100の回路#15 公立劇場として能楽のバリアフリーに取り組む横浜能楽堂の取り組み
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100の回路#15 公立劇場として能楽のバリアフリーに取り組む横浜能楽堂の取り組み

こんにちは。THEATRE for ALL LAB研究員の鈴木弘美と申します。
私は、先天性の病気で視力0.06の弱視です。読み書きにはルーペを使い、遠くのものを見るときには単眼鏡という補助具を使っています。最近ではiPadやiPhoneも補助具として活用しています。サニーバンク会員として参加した今回の活動を通し、多くの方が舞台芸術に触れるきっかけになるような情報発信をしたいと思っています。

「100の回路」シリーズとは?
回路という言葉は「アクセシビリティ」のメタファとして用いています。劇場へのアクセシビリティを増やしたい我々の活動とは、劇場(上演の場、作品、そこに巻き起こる様々なこと)を球体に見立てたとして、その球体に繋がる道があらゆる方向から伸びているような状態。いろんな人が劇場にアクセスしてこれるような道、回路を増やしていく活動であると言える様々な身体感覚・環境・価値観、立場の方へのインタビューから、人と劇場をつなぐヒントとなるような視点を、“まずは100個”収集することを目指してお届けしていきたいと思っています。

横浜能楽堂の芸術監督、中村雅之さんにバリアフリー能の取り組みについてお話を伺いました。
横浜能楽堂では、多様な人々が一緒に能・狂言を楽しめるよう、様々なサポートを取り入れた「バリアフリー能」を開催しています。

中村雅之

(横浜能楽堂の舞台を背景に、正面を向いた中村雅之さんが写っています)

中村雅之(なかむら まさゆき)
1959年、北海道生まれ。法政大学大学院修士課程修了。民間勤務を経て、1991年に横浜市芸術振興財団の職員に。横浜能楽堂開館時から携わる。横浜能楽堂芸術監督、明治大学大学院兼任講師。古典芸能のプロデュースを数多く手がける他、文化マネジメントや芸能社会史の研究、講演、執筆など幅広く活動を続けている。
著書に『英訳付き1冊でわかる日本の古典芸能』(淡交社)、『これで眠くならない!能の名曲60選』(誠文堂新光社)、『日本の伝統芸能を楽しむ能・狂言』(偕成社)など。

はじめに

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(記事後半で紹介する「能サポ」の「イラストでわかる能」の一画面です。ぶたのキャラクターが描かれており、子どもも、能について楽しく学べるよう工夫されています)

横浜能楽堂は多様な人々が能楽を楽しめる「敷居の低い能楽堂」をコンセプトに環境づくりに取り組んできました。

例えば、子育て中のお母さん達が鑑賞しやすいお昼の時間帯に「ブランチ能」という企画を実施したこともあります。そのような取り組みの一つとして2000年より「バリアフリー能」を続けています。
「バリアフリー能」への取り組みを始めたのには、一つのきっかけがありました。

知的障害者のグループホームの方が横浜能楽堂を借りて能を観る会を企画したことがありました。中村さんが様子を見に行ってみると、知的障害の方々が能を楽しんでいました。その様子を見て、中村さんは

「能を見てもらうべき、忘れていた人たちがいた」と気づいたそうです。

中村さんには知的障害のいとこがいました。中学生ぐらいで亡くなったのですが、その子にも見せてあげたかった、と思ったそうです。
中村さんは「障害のある人にも能を楽しんでもらう」これは公共の文化施設として取り組むべきだと考えました。

しかし、中村さんは障害者について詳しくありませんでした。そもそもニーズがあるのかも分かりませんでした。そこでスタッフと2人で身体障害、知的障害、精神障害などの団体を訪ねて話を聞いて回りました。

徹底的なニーズの聞き取りと多様なサポート

中村さんが目指したのは健常者も障害者も一緒に能を楽しむこと。

「みんな一堂に、それも健常者も含めて一堂に会せることをやりたかった。健常者が入らないと隔離政策になりかねないんで。障害者の人も社会の一員なわけじゃないですか。社会では知的障害の人も視覚障害の人も、普通に街を歩いているわけです。だから、劇場という場でも、それは同じだと思ったんです。」

