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【こえ #28】「孫の顔を見たかったので生きなくちゃ」という気持ちが後押しした…

小林 美智恵さん


 小林さんは14年前に脳梗塞で倒れ、右半身不随となった。「絶望しました」。

 それから10年余り、令和元年10月に今度は甲状腺がんが発覚。呼吸困難もあった関係で「生きるには喉頭(声帯)を摘出するしかなかった」。摘出しても声を取り戻す発声方法があると聞いていたので、今度は「絶望しなかった」。

 何より「孫の顔を見たかったので生きなくちゃ」という気持ちが後押しした。


 摘出した翌月には千葉県で喉頭がんや下咽頭・食道がんなどで声帯を失くされた方々が発声を習得する『京葉喉友会』に入会する。令和2年1月のことだった。

 お孫さんへの想いが通じたのか、「最初の日に「あ」と発声できた」。その後も順調に新しい発声方法を身につけ、2年あまりで上級レベルまで上達し、今では指導する側の「指導研修員」をされている。

 今ではお孫さんは3歳になった。顔を見るだけではなく「孫と話す夢も叶った」。お体が不自由にもかかわらずバスと電車と徒歩で片道1時間を通い続けた努力の賜物だった。


 他方で、そんな努力の裏側では色々な課題に直面されてきた。

 発声方法には、あご下周辺に当てた振動を⼝の中へ響かせ、⼝や⾆の動きで振動⾳を⾔葉にして発声することを補助する器具「電気式人工喉頭(EL)」を使う方法もあるが、器具を片手で持つ必要があった。右半身不随で杖をついておられる小林さんにとっては、最初から難しかった。最近ではハンズフリーの「電気式人工喉頭(EL)」も登場していることを紹介すると「それはいいですね」と微笑まれた。

 今では、口や鼻から食道内に空気を取り込み、その空気をうまく逆流させながら、食道入口部の粘膜のヒダを新声門として声帯の代わりに振動させて音声を発する「食道発声」を習得されているが、「指導研修員」になられた今でも、緊張するような場面では筋肉が萎縮してしまう感じで声が出なくなってしまうこともあるそう。

 また、「食道発声」できたとしても、スーパーの店内やバスの車内など雑音の多い環境では相手に声が全く通じない。そうした環境用に小型のマイクスピーカーを購入されたそうだが、「ハウリングしたり、何より重いので、結局持ち歩くことはしていない」。「日常使いできるぐらい軽くなれば」使ってみたい。


 最後におっしゃった。「例え障害があっても頑張っておられる方はたくさんおられます。そういう方が目標になる。自分たちだけじゃないんだと、そういう方の背中を見ながら頑張ってきました」。

 きっと同じように小林さんの背中を見ながら頑張っている方々もおられるはずだ。


▷ 京葉喉友会


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