男性でも珍しかった時代。
そんな頃に、女性で大学まで出るのは、相当レアな存在だったと思います。ちなみに高校時代(母の在学中に女学校から共学に変わったらしい)は文芸部に所属し、卒業後は旅行誌とかでライターのような仕事もしていたそうです。

彼女のそういう背景もあってか、バルザックの「人間喜劇」とかプルーストの「失われた時を求めてなど世界の文学を(今気づいたけどフランス文学多めですね)早いうちから教えてもらっていました。

母は映画も大好きで、「風と共に去りぬ」とか「ベン・ハー」みたいなメジャー作品はもちろん、「オルフェ」とかのジャン・コクトー作品が好きだと言っていました。
僕が映画好きになったのは間違いなく、母の影響だと思います。

文学にしろ、映画にしろ、母が語ってくれたことの背景には、母が信じる美学や正義のスタイルがありました。
立場が弱いひとの気持ちを理解できることこそが真の賢さであるという意識。
相手の気持ちをリアルに考えることのできる想像力とそれを踏まえて実際に行動できるフットワーク。
そうした何気ないことこそ世の中の全てに通じる最も大事なものなんだ
という感覚は幼い頃、母から学んだものであり、僕の一番の宝物です。

3) 母から学んだ「事業の作り方」と「面白がり力」

もうひとつの母から得た宝は、僕がよく言う「面白がり力
これが僕に備わってるとすれば、それは間違いなく幼少期に母から受けた感化の賜物です。

母は僕に本を読むことを奨励していて、どんなジャンルの本であっても、"MAGAZINE"でなく"BOOK"であるかぎり、無制限に買ってもらえることになっていました。

なので、僕が小学二年から四年くらいにかけては、こどもSF全集みたいなシリーズとか、江戸川乱歩のおどろおどろしい表紙のシリーズとかもたくさん読みました。
とくにSFシリーズの方は「合成人間ビルケ(「いきている首」に後に改題)」とか「星からきた探偵」とか後々も振り返って考えさせられる名作が多かった。(「星からきた探偵」は後の「ヒドゥン」の元ネタだと思います)
そして、世の中の不思議や未来の物語などに胸踊らせたものです。
大人から見ると、ややもすれば「なんの役に立つのかわからない」ような物語の知識やら、空想の果ての絵空事のようなことどもが、「何にでもワクワクできる力=面白がり力」の種として、僕の心のなかに深く植え付けられたのではないかと思います。

仕事についても母から教わったことは多いです。
以前、父の話を書いた中に、「新しい事業を考えてくれ」と僕がこどもの頃、よく言われていたという話を書きましたが、このセリフは母からもよく言われました。
母は父の会社(父が経営していたガソリンスタンドとガス会社の両方)で働きながら、僕を育ててくれていたのですが、僕が考える事業の話をきいてフィードバックをくれるのは、母の役目でした。
僕が「ハンバーガーショップをやってはどうか」というアイデアを出したとき、母は、「お客さんはどういう人だと思うか?」、「どこに店を構えればそういう人は来てくれると思うか?」などと、こどもの僕にさまざまな問いを投げかけることで、アイデアにリアリティを伴わせていくことを教えてくれました。(そういえば今まさにそれを仕事にしている…)
母とこういう問答をしているときも、面白がり力が育てられていたのでしょう、話すほどにどんどん面白くてなっていったのを覚えています。

4)  還暦過ぎてピアス穴を開けるチャレンジャー母

僕が40歳を過ぎて、それまでは普通の公務員だったのにもかかわらず、なにかに目覚めたように、起業してしまったのは、幼き日に母に植え付けられた、面白がり力の種が急に芽吹いてしまったからなのかもしれません。

僕が公務員を辞めて独立するという話をしたときも、母は「あんた、すごいねえ。やるねえ。」とやけに喜んでいたのを思い出します。普通の親なら40過ぎた息子が家庭もあるのに公務員辞めて起業するっていったら反対しそうなものでしょ?
そういえばそのころ、母はすでに還暦を過ぎていましたが、その年になって急に耳にピアスの穴を開けたり、ピアノを習い始めたりと歳がいってもずっとチャレンジを楽しんでいました。

