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KANA-BOONとシルエットと僕と。


#いまから推しのアーティスト語らせて  ってことで、大阪のライブハウスの人目線から、ひさしぶりにKANA-BOONの話を書いてみようと思います。

そもそも、僕がなんとなく地元のライブハウスで働き出したのは、自分のやってるバンドがたいして人気もないまま20代も後半にさしかかってしまい、いつまでもフラフラしてるわけにもいかず、仕事をしないといけなかったから。

だけど、いざ働きはじめてみると、これはどうやら自分にとっての天職だったようです。

若いバンド達と話してるのがとにかく楽しい。

もちろん、お仕事なので上手くいかないこともたくさんありましたけど、

コピーバンドとして出会った高校生が、1年、2年と時間がたってオリジナル曲を演奏しだす瞬間にたちあえるのはとんでもなく幸せでした。

ソフトドリンクだけでライブハウスで朝まで過ごす…、そんな打ち上げともいえないような、学校の放課後みたいな集まりは、まるで自分にとって二回目の青春がきたようでした。

そんな頃に 20歳になったばかりのKANA-BOONと出会いました。

そもそも、Voの谷口鮪はもうひとつバンドをやっていて、そのもうひとつのバンドでよく出演してくれていたので面識はありました。

「こんど、僕がVocalをやっているバンドで出るのでよろしくおねがいします」

その一言を聞いた時は、「え?鮪くん、実はVocalだったの!?」とビックリしたものです。(僕は知らなかったのですが、KANA-BOONはすでに地元の高校生の間ではちょっとした人気者だったみたいです)

はじめてのKANA-BOONライブ

歌の音程はかなり怪しいし

ステージングや、内輪ネタのMC もまだまだ素人レベル


※ 関西のアマチュアバンドはMCで笑いをとりたがり、内輪ネタのボケをステージ上で連発して失敗しがち(笑)

ただ、曲と声の良さは圧倒的でした。

当時、僕がかかわっていた地元のアマチュアバンドのなかでは圧倒的にとびぬけていた。

「え?これ、ちゃんとやったら売れそうやん!?」

ライブを見ながら、興奮して横にいたスタッフに耳打ちしたのをいまでも覚えてます。

ただ、僕だけが盛り上がってても仕方ないのでここで一呼吸。

ライブハウスあるあるなのですが

こちらが「良いバンドを見つけた!」と盛り上がっても、バンドが意外に活動に対してマイペースだったりすると、ライブハウスのスタッフだけが盛り上がって空回り

…というのもよくある話。

ライブが終わったメンバーをライブハウスの入口でつかまえて

「売れたい!?音楽で飯を食いたい!?」

と、いきなり暑苦しく問いただしたのを覚えています。

(「音楽で飯を食いたい」という表現が、前時代的で恥ずかしいですが 笑)

即答で「食いたいです!」とGtの古賀が答えてくれたので、ここに悪魔の取引が成立。

大阪アマチュア時代の彼らと僕との二人三脚がスタートします。

振り返ると、出会ってからメジャーデビューまで3年ぐらい

ぜんぜん大したことはしてあげられなかったし、いま思うと「もっとうまくできたよな」「もっとちゃんと教えてあげられたよな」…と反省ばかり。

「このバンド、もうダメかも…」と思ったことも何回もありますし、ガラにもなくバンドに怒ったこともあります。

当時のSONYの新人発掘の女の子 Y に、なかば八つ当たりみたいな暴言をはいて泣かしたこともありました(ごめん)

はじめて出演したミナミホイールではお客さんは15人ぐらいでした (うち10人ぐらいは僕の知り合い 笑)

初ワンマンライブの時にライブハウスが停電してしまいリハーサルも満足にできずで、「大丈夫!大丈夫!本番までには直るよ!」と、メンバーには余裕ぶっていたものの、実は裏で冷や汗をかいていたこともありました。

コンテストで優勝して一番最初に伝えたかったと、鮪が電話をくれたこと。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのオープニグアクトをKANA-BOONがした時のライブ映像をSONYのYに、こっそり見せてもらったこと。

「東京には行きません」と、かたくなに言っていた鮪がポロっと「上京も…そろそろですかね…」と車で言った時のこと。

メジャーデビューしてからの雑誌のインタビュー記事を読んでたら「え?これ、おれが前に言ってた話やん!?」と、僕が昔に言ったことを、さも自分の発言のようにそのまま語られていたこと(笑)。

人気が出ていくさまを間近で見ていてとにかく嬉しいのと、自分からちょっとづつ離れて一人立ちしていくさまが少し寂しいのと

娘を嫁にやるお父さんってこんな気分なんだろうな…と、不思議な気持ちになっていたのをいまでも覚えてます(笑)。

※ 細かい話は書ききれないので興味のある人は google先生に「KANA-BOON 倉坂」で聞いてもらうか、twitterさんに「KANA-BOON from:thedenkibran」で聞いてみてください。

シルエット

そして、KANA-BOONがメジャーデビューして数年たちました。

僕の 子離れならぬ、KANA-BOON離れもそろそろ…というタイミングで、不意打ちのような曲が届きます。

最初は聴き流してたのです。

ああ、あいかわらずいい曲だな…ぐらいに。

でも、これ歌詞をよくよく聞きだすと、「え?もしかして、あの頃の俺らの曲?」と。

あの頃の"まだ何者でない自分たち"と、周りの仲間や場所、そして僕の歌。

気づいちゃった。

ずるい。

ずるいなぁ。

子離れできかけてたのになぁ。

こんな曲を届けられたら、おじさん泣いちゃうぞ。

覚えてないこともたくさんあったけど
きっとずっと変わらないものがあることを
教えてくれたあなたは消えぬ消えぬシルエット
大事にしたいもの持って大人になるんだ
どんな時も離さずに守り続けよう
そしたらいつの日にか
なにもかもを笑えるさ

KANA-BOONはきっと大事にしたいものを持って大人になったんだけど、大阪で置いてけぼりをくらってる僕はまだ大人になれてないよな…なんて思いました。

僕、彼らより12歳も年上なんですけどね(笑)

いまじゃありがたいことに、あの頃のKANA-BOONぐらい大切なバンドもたくさん周りにいてます。

昔のことばかり思い出してるわけでもないのですが、ふとした瞬間に

「やっぱり、KANA-BOONっていうバンドは自分にとって特別なバンド」

なんだよなと思ったりします。

最近は、半年に一回ぐらいしか会えませんが、いつまでも応援しています。

弟みたいな、子供みたいな、親友みたいな、大切な子たち。

シルエット消えないように、大阪で僕もがんばる。

ありがとう。

※ライブハウスで働いてたら、推しのアーティストなんて山ほどいてんだよ!ってことで、大阪のライブハウスより愛をこめて。他のすてきなバンドたちも聞いてみてください。

#いまから推しのアーティスト語らせて

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