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俺が独断と偏見でラ・ラ・ランドの鑑賞ガイドを語るからおとなしく聞け


はいどうもー。いやー、ラ・ラ・ランドまじ最高ですよね。最高すぎて俺は公開当時7回劇場で見た。たとえば上のヘッダ画像見てくださいよ。例のミアとセブがチューするのか? するのか? って引っ張るシーン。なんか不安そうなセブに対してミアが自信満々で煽ってるみたいな二人の表情から、表面的な甘い恋愛ものみたいなやつを超えたドス黒い側面がちらっと見えてるし。そういうのを、構図やライティングやどういうレンズを使ってどういうフォーカスの当て方をするのかといった諸要素を計算し尽くした撮影でばっちり撮る。これ現場で実際にカメラ回す前に役者二人を座らせた状態で監督と撮影監督と照明監督とが超打ち合わせ重ねて撮影したんだろうなっていう膨大な手間暇の痕が全編でスクリーンからガンガン伝わってくる。こういう職人技があふれ出す映画をちゃんと評価するんだから、アカデミー賞も捨てたもんじゃないですよ。

ところがですよ。本当に読めてない奴が多い。町山とかいう映画評論家なんか、公式パンフで「キース(ジョン・レジェンド)は未来へ進むのにセバスチャンはついていけない。それは古い映画や音楽に固執し続けるチャゼル(筆者注:本作の監督)を自虐的に映してもいるのだろう」なんてことを平気で書いてる。いや、この映画を見て監督が古い映画や音楽に固執してるって理解するほうが無理でしょ。監督は、古い手法と思われていたネタに別な角度から光を当てて現代に新鮮な形で蘇らせてるだけだろ。それと公開された当時のレビューで圧倒的に多かったのは、例のラストシークエンスで流れる空想的長回しを、なんとセブの空想だとか二人の空想だって受け止めてるやつ。なんでそう受け止めるかな? あれは明らかにミア視点の空想でしょ。ほかにも、「素敵なラブストーリー」とか「ミアには演技の才能があるのに不真面目な審査員のせいでオーディションに落ちて可哀想」とか「ジョン・レジェンドの曲が素敵」とか、もうみんなどういう理解力なんだって頭抱えたよ俺は。

けど、そういうレビューばっかり読んでるせいで、みんな、そういうレビューが正しいのかって誤解する危険があるから、俺が念のために語っておく。そもそもね、映画はアートなんだから、表面的には語られないサブストーリー、行間とかサブテキストとかの間接的な指摘で表面的なストーリーとは異なる物語の側面を示すのが重要だっていうのがハリウッドでも常識なんだからな。それなのにハリウッド映画なんだから単なる見世物に決まってるって考えてる奴の多いこと多いこと。そんなんだからこっちの映画は駄作率が異常に高いんだよ。

まあいいや。愚痴はこれくらいにして始めるよー。ネタバレありだから、そういうのが嫌な人は読まないでね。


1 キーワードは「狂気」


まずこれ。この作品は狂気についての物語だってことを映画の冒頭からモチーフで示してるのに、日本の評論家とかそういう奴らはまともに指摘してない。

最初の例の高速道路でやる凄いミュージカルでも、最初のブリッジ部分の歌詞は

Without a nickel to my name
Hopped a bus, here I came
Could be brave or just insane
We'll have to see

っていうふうになってる。試しに訳すなら

 一文無しで、ひょいとバスでやって来た

 これは勇気かも、狂気かも、そのどちらなのかを、誰もが知る運命

っていう感じの意味なんです。そういう歌詞を、曲の最初のフックになる目立つ部分に入れて「狂気」を強調する。明るいミュージカルかと思ってたら、ちょっと唐突でぎょっとするくらいの狂気アピールなんです。

んで、この最初の曲が終わった後、ミアは初登場シーンで、自分のおんぼろプリウスの運転席でセリフの練習をしていてトチる。そのトチる言葉が、狂気を意味する言葉なんですよ。わざわざここでも狂気をアピール。こうしてモチーフとして「狂気」が用いられる。

こんな具合で、この映画は、単に夢やら努力やらのストーリーではなく、狂気に駆り立てられて夢を追う存在に迫るっていうダーク側面の物語なんだって冒頭から予告してるわけです。


2 ミアは大根


これも本当に不思議なんだけど、なんでみんな「ミアは演技がうまいけどオーディションで落とされる」って理解してるの? 映画では、ミアが大根役者だってことがしつこく強調されてるのに。

たとえば「 Spring 」の章の出だし。ミアが何度もオーディションに落ちるモンタージュのシークエンスでも、ミアは「GTスキャン」等々、セリフを間違えまくるし、医者の格好をしてても警官の格好をしてても、同じような一本調子で肩を怒らせて、どっからどう見ても演技しているようにしか見えない口調で喋る。これじゃ落とされて当然。

それでもミアは自分が演技が下手なんだってことを自覚せずに、教師役のオーディションでも「トゥーオプションズ」ってまたもや「そんなしゃべり方する教師なんかいねえだろ」って観客に突っ込まれるような嘘くさい、いかにも演技みたいな演技をするから、あっという間に「もういいですよ」って審査員に言われてしまう。

