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『面倒』という部分と、『出来る』という事

新年度が始まり、お客さんと新人について話す事が増えました。

毎年人が入れ替わる。

今の僕には無い事なので、それが少し羨ましく。

そんな話をすると、「人を雇ったらどうなの?」と言われまして。

すぐに、「人が一番のストレスなので嫌です」と答えてました。

お前がさっき羨ましいって言ったばかりだろうが。

と、この人は思った事でしょう。

すみません。

昔から団体行動が苦手な訳ではないのですが、一人でいたほうが気が楽で。

ぼんやりとストレスという言葉を当てはめたのは、仕事を始めてからだと思います。

高校生の頃、コンビニで働いていた時は、誰と一緒のシフトかが大切で。

外れの先輩と一緒だった時は、5時間何も楽しくなく。

(外れとか失礼な奴だ)

仕事というのは、『内容』よりも『誰と』の部分が大切な気がする。

と、思った15歳。

大学生になり、大手コーヒーチェーンで働き始め、人がストレスだと確信を得た、18歳。

やはり人だな。

同じ内容、同じ目標に向けて一緒に働いてるはずなのに、どこかで歪みは生まれ、破断しないように誰かが接着剤の役割をし、お店は運営されている。

これに気が付きました。

いつしか社員として働くようになり、店舗の在籍人数が100人近くいる所にいた時は、どう楽しく働いてもらうかしか考えてなかった気がします。

それが仕事だと思ってたし、もし、今当時に戻れたとしても同じ事をすると思う。

それぐらい、スタッフのモチベーションを高める必要がありました。

ただ、「日々機嫌よく働いてもらう為に」と頑張ってはいたけれど、心の中では思っている事があって。

「お前ら、仕事をしに来てるんだからな」と。

誰かに機嫌をとってもらわないと気持ちよく働けないってのは、ちょっと間違ってるぞと。

もちろん環境が最悪だったから、当時一緒に働いていた子はしょうがないんだけどさ。

ただ、どうやったら気持ちよく働けるかを考えていた結果、もう誰かと働くのが嫌になってしまったのです。

『面倒』という部分と、『出来る』という事が分かったので。

「また沢山の人がいる所で働けばいいのに」。

一緒に働いていた後輩に言われた事があります。

「得意じゃないですか」と。

そう得意。

でも、やりたい事ではない。

一人の楽さに慣れきった今、もう戻れない気もするし。

ただ、どうしてもうちの店舗を立て直してくれ。

みたいな事を言われたら、心が動くかもしれない。

得意な事は、ふと、発揮したくなるものなのだ。

全く通用しなかったら凹むけど。

でも、人間関係の構築は、時代が変わったとしても根本の部分は変わらないと思う。

話を聞き、原因を知り、改善し、上手く出来たら褒め、自分が誰よりも働く。

簡単に書くとこんな感じ。

これを、さぼらずにずっと続ける。

やっぱり、やりたくないかもしれないな。

あれはあれで楽しさはあるんだけれど。

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