見出し画像

“これまで作り上げられてきた食文化を可能な限り維持したい” りゅう / 東京大学2年 / 東京チーム

THE BLUE CAMPに参加する学生たちを、それぞれがエントリー時に提出した自己紹介およびエッセイとともに紹介します。東京チームは、高校生2名、調理学校生1名、大学生5名(うち1名水産研究)の計8名です。

“これまで作り上げられてきた食文化を可能な限り維持したい”

今回紹介するのは 出口龍 (りゅう) です。

彼は分子生物学を中心に学んできたが、魚を研究対象としてだけでなく、料理やダイビングを通して愛を持って関わってきた。彼は素直に考える、私たちは何を伝えたいんだ、私たちは伝えることで社会をいかに変えられるのか。彼の葛藤がチームの熱量となり、まっすぐな問いをチームに投げかけてくれるからこそ、チームの想いの解像度が上がる。彼の思考の旅を皆さんにもいつか体感して欲しい。

応募時 自己紹介

私は「食」に興味を持っている。美味しいものを食べたい、という純粋な欲求によるものかもしれない。コロナ禍の頃に、魚にハマった。近くのスーパーで毎週末魚を買ってきて、料理をして家族に振る舞った。そのスーパーは、サバやアジといった定番の魚はもちろん、メジナやイラ、エイなどと変り種も扱っていた。一言に魚と言っても、様々な種類の、様々な味の魚がいる、というのが肉よりも魚の方が好きな理由かもしれない。

私は分子生物学にも興味を持っている。私は高校時代に、エビと塩麹の研究をしていた。ある日、料理をしていて、ブラックタイガーを塩麹につけると色が青く変わってしまったのがきっかけだ。研究の結果、塩麹が何らかの働きかけをすることによってエビの色素胞が拡散したりすることがわかった。しかし、塩麹がどのような働きをしているのかさっぱり分からないままだ。この研究を通して、生物には未知の世界が広がっていることを学んだ。

エビ、そして塩麹という比較的身近なものを取ってみても私たちの知らない世界が広がっていて、秩序立った物事が機能している、ということに衝撃を受けた。私はこうした経験から、将来、分子生物学的なアプローチを用いて食に関わる問題を解決したいと考えている。

応募時 エッセイ 
「海と食の未来について思うこと、取り組みたいこと」

海が危機に瀕している、と言われても、いまいちピンとこないのが正直なところだ。お椀に入った魚の切り身を見て、危機を認識する術はない。経済発展に伴って分業が進み、生産地と消費地が分離してしまったことが一つの原因だろう。我々が都市部で消費をしても、その弊害が速やかに我々に直接降りかかることは少ない。むしろ、じわりじわりと、海の生き物や辺境の人の生活を蝕み、我々が痛みを感じた頃には手遅れになっている。私は関西の出身で、子供の頃は、母が炊いたいかなごの釘煮をよく食べたものだ。しかし、中高生の時分にいかなごを食べた記憶がない。ふと思い返してみると、とても残念な気持ちになる。こうして、食卓に並ぶ魚が一つまた一つと消えていってしまうのかもしれない。

私は、スキューバーダイビングをしている。この春は石垣島をはじめとする八重山諸島を訪れたのだが、浅瀬を埋め尽くすのは白化したサンゴだった。進めど進めど広がるサンゴの死骸。もし生きていたならば、どれほど美しかったのだろう。サンゴ礁に住む食用とする魚は少ないかもしれない。しかし、海が変わってしまっている、ということは不動の事実であろう。ダイビングではほぼ毎回といって良いほど、ペットボトルや缶のゴミが海に沈んでいるのを見かける。ペットボトルやブイが打ち上げられていないビーチを見たことがない。人間の活動は間違いなく、海に悪影響を与えている。

その変化を目の当たりしても、まだ、わからない。白化したサンゴ礁を見つめたところで、海底に沈むペットボトルを見たところで、それがもたらす悪影響について私は十分に知ることができていない。海、そして我々の食生活がどれだけの危機に晒されているのか、十分に理解できていない。そのために、私は現状を知り、考える必要があると思った。このプログラムの、現状を知り、現場を訪れ、議論し、その上でレストランを作っていく体験を通して海と食の現状について改めて考え、行動するきっかけとしたい。

現在、フードテック分野では培養肉や培養魚の研究が活発になされている。持続可能なタンパク源の確保という意味で、非常に意義深い研究と言える。しかし、培養されたタンパク質しか食べられない未来に若干の貧しさを感じるのは私だけだろうか。私は、これまで作り上げられてきた食文化を可能な限り維持したい。すなわち、最終的な産物を変えるのではなく、作る過程を変えたい。そのためにも、今、海について考えなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?