社会には障害のある人もない人も一緒に暮らしている。中村さんは、劇場も健常者と障害者のお互いへの理解を深める場であるべきだと考えました。

私は、障害者だけを対象にしなかったことは意義深いと思います。対象を障害者手帳所持者にしてしまうと、障害者手帳を取得できない人がこぼれ落ちてしまいます。障害者手帳を取れない人達の中にもサポートがあった方が鑑賞しやすい人がいるはずです。

バリアフリー能を始めるにあたり、中村さんは2つのことを決めたそうです。

1.文化のレベルは健常者も障害者も同じ
バリアフリー能では障害者割引はありませんが、介助者1名は無料です。障害者には収入の少ない人がいるかもしれないですが、良い作品を見てもらうことに変わりはありません。公共文化施設としてやるべきことは、来られない人の理由を取り除いて、見られるようにケアすることと考えたそうです。

2.お金がかかっても全てやる
ニーズを聞き取ってみて、中村さんは、横浜能楽堂では肢体不自由の方のための施設設備が比較的整ってきている、と考えたそうです。ソフト面の充実に力を入れました。

回路59 隔離政策にはしない

例えば、視覚障害者団体を訪ねて初めて触図というものを知り、一回目の公演から能舞台の触図を用意しました。

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(能舞台の触図です。視覚障害者が触って舞台の様子を分かるよう、舞台の配置や、点字を使用した案内が凹凸印刷されています)

視覚障害者用の副音声ガイドにも工夫があります。能では演者が歩くときの衣擦れの音ぐらいしかしません。謡(うたい)も普段聞きなれないような言葉を使います。見える人ならば動きを見て、ある程度楽しめますが、見えない人には分からない。

見えない人が音だけでも楽しめる方法として、音声解説が必要です。
歌舞伎座で提供しているものは健常者向けの解説で、これは見えることを前提としているため、視覚障害者にとって、想像する余裕がありません。

「(研究者の人に)解説はしないでほしい、要は進行案内だからと話しました。」

中村さんは現在、能楽研究者に依頼して余計な知識説明を省いた進行案内としての音声解説をしてもらっています。
見なくてもどういう状況か分かるような、余計な知識なしの最低限分かる解説の作成を続けられているそうです。

バリアフリー能では聴覚障害者向けに手話通訳や字幕配信も行なっています。かつては番号をかいた「めくり」を使っていたそうですが、現在は「能サポ」というシステムを使って字幕配信をしています。聴覚障害者は番号をふられた台本とめくりの番号で進行が分かるという仕組みです。「能サポ」について、中村さんにお聞きしましたので後ほどご紹介します。

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(公演のパンフレットです。上演演目の台本と登場人物のイラストが掲載されています。記載されている漢字には、全てふりがながふられています)

知的障害者が心置き無く楽しめる環境作り

中村さんが活動を進める中で、一番目が届いていないのは知的障害の人たちだと思ったそうです。

劇場では静かにしていなければならないことが多いと思いますが、知的障害の方の中にはじっとしていられない人や大きな声を出す人もいます。そのため劇場に行きにくい状況でした。

「感情表現の仕方が違うのかなって気が。自分なりの表現方法。大きな声をあげてしまうのはブラボーと同じで、それを抑制してしまうのは本人にとって苦痛だと思います。」

知的障害者のご家族に聞いたところ、「公演中の入退場自由と書いてもらえれば、迷惑をかけそうになったら出ます」と言われたそうです。

入退場自由や多少声を出しても大丈夫な公演は、親子向けや知的障害者向けと対象を絞ってしまえば、それほど難しくないでしょう。
しかし、バリアフリー能は健常者も障害者も一緒に楽しむ公演です。クレームの心配もあったでしょう。

実際にバリアフリー能を始めたばかりの頃、よく能を見に来るお客さんから「なぜ声を出しているのに注意しないのか」と言われたそうです。中村さんはスタッフに「趣旨を説明しても納得いただけなければ、お金をお返ししていいよ」と言ったそうです。このような経緯を経ながら、現在も入退場自由を貫いています。

開館10周年の神奈川新聞の取材で、知的障害の兄弟を持つ親御さんが、狂言を観終わった後、休憩中に年配の方が子供達に「楽しいわよね」と声をかけてくれたと、とても喜んでいたそうです。知的障害者からの需要が多いのもバリアフリー能の特徴です。

