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ルワンダの大虐殺を生き延びた生存者との衝撃的な出会い - ルパート(ルワンダ)【Part 1】

「同じルワンダ人同士が、敵となる。
昨日までは友達だったのに、信頼している同僚だったのに、ある日を境にいきなり命を狙われる。木を切るための鉈が、人を斬るために使われる。
たったの25年前の出来事だとは思えないでしょう…。
でも、僕の目の前でその現実が起きていたんです。
生きる地獄とは、まさにこのことでした。」

***

私達夫婦の世界一周旅の10か国目。
ルワンダの首都キガリに到着した後、予約をしていたAirbnbに向かった。
そこで出迎えてくれたホストが、本日の主人公・ルパートだ。

彼に部屋を案内してもらい、雑談をしていたときのこと。
『普段どんな仕事をしているんですか?』と聞いてみたら『漫画を描いてるんだ』という予想外な返答が。
『へえー!どんな漫画ですか?見てみたい!』と思わず図々しい質問を口にしてみたところ、
『実は僕、大虐殺の生存者でね…。その時の話を漫画にしたのがキッカケだったんだ。』

『…!』

またしても自分たちの出会い運の強さにびっくりしてしまった。まさか前日に取ったAirbnbのホストがこんな方だとは…
『是非、話を聞かせてほしい!』とその場ですぐに取材を申し込んだのはいうまでもない。

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ルワンダといえば大虐殺を思い浮かべる方は多いだろう。
でも実際に何が起きたのかを知っている人は限られているのではないだろうか。

私たちもまさにその一人だったが、まず驚いたのは、それが起きたのが1994年、たったの25年前の出来事だということ。まだルワンダでは色鮮やかに人々の記憶に残っているのだ。
当時19歳だったルパートは、もちろん一部始終を覚えている。いや、覚えているどころじゃない。目の前で、父親や友人を亡くしている。
そんな彼に、合計3時間以上にわたってインタビューをさせてもらった。

正直なところルワンダの大虐殺なんて他人事だと思っていた私たちにとっては、ハッとさせられる時間だった。
教科書に数行書かれているだけの歴史の出来事の裏では、ルパートのような「普通の人」の人生がひっくり返っているのだ。

皆さんも、旅をしたときに、それまでは他人事だったようなことがいきなり身近に感じられるようになる、という体験はないだろうか。
それが旅の醍醐味だよなあと思うのだが、ルパートとの出会いはその究極体験だった。

長くなるけれど、私たちが受けた衝撃を、そしてそこから得られた様々な気づきを、皆様にお伝えしたい。
 Part 1. そもそもなぜ大虐殺が起きたのか(そしてそこから私たちが学べるものは何か)
 Part 2. 血みどろの100日間を生き延びたルパート本人の体験談
 Part 3. そんな経験をしたルパートが考える「生き方論」
3つのパートに分けてお届けしていこうと思う。

Part 1. 
そもそも大虐殺がなぜ起きたのか

大虐殺では、当時の人口800万人に対してなんと100万人が殺されている。
しかも、一般市民の手によって。
ルパートと話す前に訪れた虐殺記念館(下の写真)では、その残酷な現実に気分が悪くなった。武器として使われていた鉈(なた)や、パックリ割れたこどもの頭蓋骨などが並んでいたのだ。

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それまで共に住んでいた仲間たちをこのような残虐な形で殺せるって、相当な動機がないとできない。疑問で頭がいっぱいになっていた私たちに対し、大虐殺が起きるまでのストーリーをルパートが教えてくれた。本パートでは、それをそのままお伝えしていく。

歴史はあんまり詳しくも特に好きなわけでもない私たちが、食いつくように聞いてしまった大虐殺の歴史。なんといっても、当事者が語ってくれたわけだから、一言も逃してはならないという気持ちでメモを取り続けていた。

そこには、今私たちが学ぶべき「人間関係」や「組織づくり」のヒントが、詰まっていた。

(歴史より本人の体験が知りたいんだ、という方はPart 2へ!)

***

「『民族』という言葉は、共通した言語や文化や宗教などをもっている人たちのことを指しますよね。
ルワンダはもともと一つの民族だったんです。でも第一次世界大戦終了後、ベルギーに植民地化されたことがキッカケで、国が分断されてしまった

ベルギー人たちは、ルワンダ人を3つの『民族』に分けました。家畜を育てる農家だったらツチ族、農作物を育てる農家だったらフツ族、職人だったらトゥワ族、という風に。それだけじゃなく、鼻の大きさなどの身体的特徴でも無理やり分類されていった。全員、所属を証明するためのアイデンティティカードを持ち歩かなければならなくなったんです。

信じられますか?そんな簡単に分断を作れてしまうってこと。
そして、それまでは争いなどなかったのに、それ以降は問題だらけになってしまったんです。」

「…ということは、大虐殺で敵対した部族というのは、ベルギーという第三者によって人為的に作られた、ということなんですか…!」と、思わず口をはさんでしまう私たち。

「そうです。しかも、ただ分断するだけじゃなかったんですよ。

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当初の王族はツチ族でした。ベルギー側ももともとはそれを支援していたのですが、王族側が独立を要望し始めると、状況が一変します。ベルギー側は『そう来るんだったら、もうフツ族側を支援するしかないなぁ』って。乗り換えたわけです。

