【映画】感想『エターナル・サンシャイン』と過去の恋愛
監督・脚本・出演・あらすじ
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルスティン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウィルキンソン、ジェリー・ロバート・バーン、トーマス・ジェイ・ライアンほか
久々に『エターナル・サンシャイン』を観て、感じたことをつらつらと書いていきます。
あらすじ(ネタバレあり・時系列)
この映画は、ジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)の二人の男女の話です。以下、まずは映画の時系列ではなく、本当の時系列で話を整理したいと思います(二人の出来事に特化しています)。
バレンタインを目前にして、すでにお互いへの思いが冷めつつあった二人は、クレメンタインの夜遊びが原因で喧嘩となります。
後日、ジョエルはクレメンタインに、仲直りの意味も含めてバレンタインのプレゼントを渡しに行きますが、彼女は赤の他人のようにジョエルに接します。それどころか目の前で新しい男といちゃつく始末です。この仕打ちに大いにショックを受けたジョエルは、友人の家でヤケ酒をあおるのですが、そこでさらに衝撃な事実を知ってしまいます。それは、クレメンタインがジョエルを記憶から消す施術を受けていたということ。
この事実を知ったジョエルは、自分もクレメンタインの記憶を消すことを決意します。しかし施術が始まったところで、ジョエルは記憶(潜在意識?)の中で、クレメンタインを消すことに抵抗し始めます。その抵抗も虚しく、最終的に記憶は消されてしまうのでした。
次の日、ジョエルはいつものように起きて会社に向かおうとします。しかしなぜかモントークに向かいたいという想いに駆られ、NYとは逆方面の列車に飛び乗り、モントークの浜辺に向かいます。
モントークでは、なぜかクレメンタインと出会います(もちろんお互いに記憶を消しているので、初対面だと思っています)。不思議とお互いに惹かれあい、仲良くなる二人。クレメンタインの家で呑んだり、凍結した湖で星空を眺めたりと、次第に距離を縮めていきます。
しかし星空を眺めて、朝クレメンタインの家に戻ったところで、お互い記憶を消しており、もともと付き合っていたこと、記憶を消す際には互いに数えきれないほどの悪口を言っていたことが発覚します。すでに相性が良くない事は実証済みのため、二人は別れることを考えるものの、結局再び共に過ごすことを選ぶのでした。
男女の恋愛観
初めてこの映画を観たときに抱いたのは、たとえ記憶を消してやり直しても、同じ人とお互い惹かれあって恋に落ちてしまうなんて、なんてロマンチックな恋愛を描いた作品だろうという印象でした。
しかし二度目の鑑賞後の感想は異なるものでした。理想のロマンチックな恋愛というよりも、むしろリアリスティックな恋愛が現れているように感じられます。
まずクレメンタインがジョエルとの記憶を消そうと試みたこと。一見するとヒステリックで衝動的な行動に見えますが、いわゆる「女性の恋愛観は上書き保存」的な恋愛観を象徴しているように思えます。記憶を消した後に、新たな恋人を作っている(新しい恋愛に進んでいる)というのもまたいわゆる「女性の恋愛観」のようです。
一方でジョエルは、復讐とばかりに記憶を消そうとするものの、途中でクレメンタインとの記憶を他の場所に移して残そうとします(結果としては失敗しますが)。これもまた男性は過去の恋愛をファイル別に保存するという、世にいう「名前を付けて保存」的な恋愛観を象徴しているようです。
以上のように、この話の胆である「記憶を消す」という試みは、リアルな男女の恋愛観の違いを浮き彫りにしようとしているように感じました。
(もちろん、そもそも英米でこのような男女の恋愛観が知られているのかという問題点はあります。これはあくまでも私の感想で、本当に監督や脚本家がこれを意図しているかは別の話ということで)
別れを迎えた恋愛の意味
この映画の最後は、相性が良くないとわかりつつも、今この瞬間に惹かれあっている感情を大事にして、よりを戻すという結末で終わります。ただし劇中でも、どうせ終わるとわかっている恋愛なのに意味があるのかといったやり取りは交わされます。
二人の行く末は映画内で描かれることはないですが、きっとジョエルとクレメンタインは結局別れることになると思います。そしてそれは、二人にとって予測していた結末だったことでしょう(少なくともクレメンタインは予期していたと思います)。
そうなった場合、彼らが葛藤したように、この恋愛は意味のないものだったことになるのでしょうか。生涯のパートナーを見つけることが恋愛の目的だった場合、今回の恋愛は意味のないものかもしれません。もっと言えば、別れを迎えた恋愛は全て意味のないものなのかもしれません。
ですが恋愛を少し引いてみて、人との出会いと捉えた場合、話は変わってくると思います。大人になって付き合いがなくなった小学生時代の友達。その出会いには意味がなかったのでしょうか。その瞬間を、その友人と楽しく過ごせたことに意味はなかったのでしょうか。
もちろん恋愛の場合は、別れる際に傷ついたり傷つけたりといったマイナスの側面もあります。そのため友情と単純に比較することはできないですが、同じ体験を楽しく共有できたひとときに意味はあったはずです。
現代社会は、VUCA(ブーカ)の時代(用語※)と呼ばれ、より一層、将来に備えることが目指されています。「AIに代替されない職業とは」といった議論は最たるものです。将来や結果、目的を優先するあまり、現在や手段、過程といったものは後回しにされる傾向にあります。
この映画は、約20年前の作品ですが、そんな結果ばかり重視する考え方はやっぱり昔からあるのだなあとしみじみと感じさせられました。同時に、自分を含めて将来や結果を憂慮してしまう人間に寂しさを感じてしまうのでした。
用語説明
※:VUCA(ブーカ)の時代
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