みんなも観てて分かったはずでしょ? ミアがオーディションで演技を始めた瞬間、「演技を始めたな」って。それでミアが演技を止めたら「素のミアに戻ったな」って観てて分かったでしょ? 考えてほしいんですけど、「素の演技をしていないミア」は、実はエマ・ストーンの演技なんですよ。なのに、みんなはちゃんと映画に引き込まれていて、エマ・ストーンの演技なんだってことは全然意識の外で、もうスクリーンの中にいるエマ・ストーンは演技をしていないミアにしか見えない。こういう演技であることを意識させない演技がプロの映画俳優に求められる演技なのに、ミアはそれが分かってないから、演技にしか見えない演技を続けてるって描写なんです。

だからラスト近くの例のオーディションシーン、これはミアがオーディションに受かるシーンなんですけど、注意してみてください。それまで落ち続けていたオーディションでは肩を怒らせていたのに、このオーディションでは歌い出す直前、ミアの肩がすとん、って落ちるんですよ。そうして、自然に、あくまで自然に語り出すことでミアはようやく演技に開眼して眠ってた才能が花ひらいた。そういうストーリーなんです。


3 キースのバンドは糞


これも俺は公開当時驚いた。なんでキースのバンドの曲を褒めてるやつがいるの? 

だいたいあの曲は、歌詞からしてあまりにも稚拙で馬鹿馬鹿しいことを強調する歌詞になってて、しまいには「暴動になっても知らねえ」みたいな、ブラックミュージックとしては一番言ったらダメみたいな歌詞まで飛び出すっていうふうに、あまりの歌詞の低脳ぶりをアピールする歌詞になってます。歌詞以外も、もうただのクリシェとしか言えないようなコード進行やメロディを馬鹿馬鹿しいくらいの装飾で飾り立てるっていうふうに作られてるし。この曲で観客を笑わせてやろうみたいなのが映画作った側の意図なのは明らかでしょ。

それで、こういう糞曲を演奏するミュージシャンを、なんとあのジョン・レジェンドが演じてるっていう相乗効果でますます笑える。いやー監督、よくもまあジョン・レジェンドにこんな役を引き受けさせたもんだ。

んで、映画作った側の演出意図は要するに、ジャズなんか基本とっくに死んだ過去の音楽だっていうキースの意見自体は至極ごもっともだけど、現代の音楽のリスナーつったって、単になんとなく雰囲気が新しいってだけで糞みたいな曲でも喜んで聞いてるだけじゃねえかみたいな皮肉を結構キツめに効かしてるんですよ。


4 別離の真相


最後のミュージカルシークエンス(と言っても歌がないけど)も、何で映画評論家とか自称してる奴らが誤解してばっかなのか、本当に理解できない。

あのシーンをちゃんと観てください。ミアとセブが出会った途端にいきなり熱烈チュー、これにはフレッチャー先生もニッコリみたいな、「もしも」どころか、明らかに反現実の出来事が起こるわけです。その後も、ミアの一人芝居は満席で大喝采、映画撮影のためにパリを訪れるミアにセブがついてきて、パリのジャズクラブで演奏できてよかったね! みたいに、とにかく反現実の出来事しか起こってなくて、「もし過去に別な選択をしてたら」みたいなものからもかけ離れた、どんな選択してようと起こりえない内容なんですよ。

それで、この空想の中でのセブの扱いを観てください。実は、ちっとも自分の夢の実現に向かって動いてない、ひたすらミアにとって都合の良い存在に成り下がってる。

人気女優になったミアが思いがけず、これまた自分の夢をかなえたセブに再会したことでミアの頭を支配した妄想、その内容は、現実を否定しまくった上に、セブが全然自分の夢を叶えてなくて、ミアが成功もセブも、欲しいものは全部を手に入れた世界だった……これって、解釈は人それぞれですけど、解釈によってはこの上なく痛烈なディスりとも言えます。監督、過去によっぽど女に酷い目に遭わされたんか?

振り返ってみると、二人が別れる決定的な原因となったあの口げんか、最後のほうでセブは「君は負け組だったころの俺のほうが好きなのかも。負け組と比較して自分のことを良く思えるから」って、それ言っちゃダメだろっていうセリフを言いますけど、何より決定的だったのは、その指摘が図星だったから……まあ、解釈は自由ですけど、そういう観点からその後の二人の言動や選択を観てもいいんじゃないでしょうか。



まあ、言いたいことは大体全部かな。ミュージカル映画って、実は面白く作るのは凄い難度が高いジャンルなのに、たくさんの人が「ミュージカルは不自然」っていう先入観で敬遠してるのはすごい勿体ない。「不自然」って観客に思われたらその時点で映画は失敗だから、ミュージカル映画は、ミュージカルシークエンスが観客に自然に受け止められるようにすることにこそ、技術や工夫を注ぎ込むんですよ。それが成功してるのが、面白いミュージカル映画なので、食わず嫌いせずに「ラ・ラ・ランド」に限らずミュージカル映画観てほしいです。

それじゃ、またねー。



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