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ソフィアの闘病日記⑯

2021/9/28

今日は、仮庵の祭りが終わり、8日目、シェミニ・アツレツ / Shemini Atzeretです。

ソフィアは、秋の祭りが始まる前日に、天国に逝きました。今でも毎日、ソフィアに会いたい、ソフィアともっと一緒にいたかったと思うと涙が止まりませんが、最後にソフィアが息苦しそうに鳴きながら頑張っていた苦しみを思い出すと、ソフィアを神様に明け渡す以外に、私になす術はありませんでした。

ペットのみならず、愛する人を失った人全てが、愛するペットやその人に会いたいと願い、涙を流していると思います。なぜ、この世には、死があるのか、なぜこのタイミングなのか? その答えは、生と死の主権は、私達にはなく、神のものであり、全ての時は、神によって定められたものということでしかありません。神様は、私達を悲しませるために、愛するペットや人を取り去られたのか? その答えが、この8日目に与えられました。

聖書では、数字の7は完全を、8は永遠を意味します。神様の完全さを示すように、ソフィアは8/28に病院に行ってから8日目の9/5に永遠に入りました。
神様は、はじめにこの地球を創造された時、死のない完全な世界を6日で創造され、7日目に休まれ祝福されました。このため、私達は毎週7日目(金曜日の日没から土曜日の日没まで)の安息日に神を礼拝します。

[創世記 1:31-2:3]

神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
こうして天と地とその万象が完成した。
神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。

神が最初につくられた人アダムは、神ではなくサタンの誘惑に負け、神のことばではなく、サタンに従いました。このため、人はエデンの園から追い出され、この世界に死がもたらされ、私達は神との関係が断絶されました。

しかし、救い主イエス・キリストを信じることで私達は聖霊が与えられ、永遠の命が与えられます。

7日間の仮庵の祭りの最後の日は、聖霊が与えられることが示唆されています。

そして、この永遠に入る象徴が8日目なのです。また、この永遠に入る前には、全ての人々が神をあがめ、ほめたたえることが預言されています。

[ローマ人への手紙 15:7-13]

ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。

私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、

また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。

  「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」

と書いてあるとおりです。また、こう言われています。

  「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」

さらに、こうあります。

  「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をたたえるように。」

さらにまたイザヤは、

  「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。異邦人はこの方に望みを置く」

と言っています。

どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。

「異邦人」とは、ユダヤ人以外の全ての人々のことです。「異邦人を治めるために立ち上がる方」は、イエス・キリストです。ユダヤ人がなぜ特別に扱われているかは、神がユダヤ人であるアブラハムを選び、アブラハムから全ての人々が祝福されるという預言があるためです。なぜ、ユダヤ人なのか、アブラハムなのかも、全て神の主権によるものです。アブラハムの子孫であるヨセフの妻となるマリアが、聖霊によって身籠る子がイエス・キリストなのです。

[創世記 12:1-3]

主はアブラムに言われた。
  「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

仮庵の祭りの翌日である8日目は、神に感謝して、祈り、後ろ向きに仮庵から出ます。これは、神様が私達を抱えるように、永遠へと招き入れてくださることを象徴しています。それは、聖書に書かれているこの世の終わりと、私達と神が一体となる永遠の始まりです。


[ヨハネの黙示録 21:1-4]

また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。

  「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

また、人間のみならず、全ての被造物(creation)も永遠を待ち望んでいます。

[ローマ人への手紙 8:19−23]

被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。

ソフィアは亡くなる瞬間にこの永遠の入口に入ったのです。私は、以前は死をとても恐れていました。私が乳ガンになって、一番恐れたことは死でした。今の私にとって、死はソフィアに再会できる、神の永遠に入れる入口であることが理解できました。イエス・キリストの再臨と永遠がいつ来るのか、私には分かりません。ただその日が来るまで、毎週安息日に、天と地の創造主であり、支配者である神とのフェローシップを楽しみ、賛美し、毎年、神の祭りを通じて、神が守ってくださるこの世の仮庵の人生に感謝し、神の御心を行い、永遠を待ち望みたいと思います。

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