目の前の事
「暑いですね」
会話の殆どがこれになってしまっていて。
パリ五輪!
大統領選!
シュプリームが売られた!
などなど、普段なら話してるであろうあれこれが、どうでもよくなっているのです。
まず、自分に起きている目の前の事を。
これが大きければ大きいほど、周りが見えなくなり。
今は殆どの人が、暑さに覆われていて。
これをヒートドーム現象と呼ぶのです。
嘘です。
目の前の事しか見えなくなるというのは、本当で。
とある小説で、「政治家の給料は高くあるべきだ」と書かれていました。
その理由が「貧乏だと目の前の生活をどうするかしか考えられないから、未来を考える政治家には不向き」だと。
まあ、高い給料を貰い、資産があっても、裏金を作ってる現実があるから、あまり説得力は無いんだけど。
でも、その時は、確かにと思ったのです。
目の前の事しか考えられなくなる。
僕が変われない理由もここにある気がして。
自分の目の前に起きている事といえば、お客さんとのあれこれで。
毎日のように誰かが会いに来ては、くだらない事から、大きな悩みまで。
様々な事柄を運んでくるので、僕はいたほうがいいなと思ってしまうのです。
これを書けば書くほど、「あいつは頭が固い」「何を言っても無駄だ」と、匙を投げられそうなんですが、ごめんなさい。
呆れないで、末永いお付き合いをお願いします。
自店の菓子パンで太ったお客さんを見て、商品を食事パン2種だけに絞ったパン屋さんとか。
ランニングショップで働いていた人が、ランナーの怪我が絶えない事を疑問に思い、シューズに問題があると考え、自ら画期的なシューズブランドを作るとか。
これらは創業や転換点の話ですが、やはり人は、目の前の事に対して関心がいくと思うんです。
僕がカフェラテのお店にしようと思ったのも
美味しいけど高い牛乳→普通の安い牛乳→もっと安い加工乳
こんな感じで変遷していったお店を見て、牛乳にこだわったカフェラテにしようと思い、始めた訳で。
ただ、始めてみると、そんな事よりも目の前の人のほうが大切だと思い。
商品のクオリティは大切だけど、それは当たり前の事でしかなく、相手の幸福には繋がらない。
僕自身、カフェラテを作る度に「これは最高の商品で、全人類に飲んでほしい」みたいな、強い思いを抱いてる訳ではなく。
謙遜ではなく、普通に美味しいぐらいだと思っているのです。
じゃあ、僕がお店を続ける理由は何だろうか。
最高の物をという気概がなく、他に美味しいコーヒー屋はいくらでもあるのに。
そう考えると、やはり目の前の事に戻ってくるのです。
それは、お客さんで。
「暑いー」と、顔を真っ赤にしながらも、どうしても来たいと思ってくれてる人の為で。
僕の目の前には毎日こんな人が来るもんだから、他の思考に飛んでいかないのです。
遠く先を見据える人はかっこいいけど、目の前の事をやり続けるってのも悪くないのではないか。
そんな事を思いながら、日々お店で過ごし。
「暑いですね」
と、言い合うだけだとしても、誰かの為になっているのなら、お店は開けていようかと。
あー、やっぱり変われそうにないですね。
目の前に人が来すぎてるんだと思います。
定点カメラでその様子を見てもらえれば、僕が変わらない理由を分かってくれる気がします。
『ドキュメント72時間』とか、どうでしょうか?
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