「それまではプロデューサーとして、どんどん新しいことをやりたいタイプだった。でもバリアフリー能をやって初めて継続は力なりの意味がわかった。」

と中村さんはおっしゃいます。
このような交流が生まれる「芸術・文化における共生社会」が育つには時間がかかるのだと感じられているようでした。

回路60 演能中の入退場を可能にして知的障害の人たちも楽しめる環境を実現

古典芸能でバリアフリーが広がりにくい理由

バリアフリー能は長年の実績があり、客席の7~8割は埋まるそうです。平成28年には大臣表彰を受けました。審査員から「とても素晴らしい取り組みなので全国に広げてください」と言われたそうです。

しかし、私が調べた限りでは、バリアフリー能のような取り組みをしている能楽堂はありませんでした。せっかくのノウハウです。能楽堂間で共有して、もう少し障害者も能楽を見るチャンスを増やせないものか、中村さんに伺ってみました。

「本来こういったことは国公立の劇場が自主的に取り組むべきで、次に大手の興行会社に取り組んでほしい。」

横浜能楽堂はノウハウを持っていても国立の施設ではないので、他の劇場への影響力が小さいとのこと。また、数少ない古典芸能の専門施設なので、公共の劇場間の繋がりは、あまりないのだそうです。

確かに国立の劇場の方が予算も人員も横浜能楽堂に比べれば多く、他の劇場に呼びかけやすい立場にあると思われます。また、国公立で能楽の制作を本格的にしているのは国立能楽堂と横浜能楽堂だけ。他の能楽堂は場所の提供のみで制作を行っていないところが多く、バリアフリーの取り組みが広がらない要因の一つになっています。

確かにバリアフリー化には手間がかかります。

「他の国に比べ、国立劇場ができたのも日本は遅かった。日本はもっと文化にお金と手間をかけるべき。」

とバッサリ言う中村さん。

回路61 古典文化にもバリアフリーを組み入れる

一方で中村さんは、人ありき、ともおっしゃいます。

「職員には必ずバリアフリー能を担当してもらっています。バリアフリー能の目指していることはしっかりと伝わっています。バリアフリーを広げていくのは、これから能楽堂で企画運営を担う人達の課題かもしれません。」

字幕解説表示システム「能サポ」について

最後に私が関心を持ったことの一つ、「能サポ」について伺いました。

「能サポ」はアプリによる字幕サービスです。私は映画館で副音声や字幕を表示させるUDCastというアプリの能バージョンかと思っていました。

UDCastはスマホのマイクで拾った音に反応して、あらかじめ設定したタイミングで字幕や音声解説を流してくれます。映画館だけでなく、テレビで放送されるCMの入った映画であっても正しいタイミングで音声解説が同期します。

これを生の舞台でできるのかと思い、驚いたわけです。しかし、それは違いました。アプリの会社の方が舞台の進行に合わせて字幕を出す操作をしているのだそうです。

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(「能サポ」の字幕解説機能を使用している様子が写っています。小型の薄型タブレットに解説テキストが表示されています)

私はタイミング合わせを自動化し、少しずつでも曲を増やせば、障害者が一般の公演に行きやすくなるのではと考えました。しかし、能は200曲以上あり、流派やバージョンもあるのだそうです。やはり舞台芸術は映画のようにはいかないのかと思い始めたその時、

「あっ、でもAIならできるかもしれない!ちょっと大学の研究者に持ちかけてみよう。」

と、新しいことが好なプロデューサー中村さんらしい一言がありました。ちょっとワクワクする夢のあるお話でインタビューを終えました。

回路62 IT技術を使って多くの人が楽しめる環境を作る

バリアフリー能で受けたサポートと感想

横浜能楽堂では、様々な人々が一緒に能楽を楽しむ環境づくりを目指しています。その一環として毎年1回バリアフリー能を開催しています。

2021年3月20日に開催された、バリアフリー能を鑑賞しました。
今回の演目は、狂言「樋の酒」(和泉流)三宅右近と、能「清経 替之型」(観世流)武田友志です。

バリアフリー能初体験の私が真っ先に感じたことは、障害者のニーズが的確に把握されていることです。そのことはホームページの横浜能楽堂へのアクセス情報を見ただけで分かりました。アクセス情報は地図に加え、動画による道案内、「文字で案内する横浜能楽堂アクセス」の3種類があります。自作の地図は、くっきりとした太い線で描かれており、弱視の私にはとても見やすいものでした。障害者も観客として歓迎されていると感じ、能楽を見に行くのがとても楽しみになりました。

