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#59 心の安定について セネカ

精神はどうすれば平坦で順調な道を歩み続けられるだろうか?

我々は信念に従い常に行動できているだろうか?
他人の地位や持ち物を妬み、隣の芝が青く見えているのではないだろうか?
また、他人の目を気にし、取り繕い、無難に生きていないだろうか?
また、感情を押し殺し笑いを堪え、涙を堪え、時には自分の意思に反して涙を流すというようなことをしていないだろうか?

そしてそういったものの末に自己嫌悪に陥ってしまう。

人間の精神は、生まれつき活発で、動きやすいものだ。それゆえ精神は、自分を刺激して、気を散らしてくれるようなものなら、なんでも歓迎する

毎日仕事漬けであれば、休暇を望む。
そうして望んで得た休暇も1日中家に居ればどこかに遊びに行きたいと考える。
そうして海に出かけて行っても、2−3日も同じ場所にいれば、他の場所に行きたいと心変わりをする。そうして1週間も休暇をとっていると、そろそろ仕事をしなくてはならないのではないかと考える様になってくる。
この様に人は次から次に眺める景色を変えていく。

われわれは、よく知っておく必要がある。われわれを苦しめているのは、土地の欠点などではない。自分自身の欠点なのである

いったい、いつまで、同じことばかり続くのか

セネカはこの退屈に対してどんな策を講じれば良いのかという問いに対して以下のように答えている。

実務的な仕事や、公的な職務や、市民の義務などに打ち込むこと
知性と言葉と助言を使って、個々人はおろか、人類全体の役に立ちたいという思いを持つことだ

もし私たちが自分のことだけ考えて生きていくとすると、どうなるのか?
私たちは大自然の恵みや社会、置かれた環境を無視して自然や社会を自分の思うように作り変えようとするが、それは非常に時間の無駄となってしまう。

たとえきみが国家の最前線には立てない運命だったとしても、それでもきみは踏み留まり、叫び声で加勢しなさい。たとえだれかが、きみの首を締め付けたとしても、それでもきみは踏み留まり、沈黙で加勢しなさい。  優れた国民の行動は、決して無駄にはならない。だれかがその声を聞き、その姿を目にすれば、彼の表情、うなずく姿、かたくなな沈黙、そして歩く姿さえもが、役に立つのである。

たとえ自身の力が微力で、社会の役に立っていないように思えても諦めず人類全体の役に立つと思えば続けなくてはならない。たとえ他者から役立たずと非難されようとも、その非難に対して沈黙し、続けなくてはならない。それは存亡の危機の時にはその存在を示す機会がある。しかし繁栄している時には、人類全体の繁栄のためではなく個人の欲望に目が眩み、そういった声に耳を傾けてくれる人は少ない。しかしそういった時も行動を止めてはならないと説く。

そして「人生の短さについて」でも述べられているように、物事がうまくいかない時は閑暇を作りより多くの時間を学問に使うべきだとも説く。

では、具体的にどう言った生活をすれば、置かれた環境に惑わされることなく自分の信念に従って生きることが可能なのだろうか?セネカの答えはこうだ。

心に留めるべきは、持たないほうが、失うよりも、はるかに苦痛が少ないという事実

たとえば富裕層が100万円失うのも、庶民が100万円失うのも痛みとして同じ。
ただ元々持っていなければ失いようがない。
倹約し慎ましい生活をしていれば、財産がいくらであっても生活は豊かとなる。一方で倹約なしでは、どれだけ財産を持っていても幸福となることはない。
学問にお金を使おう。ただし、意味のないものは持つな!とも言う。本を買うのはいいが飾りの本は不要だと。しっかり自分のものにしてこそその意味があると説く。
仕事についてもそうだ。無益な目的や動機から仕事をすべきではない。
そして心の安定が欲しければたくさん仕事をすべきではなく閑暇な時間を作れとの主張は「人生の短さについて」と一貫した主張となっている。

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