『文化なき国から―喜劇一幕』劇作ノート
イプセン風のリアリズム演劇を書いてみたい。そういう素朴な意欲から本作の執筆ははじまった。もちろんイプセンが描いた関係を現代の日本に置き換えるだけなら、演出の次元の作業で事足りる。これまでいくつかの既成戯曲を演出してきたために、演出家として「解釈し、表現する」ということを曲がりなりにも覚えてしまったので、劇作家としての独創性を追究しなければ、納得できなくなっていた。
ところが、「文化なき国」育ちで読書なんか一切生活になかった自分にとって独創性は断念されている。文字にまったく触れなかった、というわけではない。受験勉強のためだけに、文章を読むことを覚えた。味のない食事。重要なのは、問題作成者の意図に沿った解答によっていくら点が稼げるかということのみである。最短の時間、最小の労力で読解するためのテクニックだけを身につける。今でも、読書は楽しくない。たんなる義務である。演劇も同じである。20代を棒に振ったわけであるが、まったく楽しくない。観るのも、創るのもである。しかし、それでも辞めずに続けているのは、ただの意地ではない。
読書も、演劇も、不条理な現実を突きつける。読書に人々を向かわせるのは知的好奇心である。しかし、それが満たされたという感覚になったとき、人々の知性は失われている。知的好奇心と知性を同時に持ち続けるためには、永遠に満たされずにいる、欲求不満で居続けるという、真正のマゾヒストでいなければならない。演劇に人々を向かわせるものは、現代では存在しない。この世界で人間が、物理的な制約、経済的な制約にさらされているという現実を直視しつづけるために、現代の人々は演劇に触れなければならない。
以上のようないささか屈折した思想によって、読書と演劇に向かい続けている。人を狂わせ、惑わし、心を乱す世界で、自分の心だけはなんとかマトモな状態で維持したい。そうすると、予測不可能な事態にも柔軟に対応できる、強靱な精神を持つことができるーーー決して他者とともにあり、他者を理解しようと努めるためではない。もし、演劇にそのような効能があるのだとすれば、演劇界はもっと優れた人格者で溢れ、尊敬の念を向けられるような存在であるはずである。
今回、参照した作品は思ったより多くなった。現代で、大阪で自分の生活に近しい場面設定をあえて選んだから、平均年収などの統計的資料だけで十分かと思っていたのだが、結局途中で先達に頼るしかなかった。イプセン『人形の家』とシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』は今回出演する俳優にも読んでもらった。イプセンはほかに『ヘッダ・ガブラー』も、百合の造形の参考にしたし、月並みな発想ではあるが、モーパッサン『女の一生』も久々に読み、いくつか反映させている。なお、俳優には三島由紀夫『女は占領されない』『薔薇と海賊』も読んでもらったが、これはあまり参考にはならなかった。前者は大人すぎたし、後者は設定があまりにかけ離れていたのである。それでも、劇作家として参考にした作品を俳優にも読んでもらう、感想を聞いてみる、という試みによって、思いこみから解放されるような愉快な感覚におそわれた。これは今後も続けるべきだと思うが、あまりぐずぐずやっていると本番がはじまってしまうので気をつけねばならない。
そもそも、稽古がはじまってから、俳優が読む姿を見てから戯曲の改編を行うことは、ポリシーに反する。これは劇作家の、俳優に対する敗北であり、想像力の欠如を認めることであり、上演に対する屈服である。なんとか一回書き上げたあとに、企画をつくるところから始めたかった。そのつもりであったのに、結局稽古と並行して書き換えることになってしまった。心のどこかで納得しきれていないところがあったのだと思う。そこで、俳優の感覚を取り入れてしまわないように細心の注意を払いながら、書き換えていくことにした。モーパッサンの『女の一生』を読み直す。かつて読んだものとは翻訳が違い、こちらのほうがはるかに読みやすい。それでも、何も変わらない。シュレーフ『ニーチェ三部作』も読んでみる。何も出てこないーー
戯曲の修正は難航した。すると、あらゆる進行がストップする。演出家は待っている。待たざるをえない。こういうとき、演出家は何の役にも立たない。彼らは下請け業者であり、こちらの納品がないからといって何か提案をしてくれるわけでもない。
今回の難航の原因は明白で、修正のためのチェックリストを作り、まったくもってYesと言えずにいたところにある。
・冒頭20分以内で、効果的に主題と人物関係を暗示できているか
・冒頭20分以降、終始飽きずに作品世界に入り込める仕組みになっているか
・人物ごとの矛盾点(〇〇と言っていたのに、◇◇という発言・行動があるなど)がないか
・物ごとの背景の検討は十分か(彼らの人生が見えるか)
・強引に思われる部分があれば、強引に思われる理由を書き出す
・シュジェートを書き換えられないか
・書き足すべきか、削るべきか
・ラストが印象的か。美しいか
・批評の牙に耐えられる強度のある作品か
・数十年残る自信のある作品だといえるか
・芸術性とエンターテイメント性を両立できているといえるか
・意図していない、特定の人々に対しての差別的描写がないか
・企画意図を暗示的に伝えることに成功しているか
・読む人、見ている人の心を動かせるか
身体が縮んだような感じがする。さっさと見切りをつけて、諦め、手を抜くべきだった、とリアリストがつぶやいている。そしていま、劇作家はどこかに消えていなくなった。
宜しければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、今後の劇団運営に充てさせていただきます。