当日は、受付で一般の印刷物以外に点字の資料や舞台の触図をいただき、副音声を聞くための機器も借りました。
スタッフの方に座席まで案内していただいたところ、私の座席は最後列でした。能舞台からは少し遠いので、許可をいただきiPadを使って鑑賞しました。その際には取材者用の腕章を貸し出していただきました。

副音声では開演前に能舞台独特の造りについて、演能中は登場人物の立ち位置や動作などの説明がありました。登場人物の立ち位置は「清経(きよつね)が12時の位置に立っています」というように、時計の文字盤に例えて示すクロックポジションという方法で説明されます。初めての能楽が音声解説無しだったら、私はきっと楽しめなかったと思います。

会場では能舞台の模型や能面の展示が行われていました。視覚障害者は触ってみることができます。私も試しに触らせてもらいました。私のように視力に頼っている弱視者や、中途視覚障害者には模型の方が触図よりも理解しやすいかもしれません。

狂言は言葉が分かりやすく面白いので、また行きたいです。
能は少しストーリーがわかりづらかった、というのが鑑賞直後の感想でしたが、その後、一般の能楽公演を見に行った際は、初回以上に楽しむことが出来ました。バリアフリー能で十分なサポートを得られたことが大きかったのだと思います。
バリアフリー能のおかげで、能楽との幸せな出会いをさせていただいたと思います。

2021年のバリアフリー能は終わりましたが、横浜能楽堂のオンラインコンテンツで能を楽しめます。また「能サポ」システムを利用できる能楽公演の情報については、システムを提供している檜書店に問い合わせてみてください。

オンラインコンテンツ「お家で楽しむ能楽堂」
「バーチャル能楽堂」、「みる・きく施設見学会」

https://yokohama-nohgakudou.org/barrierfree/#barrierfree-kengaku
YouTube動画配信
能楽についての解説、狂言、能全編が2022年3月30日まで公開されています。字幕や副音声付きで見られます。
https://www.youtube.com/channel/UCAsjv1plNL7nhQ5ZHJF4j5g
檜書店ホームページ
https://www.hinoki-shoten.co.jp


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また、noteと同じ記事をアメーバブログでも掲載しています。視覚障害をお持ちのパートナーさんから、アメブロが読みやすいと教えていただいたためです。もし、アメブロの方が読みやすい方がいらっしゃれば合わせてご覧くださいね。

https://ameblo.jp/theatre-for-all

こんな風にしてくれたら読みやすいのに!というご意見があればできる限り改善したいと思っております。いただいたお声についても記事で皆さんに共有していきたいと思いますので、どうぞ教えてください。

執筆者

鈴木弘美(すずき ひろみ)
1965年、新潟県出身。先天性白内障による弱視で、小学生から盲学校で学び、就職のため上京。現在は夫と都内で2人暮らし。趣味は海外旅行とサンバ、ボサノヴァのギター弾き語り。2013年に世界一周。2020年趣味が高じて総合旅行業務取扱管理者資格を取得。

協力

サニーバンク
サニーバンクは、株式会社メジャメンツが運営する障害者専門のクラウドソーシング サービスです。「できない事(Shade Side)で制限されてしまう仕事より、できる事(Sunny Side)を仕事にしよう。」をテーマに、障害者ができる仕事、障害者だからこそできる仕事を発注して頂き、その仕事を遂行できるサニーバンク会員である障害者が受注するシステムです。
障害者が働く上で「勤務地の問題」「勤務時間の問題」「体調の問題」「その他多くの問題」がありますが、現在の日本では環境が整っているとはいえない状況です。障害があるために働きたいけど働くことが困難、という方に対して、サニーバンクでは「在宅ワーク」という形で無理なくできる仕事を提供しています。



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