見て、考え、想像する。が、出来ない。
質問や会話について。
うちには沢山のグッズが売っていて、プライスキューブを置いていたり、金額を貼り付けたりしているにも関わらず、聞かれる事があります。
「これって売ってますか?」と。
お店の外にはOPENという看板、扉も開け放し、そこからは音楽も聞こえてきて。
テラスにはお客さんが座り、楽しそうにドリンクを飲んでいる。
店に入ると僕がいて、正面にはエスプレッソマシンが鎮座している。
それなのに聞かれる、「やってますか?」と。
売ってるし、やっている。
見て分からないから聞いてると思うんだけど、見てわからないというのが心配になる。
文字通り『見てる』だけなんだろう。
見て、考え、想像する。が、出来ない。
よく思う。
質問をする前に考えたのか、どんな答えが返ってくると思って質問してるのかと。
昨日のバナナの話と同じか。
人がどこでコミュニケーションの方法を学ぶのか分からないけど、僕は基本的に相手の答えを想像しながら会話をします。
この人ならどう答えるか。
質問をしながらも、その答えを頭に思い浮かべ、思ってたのと違ったら、なぜそうなのかをまた質問する。
常に、考えながら、考えながら。
話を聞いてる時もそう。
相手が何を言いたいのか、どんな着地をするのかを想像し、なんなら手助けをしながら話を運んでもらう。
察する力、今で言う見聞色の覇気には自信がある。
コビーも真っ青だ。
はあ、つまらん。
昨日、またエスプレッソの問題が起きた。
品質の問題ではなく、当店恒例のシングル、ダブル問題だ。
「シングルかダブルどちらにしますか?」
「よく分からないから、シングルで」
なあ、その枕詞は必要かね?
「はいよー」と、ラーメン屋の店主さながらの野太い声を心の中で発し、ふざけながらじゃないとやってられなくなりました。
「よく分からないから」という言葉のずるさ。
あわよくば説明をしてくれるんじゃないか。
こちらにボールを渡しつつ、「返してくれたら嬉しいな、まあどっちでもいいんですけどね。」と、澄まし顔。
僕はそのボールを受け取らずに無視をしたんですが、それはそれで悪いことをしたなと感じてしまい。
なんだこの罪悪感は。とやり切れない気持ちになりました。
質問をする前に考える事、分からない事はちゃんと聞く事。
これが出来る人が好きです。
相手に委ねるのが悪い訳ではないけど、初見でそれは悪手だと思う。
僕みたいな意地悪大魔神だと、分かってて無視する場合があるので。
本当はダブルのほうが美味しく飲めたかもしれないのに。
一生、シングルとダブルの意味を分からずに生きていくのかな。
せっかくの学ぶチャンスだったのに。
と、思ったけど、どう考えても僕が悪くて。
カフェの店主としての対応を間違えている。
本来は優しく接するべきで、これが慣れの怖い所。
僕も昔はこんなんじゃなかった。
初心忘るべからず。
仕事なのか、趣味なのか。
その境目をしっかり持たなくてはと思った出来事でした。
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