イチゴのたね#7「Gift&Effort」
"才能のない分野で楽をしろ。才がないからどうやって力を使わずにできるか考えろ。
才能のある分野でとことん努力しろ。神様があなたに与えたこの世界に生きる意味なのだから。
そこに間違いはない。なぜなら貴方が歩んだところが道だから"
こんにちは。大学1年生のStomuです。
この前電車で耳に入ってきた会話がありました。
「努力という才能ってあれ日本語おかしいよな」
「なんで?」
「だって才能がないから努力してるのに、それを才能って言われちゃ原因おかしくなるやん」
「たしかにー」
マジレスすると努力は才能がないからではなく結果を得るためにしているんですけど、この話は少し面白いなと思いました。
そしてこの会話はこう続きました。
「でさ、才能のあるやつが努力してみなよ。一生追いつけないよ。あらかじめ下駄履いてんだから」
「じゃあ努力は無駄ってこと?」
「いやきっと才能のあることに努力すべきなんだよ」
「才能のないところに努力はしない方がいいってことか」
「そうね。才能のないところは闇雲に努力というより工夫とかしてなんとか乗り越えるのが大事なんじゃね?」
「頭を使うってわけか。」
「そしたら苦労も少ないかなって」
「努力が苦痛ってのもおかしな話だけどね」
「たしかに。でも決して楽しいもんでもないよな」
みたいな会話でした。
この子たちは部活の帰りの様だったんですが学校で何かあったんでしょうか。
学生時代に、こんなに真面目な会話を交わした経験は私にはありません。
なんというか大人はみんな努力でなんとかできると我々を励まします。
でもその方向性は真っ向で勝負する努力なのです。
また、努力は平等に与えられた能力だとも言われます。なら少年の言う通り、下駄を履いてる分だけ追いつきません。それ以上の努力をすると言う解決策もこれまたみんなができます。
そうするとどちらが先に力尽きるかの我慢勝負になり、互いに身を滅ぼす結果となります。
"本当の努力の仕方"
ってなんなんでしょうか
私なりに考えてみました。
そもそも前提として努力は目的達成のためのプロセスですから無駄なんてことはありません。ですが競争に勝つためとなると話は変わります。
相手を上回らなければなりませんから努力に限らず、運や才能も総動員です。
競争のない社会はあるかどうか考えてみましたが、さっぱり想像がつきませんでした。
学校でも入試でも就職でも出世でも何においても競争の中に我々はいます。
常に誰より何が優れているかを問われます。
かっこいい音楽が作れます、絵を上手に描けます、とても速い球が投げられます。様々ですが、能力値が高い人というのは存在します。それは才能も然りですが努力によって掴んだものです。
さて、では才能のある人は努力をしないのか。
答えは
『否』
でしょう。
テストなら満点がありますから才能で満点を取れてしまうなら努力はないでしょう。
しかし、世界に満点はおおかた存在しません。
常に青天井です。才能を持つ人はこの天井を押し上げる使命を背負って産まれたとも言えるでしょう。
そうです。ここに努力をするべきなのです。ここに間違いは存在しません。それを間違いにするにはあなたがさらにより良いものを作り出すことしかありません。あなたが歩いてきたところが道になるのですから。
では才能のない分野ではどうするのか。
その答えは
どうやったら平均値にいくのか頭を使うこと
でしょう。
努力の性質をがむしゃらや闇雲に変えてしまうとかえって良くないことは多い気がします。それなら工夫をして難所を越える努力をするのが良いと思います。いわゆる及第点を取ればよいのです。なぜなら、貴方には他の分野で才能という武器を持てるからです。
勝負はそこ。猛者同士で戦うために努力をするのです。
という年下の少年が教えてくれた才能と努力、Gift&Effortの話でした。
才能を見つけるためには、がむしゃらにやるしかないかもですねwww
てことで、才能を見つけてきます👋
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