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意識高い系になりかけた話

はじめに

 こんにちは。七代目です。ふざけた名前ですね。
 さて、今回お話するのは私が意識高い系になりかけて、そして意識高い系になるのをやめた話です。ここで一つ前置きといいますか、ご留意いただきたい点をお話します。

 この記事に頻出する「意識高い系」という言葉はインターネットにおいて、自分の経歴や人脈、稼ぎなどを過剰に演出する自己顕示欲にまみれた若者を揶揄する言葉です。意識や志を高く持ち、日々研鑽に励む「意識が高い人」とは、本来切り離して語るべき人種です。しかし、使い分けが面倒であったため、この記事では「意識高い系(笑)」と「意識が高い人」の人の両方をまとめて「意識高い系」と表記させていただいています。
 かつてこの注意書きを怠ったがために、キラキラとした大学生活を送っていた、意識が高い、そして尊敬すべき同期を怒らせてしまったことがあります。どうか分かってほしいのですが、私は意識が高い人のことを貶めようなんて思っていません。それだけは誓って言えます。

 この記事は、私個人から見た意識高い系の実態や、私が参加した活動の一部を記しております。批判したいわけではないのですが、私個人の意識高い系に対する立ち位置は、賛否で言えば否の方にやや傾いています。私の「意識高い系」に対する、劣等感をはじめとした思いが容易く読み取れるような内容となっています。不快に思われる方もいるでしょう。しかしこれは私個人の意見ですから、「あぁ、そう感じる人もいるのだな」程度に思っておいてください。「いやこれ完全におもしろおかしく書いているだろう。ふざけるのも大概にしろ。くたばれ」と思う方もいるでしょう。ごもっともでございます。多少遊んでおりますが、読みやすさを慮った結果であります。どうか、寛大な心でお許しください。

 また、この記事の内容については飽くまで参考程度に留めておき、多角的な視点から「意識高い系」について考えることをお薦めします。「意識高い系」との関わり方はあなた次第。あなた自身が決めることです。彼らの世界に興味がおありなら、是非とも飛び込んでいってください。この記事の目的は意見の押しつけではなく、誰かが何かを考える上で参考になることです。これらを踏えた上でお読みいただけると幸いです。


1.邂逅 ~ワーストコンタクト~

 意識高い系。起業や学生団体やバイナリーに熱中し、TwitterやLINE公式アカウントを巧みに操り、おもむろに海外に赴きボランティア等で大いに社会貢献したかと思えば、鮮やかに変化した人生観を携えて帰ってくる。そんな彼らのことを人はそう呼ぶ。彼らのInstagramの8割は友人とのツーショトであり、残りはスターバックスコーヒーのフラペチーノ© とMacBook©のツーショットである。知らんけど。しかしご存知だろうか。意識高い系の人間は大きく分けて二種類いる。一つは先程述べたような、良い意味で意識が高い人。もう一つは、SNSのダイレクトメッセージに現れては唐突にブロックしてくるエセ意識高い系人間だ。私は後者に分類される彼らのことが苦手である。嫌いではない。しかし苦手だ。まずはその理由についてお話しよう。
 私はかつて「Twitterのフォローは必ず返す」という馬鹿げたことをしていた。それが正しいと思っていた。しかしある日のことだ、私は彼らの強襲を受けた。具体的には一人の意識高い系アカウントが私のフォロワーに紛れ込んだのだ。そこからは早く、意識高い系を一人をフォローすればまた別の意識高い系からフォローが飛んできた。それを延々繰り返し、いつしか私のタイムラインは意識高い系の巣窟と化した。異常なまでに高いアイコンの顔写真率、タイムラインに溢れかえる幸せアピール(6割が焼肉)、公式LINEの追加を促す胡散臭いツイートなどなど、それらの猛攻はダイレクトメッセージまで及んだ。正直、地獄だった。私の意識は高くない。そのため彼らの攻撃に耐えられなかった。自分のタイムラインのはずなのに居心地が悪い。これはおかしいとさすがに思った。よって、然るべき処置を取った。彼らを遠ざけ、目の届かない所に置く事にした。平たく言えば彼らを尽くブロックした。これが、私の高校時代の話である。
 さて、もう一度確認するが、私は彼らのことが嫌いなのではない。苦手なのだ。彼らの世界は輝いているのかもしれない。彼らの活動は世の中にとって良いものなのかもしれない。実際、尊敬すべき点は幾つかある。目標を高く持つことは良いことだとも思う。しかし、私には関係ない。彼らの幸せが私の幸せという訳でもないし、私自身が彼らの活動に興味がある訳でもない。なので私は意識高い系に対して「好きにやれ。ただし私の目が届かぬところで」といった態度を取ることに決めたのである。
 しかし、そんな平穏も長くは続かなかった。

