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JOKER 「 孤独 」 から解放の物語 / 連載:タイライム

映画『 JOKER 』 が全世界的に大ヒットしてますね。
社内でも多くのメンバーが JOKER の話題で盛り上がり、中にはコスプレをする者までいます(笑)。
というわけで、御多分に洩れず私も劇場公開後すぐに観に行って来ました。
観終わった後すぐの反応としては、「 Arthur から JOKER への変貌を丁寧に描いているなぁ 」「 ロバートデニーロが出演してるし、2010 年代の ” タクシードライバー ” だな 」でした。

JOKER に関しては賛否両論あるようで、日本だけでなく米国含めて世界中で問題作として捉えられている。ブログや記事を読み込んでみるとキーワードとして「 都市 」「 貧困 」「 孤独 」「 共感 」「 格差 」等が目についた。

この映画から感じたキーワードとして個人的に気になるのは「 孤独 」だった。

「 孤独 」はいつどのように襲いかかってくるのか?
「 孤独 」と自分がどう向き合うのか?

その観点でみるようになっていた。
「 孤独 」とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態であり「 自分がひとりである 」と感じる心理状態のことである。Arthur の場合は、最初に不可抗力で職場での評価を下げてしまう。その結果、同僚や上司との関係がおかしくなってしまう。コメディアンとして認められたいと思い、葛藤するがその努力も全く実らない。自分が住んでいるアパートでも知人・友人はなく、孤立していく。最後に、社会を構成する最小単位である 家族=母親 からも虐待されていた過去を知る。完全に自分以外との他者との関わりが絶たれてしまい「 孤立 」してしまう。

「 サピエンス全史 」にも明確に書かれているように、人は言語を使い、社会的に協力し合う(せざるを得なかった)ことで、他の哺乳類より進化したのである。なんでこんな小難しいことを言うかというと、孤独な人は生物的には人であるかもしれないが、社会的な 人=人間 ではないことになる。都市化した社会では家族という最小単位のコミュニティにさえ依存せずに 1 人で生物として生きていくことを選択している人も増えてきた。しかし、そういう人も意識していないところで匿名の誰かと繋がっていないと生きていくことは不可能だと理解していないだけだ。

では、Arthur は他者と繋がろうと努力していたのだろうか?
彼は思いっきり社会と「 繋がろう 」としたのである。理不尽に一方的にその繋がりを絶ったのは若かりし頃の母親くらいだろう。大きな問題は理不尽にその繋がりを断絶しようとする人達だろう。理不尽に繋がりを断絶する行為=「いじめ」はその最たるものだ。
20 〜 30 代の友人知人と話していると男女問わず何かしらのいじめ体験があることに驚く。そして、その体験が人格形成に大きなインパクトを与えてるし、弱い立場の気持ちに共感できる人々だと思う。Arthur も本来はそういう人だ。

しかし、最後の最後まで誰とも繋がれなかった Arthur は暴力という手段で社会から共感されることが可能だと叙々に理解した。そして、Arthur からJOKER になることで遂に「 孤独 」から解放され、アンチヒーローの JOKERとして社会と「 繋がった 」のである。

こちらの「 大ヒット映画『 ジョーカー 』に見る「 キモくて金のないおっさん 」問題 」の記事にもあるように、“ ジョーカーが教えてくれたのは、「 世界を変えたいなら、強いものに物を申せ 」という姿勢であろう。ジョーカーは極端な手段をとったが、合法的なアプローチはいくらでもある。” 
繋がれなかったから非合法的なアプローチになったんだ!と反論が聞こえそうだ。しかし、少なくとも絶対一人だけは繋がれる人=共感できる人がいると信じるしかない。fanicon では、コアファン同士が繋がれる場所になって欲しいと心から願っている。

平良真人( @TylerMasato


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