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ピンチをアドリブで乗り越える技 75/100(配分)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


昨日は、独創性が必要かどうか、さらにはそれを見せつけるような行為への疑問を書きました。

ちょっと、難しいというか、際どいテーマだったと思うのですが、今日も少し攻めます。

全力投球する必要はあるのか?

です。

誠心誠意、全力を尽くせば、
常にベストを目指す姿勢でいれば、
精一杯頑張れば、
なんとかなる。でしょうか?

役者は、映像の仕事をする時、必ずそのシーンのショットリストを確認します。

いくつのアングルから、何回に分けて、どのように撮影するシーンなのか、リストを見ても分からないときは、監督やカメラマンに確認をとります。

ご存知の通り、撮影というのは同じシーンを何度も何度も、繰り返し演技しなくてはいけません。

数分のシーンを撮る為に、何時間もかけることもザラです。

これを毎回毎回、全力投球でやっていては疲れてしまいます。

いや、
問題は疲れるかどうかではないですね。

同じシーンを、同じように行っていては、だんだんと慣れてきてしまい、新鮮さが失われ、良い演技になりません。

相手役とのキャッチボールを、可能な限りフレッシュな気持ちで行い、お互いに影響し合う、そんな演技を目標としているので、これを何度も行うことは不可能なんです。

ほとんどの役者は、一番最初のテイクが一番良いです。そこから、どんどんと慣れとともに新鮮さが失われて、劣化していきます。

そして6テイク目ぐらいになって、やっとまた少し演技が安定していき、ここから徐々に熟練され、定着していきます。

ビギナーズ・ラックと似たような現象ですね。

これを、即興術を使ったり、他の演技ツールを使うことによって、出来るだけコントロールします。

そうすることで、1テイク目から急激に劣化していくフレッシュさを、なだらかなカーブを描くように努めることは可能です。

余談ですが、即興劇というのは、この最もフレッシュな1テイク目の良さを、最大限に生かした公演です。

さあ、問題は自分のアップの時に、一番のパフォーマンスをどう持ってくるか、です。

通常、アップを最初に撮ることはありません。

一番最初に撮るシーンは、ロングショット、つまり遠くから俯瞰した画であることが多いです。

正直、手を抜くという意味ではなく、最適最善が重要で、常に全力を出す必要はありません。

遠くからの画で最高の演技ができたところで、それは映像としては見えてきません。

そのため、こういう時は、細やかな演技よりも大雑把な動きの確認や、キャラクターの関係性を見せることに集中します。

その後で、どこかしらのタイミングで自分のアップを取る機会がありますので、その時のためにコンディションを合わせるイメージです。

ほら、やはり職人的な技が求められてますよね。

ちなみに、中には相手役のアップを取る為に、自分は全く映らないというテイクもあります。

こんな時は、相手役がいい演技をしやすいように、でも自分の限りある良い演技は、浪費しないような方向性での演技をします。

一通りシーンを撮り終えて、一番最後のテイクが自分のアップということもしばしばあります。
これが一番シンドイですね。

この頃には肉体的にも精神的にも疲れが出てきてますが、その状態でも、これまで温存してきた繊細な演技をしなくてはいけません。

こんな時に役に立つのが、やはり即興術と演技ツールの数々となるわけです。

もちろん、これらは映像の演技に限った制約と手法です。

劇場の演技は一期一会ですので、こういった特殊な手法は必要ありません。

ピンチに陥った時、その対処には今すぐ全力を尽くすべきなのか?

場合によっては、そうでないこともあるのではないかと、私は思います。

どんな時でも、最高のパフォーマンスを、最善のタイミングで引き出す為には、
適材適所、適切なサジ加減が求められます。

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