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読書感想文 『ナラティブ・アプローチ』

きっかけ

建築家  谷尻誠主催のイベント THINK を見ていた時に、”ナラティブ” というワードが出てきた。

聞きなれない言葉を使われるのはイヤだな、と思いつつ意味を調べてみると ”物語り” とあった。

”ストーリー” と何が違うのか、と思った。が、言葉に含まれるニュアンスとしては共感するものがあると感じ、いくつか本を読めばその意味を理解できるのでは、と思い、amazon でレビューされていた書籍を幾つかポチとした。

そのうちの一つがこの 『ナラティブ・アプローチ』である。 

気づき

まず、ナラティブとは何か、ということ。

”物語”、 ”語り”を含む概念であるということが分かった。

ストーリーの上位概念であることが分かった。

物語=ストーリーは、三人称目線で語られるものが多い。例えば、ももたろう、などである。そこに語り手の感情や、感想は含まれない。

一方、”語り” は一人称による叙述と解釈できる。つまり、感想文や演説内容もそれにあたる、と思われる。

これらがナラティブの正体である。(と、ぼくは理解した。)


現場の生きた姿を知るためには、事後的に認識するのではなく、現場でのアクチュアルな出来事の進行に入り込まなければならない。

エスノグラフィーの文脈の中で出てくる説明である。

文化というのは、語り継がれてきて、集団の記録になったものであるが、現場では常に、その 文化に対する問題提起や新陳代謝が起こっている ことを理解しなければならない。

確かに、自分の身で置き換えてみてもそうだなと思った。

例えば、日本人は礼儀正しいと言われるが、そうではない行動が social media で見られたり、内心逆のことを思っていたりするケースも多い。

つまり、一般的なイメージや理屈は常に最新ではない、ということを心得ておかなければならない。最新のリアルな状況を掴むためには、現場に行って、語りを引き出す必要がある、ということに納得する。


人が絡む場合、客観的・論理的問題解決方法が機能しない場合もある。
(中略)自らを正当化するために、抵抗するだろう

確かにあるなぁと想像できた。

社会人になるにつれて身につけて行った ”ロジカルシンキング” の弱点はここだなと思った。

すべてが客観的事象で成り立つ事柄の場合、人は絡まないので、全員にとって客観的であることが成立する。しかし、人が絡むということは主体者がいるということであり、その人にとっては、何をどうやっても主観性を取り除いて話をすることは原理的に難しいだろう。(できる方は、かなり理知的・理性的で悟っておられる。)

その場合、問題をぶつけるのではなく、その人がどう思うのか、どうしたいのか、という 一人称の語りを引き出す場 が必要となる、とあった。

問題を投げるのではなく、人から引き出す。

ある意味問題提起側は、その人のパーソナリティや組織の理論などの前提を一回忘れて、ひたすら語り引き出すことに集中する必要があるだろうな、と思った。


やること

訓練が必要だが、本当の意味で相手の立場を理解して、本当の意味での共感をし、問題解消を図るには必要になっていく人間能力じゃないかと。

工学の分野にいると、このような人間と向き合う姿勢を一切学ばない傾向がある。

学問が分かれる前は、人文や社会と知を共有していたと思われるのだが、専門性・効率性が求められていくと、周辺知識は削られ、先鋭的になるのは仕方のないことなのだろう、か。

ぼくは工学者と人間を近づけることで、工学者自身そして、享受する側どちらも幸せになれると信じている。

これを課題意識として今後生きていきたい。

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