5) 母の影響ではじめた「即興寝かしつけストーリーテリング」

今は、僕が子供を育てる番となっていますが、母が僕にしてくれていたほどのことを僕は自分のこども達にはしてやれていないなと思います。
僕が母から影響を受けたことで、こどものためにやれたなと思うことは(それも上の子にはしてやれているけど下の子にはできていないのですが)、毎日、寝る前に物語を聞かせることです。
こどもを寝かしつける際に、毎日、即興で物語をつくってきかせてやる。
こども自身を主人公にして、色んな場所に冒険にいったり、発明したり。そういう話を寝物語してやることをほぼ毎日やっていました。

これは母の影響で読んだスコット・フィッツジェラルドの「夜はやさしの中で、主人公たちが即興で物語をつくり、披露し合う…というシーンがあってそれが好きだったんですよね。
そういうことを自分もできるようになりたくて、高校のときくらいからかな?なんとなく、暇な時間にストーリーテリングする癖をつけてて。
そこからできるようになったんだと思います(そういうのも今思い出した)。

6) 当時の母の苦労を偲びつつ、改めて感謝!!

自分で(妻から見れば全体のほんの一部ですが)やってみてわかりますが、子育てというのは本当に大変。
働きながらであればなおさらです。
それを母は、起業して忙しかった父をサポートするために自らも父の会社で働きながら、幼い僕を背負いながら会社に出て、しかも(当時はそれが一般的だったとは思いますが)一切家事をしなかった父の代わりに家事も全てこなしながら、よく育ててくれたものだと驚きながら、感謝しています。

僕の田舎は、住む人達の多くは心温かく、とても良いところなのですが、一方で、田舎の常として、閉鎖的、保守的なところもありますし、母が過ごした時代はその度合はもっとずっと強かったでしょう。
そんな中で、母のような人が生きていくのは中々大変なことで、息苦しいところもたくさんあったんじゃないかと思います。

母は人生の最後は、病を患い七年以上に渡る闘病の末息を引き取りました。

享年87歳。

僕は起業してから出張も多くなり、実家に帰るための時間の捻出がどんどん難しくなっていきました。そんな中、病床の母の面倒を見てくれたのは僕の義姉でした。とてもよく面倒をみてくれた義姉には本当に頭が上がりません。
彼女のおかげで母は安心して旅立つことができたのだと思います。また、義姉が絶妙なタイミングで知らせてくれたおかげで僕も母の死に目にあえました。

しかし、七年にわたって臥せっていた母が急変したのが、コロナウイルスの流行のために僕の出張が激減したこのタイミングだったのも不思議といえば不思議です。
今でなければ、急報を受けて実家に帰るのは難しかったと思います。
僕の起業を祝い、活躍を喜んでいた母が、最後まで気を利かせてくれたのではないか?みたいについ考えてしまう。

それくらい、偉大な(と思ってもいいですよね?)母に育ててもらえたこと、彼女の感性のいくばくかを受け継いで育てられたことは自分にとって、このうえない幸運であり、とても幸せなことだと思います。

僕も自分のこどもたちにそう思ってもらえるだろうか。
自分が死ぬときに、自分のこども達に、「あの父のもとに生まれて幸運だった」と思われるように、精一杯のことをしよう。
母の死に際して、そんな思いを新たにしました。

人生に役立つさまざまな宝物を贈ってくれた母の旅立ちに改めて、感謝の言葉を。

長い間本当にありがとう。安らかに。

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今回のnoteは母の死に際して、母との思い出に浸ることで自分の心を落ち着かせる目的で書いたものです。
なので、皆様が読まれても面白くないと思いますが、もし、少しでも心に残るところがあれば幸いです。

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元地方公務員、今はアイディエーションファーム(事業開発コンサル)の経営者。 日本有数のお固い職場から日本有数の最先端ワークに突然シフトチェンジした男。 スタートアップから大企業や外資系企業の経営幹部まで幅広い人と雑談し、その気づきを記事にすることが多いです。