やはり、問い
話が深まり、発見をくれて、楽しませてくれる。
こんな人は、奇跡なのです。
昨日、こんな事を書きまして。
「当たり前にそんな人がいると思ったら大間違いだぞ!」という、謎の警告をしました。
最近、僕は贅沢な時間に気づきまして。
お世話になっている先輩に、ご飯に連れて行ってもらったんです。
その人と話したい人は沢山いて、あの話を聞きたい、相談をしたいという人は、列をなしていて。
御本人は否定しますけど、僕には確信があるのです。
そんな貴重な機会を作ってもらっといてなんですが、あまり仕事の話はしなくて。
初めての時は、僕が質問責めをしたんですが、それ以降はあまりせず。
もちろん話の流れで過去を振り返ったり、僕がその時に思ってる事を聞いてもらう事はあるんですが、それでも会話の2割もないんじゃないかと思います。
仕事の話は。
これが、贅沢だなと。
僕はただただ楽しい時間を過ごしていて。
本当は、いや、本当はっておかしいか。
でも、本来ならそんな人を捕まえといて話す事は、もっとあるはずなんです。
事前に質問を認め、あれをこれをと準備するのが当たり前で。
経営者として、飲食業の先達として、人生の先輩として。
聞かなければいけない事は山程あるんです。
でも、そうじゃない時間も楽しくて。
僕も、お店にいると思う事があるんです。
経営とか、コーヒーの話しかしない人って、あまり楽しくないなと。
話せる事はあるけど、なんかもうそこはよくないかと。
何回目だろうと思う事もあるし、それを聞いてどうするんだと思う事もある。
相手の仕事を聞いて、それを広げていくのは簡単で。
最初はそれでいいんだけど、毎回毎回それだと楽しくなく。
なんだろう、義務感に近いというか。
間を埋める為の会話でしかなくて。
それはよくある事なんだけど、心は動かされないと思うんです。
会話しながら考えてますもんね。
どうしたら楽しく話してくれるかとか、どういう展開にしたら言葉が詰まらないかとか。
攻略してる感覚か。
いかにこの時間を退屈しないかという。
得点よりも失点しないゲームみたいな。
だから、楽しさに欠ける。
想定外の答えが返ってくる事は少ないですしね。
この方との時間を贅沢に感じるのは、何であなたとこんな会話をしてるんだろうかという、心地よい違和感があり。
それ故の、頭を回転させないと理解が出来ない事や、適切な質問が浮かばないという緊張感もあって。
帰る頃には満足感でいっぱいなのです。
「うちの店でカフェとかコーヒーの話はつまらないからするな」
そんな事を言いたいのではなく。
それを贅沢に感じてくれてる人もいるかもしれないけど、もっと普通の会話が楽しかったりしますよと。
せっかく人がお店に立っているんですからね。
コーヒーや経営の事はいくらでも本に書いていますし。
「どんな人が面白い人だと思います?」
こんな抽象的な質問をぶつけられたほうが、僕の頭は回るのです。
それが発見を生み、楽しさに繋がるのです。
やはり、大切なのは問いですね。
という事は、これも紹介しないといけないな。
佐野元春さんがキリンジに送った問いです。
これ以上に痺れる問いを、僕は見た事も聞いた事もないのです。
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