それから、ベルギーはフツ族に武器などの支援を行うようになって。それによって、両者間の緊張関係がどんどん悪化していきます。それが徐々に激しくなっていき、1959年には、たくさんのツチ族がフツ族によって殺された『ルワンダ革命』へと発展。生き残ったツチ族の多くは、隣国へと逃れていきました。一方、ルワンダにとどまるという判断をした人もいた。僕の父親も、その一人でした。でも、その人たちを待ち受けていたのは、抑圧の日々だったんです。

ルワンダ革命によって生まれたフツ族の新政府は、ツチ族に対する「人種」政策を徹底的に行いました。小さい頃から、部族意識および優劣関係がしっかりと刷り込まれるよう、教育の在り方まで変えたんです。例えば学校では、フツ族が前に座り、ツチ族が後ろに座り、トゥワ族が真ん中に座るというルールになっていました。子供たちはそれでも無邪気にいっしょに遊んでいたけれど、成長するにつれて少しずつ、自分に貼られたラベルを意識するようになってしまうわけです。

そんな状況が30年続きます。
その間、隣国に逃れていたツチ族は、自分の国に戻りたいとずっと訴えてきました。しかし、(フツ族である)大統領はそれをずっと拒否。『ルワンダの土地は狭く、お前たちが住めるスペースはない。ゴリラのために土地を確保しておかなければならない』ってね。ゴリラは、ルワンダにとって貴重な観光資源だったんです。でも、ツチ族からしたら、自分の国に戻るのは当然の権利だ。そこで1990年、一部ツチ族の反政府勢力が、頼んでも入れてもらえないなら戦うしかない、と武器をもって潜入してしまうのです。

そして1994年。本当の地獄が始まります。
フランスから武器の援助を受けていた大統領は、水面下で綿密な大虐殺計画を立てていました。
でも、皮肉なことに、大虐殺が実行される予定だったその日に、乗っていた飛行機を何者かに撃たれて墜落してしまったのです。登場していた人は全員死にました。いまだに、誰が撃ったのかというのは謎に包まれたままなんです。

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そうして大統領は死んだ。
それでも、大虐殺計画は止まらなかった。むしろ、フツ族にとっては、『ゴキブリ』ツチ族を殺すための大きな理由ができてしまったわけです。

その日の夜。
何度も銃撃の音が聞こえました。バン、バン、バン、バン、って。鮮明に覚えています。
そして次の朝、5時に目を起こされ、母がこう言ったんです。

『昨晩何が起きたと思う?大統領が殺されたのよ。きっと復讐しに来るわ、どうしよう…私たち、死ぬかもしれない。』

(続きはPart 2へ)

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編集後記

大虐殺の根源となる「フツ族」「ツチ族」というアイデンティティが実は、ベルギーが植民地化する前までは存在していなかった。
私達が最も驚いたのはそこだった。
人は、人をカテゴライズしたがる。レッテルを貼りたがる。仲間なのか敵なのかを見極めたがる。けれど、その行為が争いのもとになりえるということを如実に表している。

こんな文章が頭に浮かんだ。

ー争いごとのつくり方ー
 ステップ1.人を分断しよう
 ステップ2.ラベルを付けよう
 ステップ3.優劣を付けよう

ベルギーは、ルワンダを植民地化したのちに、まさにこの3ステップを忠実に実行した。
もちろんベルギーだけを批判しても不毛な議論になってしまうけれど、どうしても「アフリカは野蛮」とかって思われがちな中で(それ自体もまた、レッテルを貼る行為なわけだが)、実は大虐殺にはこういう原因があったというのが私にとっては新たな気づきだった。
ルパートも、「ラベルを付ける」ということが諸悪の根源だろうと話してくれた。

「世界は、人にラベルを付けたがる。

今日だって、例えば国際系のメディアを見ていると、フツ族のだれだれさんとかツチ族のだれだれさん、っていう風に紹介したがるんですよ。ルワンダでは、誰が何族かなんて誰ももう聞かないのに。外の人たちはラベルを付けたがる。なんでなんでしょうね。

そういえば、5歳の息子の見て気づいたことがあるんです。うちは、Airbnbのゲストが世界の色んなところからくるじゃないですか。お二人みたいなアジア人も、白人も。でも不思議なことに、息子に肌や髪の色の違いについて聞かれたことが一度もないんです。彼にとっては、皆同じ人間に映っているんでしょう。
ラベルなんて、要らないはずなんですよね。」

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Part 2では、大虐殺の数週間のルパート自身の体験を伝えていく。
彼から聞いた話は、ドラマよりも映画よりも圧倒的にリアルで、脳みそから汗が出るくらい、考えさせられるものだった。

こんな体験をした人が、目の前に座って一緒に会話をしている。
それが不思議で仕方がなかった。

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