2.勧誘 ~這い寄る混沌~

 平成30年4月。大学に入った。案の定、彼らからの勧誘は増えた。Twitterのプロフィールに「大学」と入れただけで彼らからのミサイル(DM)が飛んできたこともあったが、とにかく私は大学生になった。入学後もあらゆる形で意識がお高い有象無象を目にしたが、流麗かつ洗練された動きで彼らをスルーした。また、意識高い系に分類される人間の中にも善良な者が多く存在するということも学んだ。大学に入学するまで私は意識高い系というのはSNSで幸せアピールを繰り返し、突然ブロックで別れを告げ去って行く彼らのことを指すとばかり思っていた。しかし、違った。世のため人のために様々な活動をし、絶え間ない自己研鑽に励む真の意識高い系もいるということを知った。新たな形のビジネスを模索したり、バイナリーの勝率を上げるために必死に勉強する人達の姿を実際にこの目で見てきた。そんな彼らを応援したいとさえ思えた。そう、私は彼らの中にも本当に素晴らしい活動をしている者がいるという事を学んだのだ。しかしながら、私自身が意識高いサイドに立ち入ることは決して無かった。
 そんなこんなで騒がしくも穏やかな日々を送ること数ヶ月。事は起こった。友人から「セミナーに行かないか」と勧誘を受けたのだ。セミナー。意識高い系の代名詞とも言えるイベントである。「ついに来たか」とは思わなかった。私が意識低めの真面目系クズ野郎であると知っているはずの友人から、そんな勧誘が来るとは夢にも思っていなかった。内心戸惑いつつも、多いとは言えない友人のうちの一人である彼の、「生き方が変わる」という言葉に、興味ありげな反応を示してしまったのだ。ここで少し補足をすると、私は彼のことを尊敬しており、信頼もしている。かつ、私は信頼できる人間の押しに弱い。押されたらすぐ流されてしまいがちなのであった。だから、当時の私はこう考え始めていた。「私が信頼しているコイツがここまで押してくるのだ。行ってみても良いのではないか」「余程素晴らしいものなのだろう。ちょっと行ってみようかな」「一回くらいは大丈夫。よし行こう」と。見ず知らずのエセ意識高い系ではなく、他でもない尊敬すべき友人である彼からの誘いということもあり、私はセミナーまでホイホイ着いて行った。平成30年の12月初旬のことだ。これが全ての始まりとなる。

