読書感想文 『”山”と”谷”を楽しむ建築家の人生』

最近建築に興味が出てきた。

MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO を知ってからだ。

おおらかで大きな意味での自然を愛する方々、という印象。

建築物自体もおもしろいと思うのだけど、建築家の言葉や考え方が好き。

建築は明らかに周りの環境に影響を与えるし、何十年もそこにあり、数えきれない人が利用する場合もある。

そんなものを設計しようというのだから、めちゃくちゃ責任が伴う仕事だよなぁと思う。

だけど、建築家はとてもロマンチックな言葉で語る。

(接続詞は "だからこそ" なのかもしれない)

ロマンティックに現実問題を解決する、なんてどうすればいいのか、自分の環境の中では中々想像しづらい。

だからこそ、建築家は尊い仕事だと僕は思う。

この本は、山崎健太郎さんに興味を持って調べていたところ見つけたものである。

浜松の nicoe にはこの本のインタビュイー 永山裕子さんと、谷尻誠さんそれぞれが設計したものがある。

そんな繋がりを見つけながら読んでいくことがとても楽しかった。

建築とは唯一、最大公約数でつくる必要がないもの

施主が居て成り立つ世界なので、本当そうだよなと。

プロダクトと比較して施主の姿がはっきり見えているので、その人や周辺のために100%エネルギーを注ぎ込めるのは建築家として冥利だろうなと想像する。

その分言い訳もできないし、厳しい場面はあると思うけど、クリエイティブと責任を全うする素晴らしい職業だなと改めて感じた。

一方、プロダクトも本質的には最大公約数でつくってはいけないとも思う。

古い建物を使い続ける価値 というのは物理的な機能だけでなく、そこに刻まれた記憶や時間の痕跡にもあるはず

個人的に最近、寺社仏閣や日本の文化に興味が湧いてきてここで言っていることに共感できた。

そこに刻まれたものを上から塗ってキレイにピカピカにする技術や考えがあることは理解できる。だけど、時間は戻らないので記憶を持っている人が死んだら世の中からなかったことにされてしまう。

時間は再現できないので、歴史を大事にするというのは、後世を大事にするつまり、自分達を大事にすることでもある、と気づいた。

建築をつくるということは(中略)自分の中にある固有のものを素直に出して、建築というかたちに翻訳していくということなのかもしれません

建築は社会と強く結びついている無視できない存在であるにも関わらず、アート性が介在していることがおもしろい。

建築家は、要望や希望を叶える役割を担うデザイナーであると同時に、
均質ではなく固有の価値を体現するアーティストでもある。
そして、エンジニアリングも行う。

むかしの科学者みたいだ。


そして、建築家は必ずぶっこわすやつらだな、とも思った。

”普通” とか ”従来” をどんどんぶっこわす。

施主や環境が持っている独自性に注目していくと、必然的に同じ価値観は存在しなくなるのかもしれない。

逆に ”普通” だと仕事がないから切実なのかもしれないな、とも思った。


建築家の動向に注目したい。



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