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〜〜〜ABYSS立ち上げ物語〜〜〜 第5話「ひょんな事」

前回までの記事で
「ABYSSがどういう仕組みでできているのか」
という事に触れていきました。

ここからは一気に時間は進み
今年の3〜5月の話に入っていきます

突然ですが、

僕の年間の活動は大体次の様な流れになっています。

・4月〜6月 比較的にゆとりのある時期
 大会で使用する曲のアレンジ 
 ベーシックなどの作成
 吹奏楽レッスン 
 ジュニアバンドのシーズン初め 

・7月〜8月 1年で最も忙しい時期
 マーチングレッスン
 大会などが徐々に始まる

・9月〜12月 4ヶ月が3週間ぐらいに感じる時期
 来年度のショーを作り始める
 大会や企画など
 定期演奏会が早い団体のアレンジ

・1月〜3月 日々制作の締め切りに追われる時期
 定期演奏会のアレンジ&レッスン
 次年度の準備
 新しいプロジェクトの準備

と言う感じで
とてもありがたい事に
年中それなりにバタバタとさせてもらっています。

ところが
今年は例年とは違う年度末となりました。
皆さんご存知の通り新型コロナウイルスです。

今この瞬間も
多くの方がこの
新型コロナウイルスに苦しめられていると思うと
記事に書くのも躊躇うところですが、
僕の場合の話だと思って
読んでいただけたら幸いです。

2020年初め
いよいよ「今年は社会人バンドを作ろう」
という計画を立て始めたのですが、
そこには大きな課題がありました。

それがメンバー募集についてです。

第2話を見てくださった方は
お分かりだと思いますが、
実はここまでメンバー募集は
1度も成功していませんでした。

特にその時課題として挙がったのが

・県内の若いプレイヤーに
 アプローチする方法がSNSしかない。
・僕を含めスタッフがドラムだらけで
 ガードとブラスの募集をかけにくい

といったことでした。

色々と策を練りましたが、
決定的な案は出て来ず、
初年度は
パーカッションチームとして活動を開始し、

2年目にはガード
3年目にはブラス
という様に徐々にセクションを増やしていこう

という作戦を立てました。

前年の失敗を繰り返さないために
念入りに計画を立て
メンバーを募集するための準備が
8割程進んだところで
新型コロナの猛威がやってきました。

この時期(3月ごろ)
このウイルスがどれほどの脅威なのかは
まだ誰もわからず、

とにかく今は様子を見るしかないという状況に
じっと耐え続ける期間でした。

恐らく多くの方がこの
苦痛を経験された事だと思います。

そうこうしているうちに
コロナの影響で
僕個人の活動もほぼ全てストップしました。

とにかく落ち着きのない僕にとって
何もやることがない

というのはとても辛い生活でしたが、
「長期的に時間の余裕がある」
というのはこの数年で初めてのことでした。

このままじっとしている訳にもいかないと
いくつも手を打った内の
1つが個人レッスンでした。

そして
ここで出会った人の言葉で
この後 急展開を見せます。

ある日DCIを目指している
という方のレッスンをさせてもらう事になりました。

「DCIのトップチームを目指している」

という話を聞いて
僕のレッスンを受けてくれるからには
目標を達成できるだけの内容は
必ず教えるつもりでした。

ところが初レッスンの日の朝、
僕の頭に1つの矛盾がよぎりました。

「決して安くないレッスン代を
毎回僕に払うという事自体が
DCIを目指す上で
妨げにならないだろうか?
お金をもらって技術を教える事が
本当に目標を達成させてあげられる
一番の方法だろうか?」

と言う事です。

ご存知の方も多いとは思いますが、
DCIを目指すの本当にお金がかかるもので、
渡米費など全て含めて
1年に100万ぐらいかかるのは
当たり前の世界です。

とはいえ僕も仕事としてやっているので
タダという訳にも行きません。

そこで僕は閃きました。

「お金は貰わないから代わりに
僕の活動を手伝って欲しい。
具体的に言うと
今ドラムチームを作ってるから
同年代のドラムの子たちに
この話を広めて欲しい」

と提案しました。

すると
しばらく考えてから予想外の返事が返ってきました。

「それって

ブラスとガードはダメですか?」

その瞬間ハッとしました。

僕が
「いくら考えてもどうにもできなかった事」
その人にとっては
「ちょっと考えたらできそうな事」
だったのです。

僕はレッスン代として
お金を受け取っても
若い子たちへのアプローチはできませんが

その人にとっては
お金を払うより
知り合いに連絡を取る方が負担が軽い

というものでした。

これをキッカケに
お互いの持っている強みが合致する事で
間にお金のを挟むよりも
遥かにWin-Winにできる
と気付きました。

これを僕は価値の物々交換と呼んでいます。
とても理にかなった仕組みを考えたので
これについては別で記事を書きます。
お楽しみに!

その数日後本当に驚いた事に
その人の紹介で10人近く
興味を持ってくれた方々が集まってくれました。

その人は今もABYSSで活躍してくれています。

これをキッカケにこの後

・資料作成
・楽器の手配
・スタッフ陣の結成
・クリエイターの方々に相談
・団体名の決定
・ロゴ、デザイン関係

などなど
ものすごい勢いで準備が進み始めます。

と言うわけで当初考えていた

「ドラムチームを
3年かけてマーチングバンドにする」

と言う計画はひょんなことから
1年目からマーチングバンドとして
動き出す事になりました。

今年は0年目です

あのレッスンの際の一言のおかげで
この計画は3年前倒しで
スタートすることができました。

2020年3月からコロナの影響で
正直僕自身かなりのダメージを負いました。

僕の周りでも
心が痛む報せが多く、

「なぜ今このタイミングで…」

と膝の力が抜ける瞬間もありました。

一方で
この状況にどうにか対応しようとした結果
これまで話す機会のなかった方々と出会い
「The ABYSSが誕生した」
と言うのも事実です。

何がキッカケになるかは
本当にわからないものですね💦

次回、ついに…


〜ABYSS立ち上げ物語〜

第6話

「The ABYSS誕生」

https://note.com/theabyss/n/n8302fb12c0ca


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