3.潜入 ~めっちゃこわかった~

 セミナーはとあるビルの大きな講堂で開かれた。あまり調べずに行ったのだが、聞けばどこかの会社が運営するセミナーの事前講習のようなものらしかった。が、その割には運営に大学生が多く見受けられ、主催も工学部の方だった。ちなみに参加費は1500円。往復の電車代を含めると計5000円程かかった。「自己変革への投資」とは流石に思えず、貧乏大学生の私にとっては正直言うとかなり痛かった。
 「5000円あれば良い肉が食えるのになぁ」などと思いながら友人と一緒に受付を済ませ、中に入る。ここでまず感じたのは圧倒的なアウェー感。居心地が悪い。雰囲気からして意識が高い。そりゃあそうだ。このセミナーは就活を控えた学生に向けたものであり、目的もなく何となくやってきたのは私くらいだからだ。また、当然といえば当然なのだが、スーツ率が高い。セミナーにはスーツ。意識高い系の間では常識なのかもしれない。しかし要項に「服装:自由(私服などリラックスできる服装でお越しください。)」などと書かれたら私服で来てしまうのも無理からぬ話だろう。意識高い系の皆さんはスーツでリラックスできるのかもしれないが、私はできない。スーツに囲まれたパーカーにスキニージーンズの私は、気圧されながら、たじろぎながらもなんとか着席した。受講生は約50人。4人程度のグループとなり、向かい合って話ができるよう配置された長机を囲む。私の正面にはスーツを着た都内某私立大学三回生の男性。インターンついでに寄ったとのこと。お高い。そして爽やかだった。左隣はうちの大学の理学部の方。見た目は極めて普通、意識の高さは滲み出ておらず親近感が湧いたが、セミナーに来る時点で意識は高い。油断ならない。そして左斜め前に友人。この場において唯一心を開ける存在。私の命綱。友人と一緒とはいえ敵の本拠地に潜り込んだような気分で開始までアンケートを書いて時間を潰した。このセミナーをどこで知ったの?このセミナーに来た目的はなに?どこの大学?何回生?学部は?などなど洗いざらい訊かれ少し怖かったが一応全ての項目を真面目に書いた。セミナーに来た目的は何となくそれっぽいことを書いて誤魔化した。そうこうしているうちに、セミナーがはじまった。はじまってしまった。
 講師はどこかの企業で物凄い実績を打ち立てた人らしく、友人は「うお、すげぇ○○さんだ」などと言っていたが、興味が無かったので残念ながら顔も名前も覚えていない。話の内容もそこまで覚えていない。確か「いろんなタイプのリーダーがいるよね」とか、「他人を変えるのではなく自分を変えようね」みたいな内容だったと思う。講師はさすがと言うべきか、話すことすべてに説得力があり、彼の口から出る言葉すべてに力がこもっていた。ように思えた。ただ一つだけ、気になったことがあった。それは講師ではなく、私の右斜め前方に座っていたスーツ姿の女性。別のグループだったため名前も大学も知らないが、彼女は講師が何か話すたびに激しくヘッドバンキングを繰り返していた。「発作か何かしらん」と思いしばらく観察を続けた結果、ヘッドバンキングではなくうなずいているのだと気が付いた。どうやら彼女なりの傾聴らしかった。激しく頷くことで理解していることを示しているようだった。恐るべし就活女子。彼女に幸あれ。というわけで、私は密かに彼女の動きに注目しつつ、そして、彼女の首を労いつつ、講師の話に耳を傾けていた。セミナーは講師がスライドを用いながら懇切丁寧にあれやこれやを熱弁し、一区切り着いたところで感想をグループ内で共有するというのが一連の流れであった。私は率直に感じたこと、考えたことに加え、思ってもいないが何となく聞こえの良さそうなことをいかにもそれらしく述べた。途中眠くて仕方なくなり聞いていなかった所は周りの意見に同調して切り抜けた。
 そうしてセミナーも終わりに近付いた頃。私はどうなっていたかと言うと、講師の話に甚く感動していた。今思えばなんてことない当たり前のことを言っていただけのような気もするが、どうやら私も知らないうちに雰囲気に飲まれていたらしい。素晴らしいことに気付かせてくれたとさえ思っていた。こうして1時間半にも及ぶセミナーが終了した。講師を惜しみない拍手で見送り、さて帰ろうかと思った時、司会が口を開く。
「それではこの後、無料説明会を行いたいと思います」


4.選択 ~あるいは煽動~

 無料説明会。無料。タダ。ここで私の悪癖が発動した。「聞くだけなら大丈夫でしょう」そう思ってしまった。また、友人も説明会に参加するらしく、置いて行く訳にもいかないので私も残ることにした。結局セミナーに参加していた全員が説明会に残った。何の説明会かと言うと、このセミナーを運営する学生団体の母体である会社が運営するセミナーの説明会である。ややこしいが、要するに私は友人に誘われ、会社が運営するセミナーの「事前セミナー」に参加していたのだ。つまり、私が参加したのはセミナーの宣伝のためのセミナー。「お試し」と言ってもいい。で、その「お試し」で、私は感動してしまった。つまりどういうことかと言うと、私はその日のうちに会社運営のセミナーへの参加を決めていた。もちろん参加は無料じゃない。3万円かかる。しかし、周りの雰囲気や講師、友人の言葉、実際に参加したという運営の人間の言葉から、それが素晴らしいものに思えたのだ。だから、その日のうちに契約を決めた。私は運営側から与えられる画一的な情報のみで3万円という大金を手放す覚悟を決めたのだ。もちろん、多角的に物事を考えることが重要であることを知ってはいた。しかし、当時の私にはそれができなかった。私が即決の態度を示すと運営側は「素晴らしいね」と口々に言っていた。
 ここで一つ、読者諸賢に覚えておいて欲しいことがある。即断即決が素晴らしいものとは限らないということだ。偏った情報のみを与えられた場合、決断するのは実に容易である。しかし、それは正しい決断とは言えない。正しい決断とは多角的に物事を見つめた先に存在するのだ。私にはそれができなかった。あらゆる角度から考察し、決断する。お金絡みの話は早さより正しさの方が重要なのだ。「セミナーに行ってその先で契約というのは危ないよ。」ということを覚えておいて欲しい。

 ではここで会社運営のセミナーがどのようなものなのかをざっくりと箇条書きで紹介する。
・社会で役立つ人材を育成する実践型プログラム
・通い3日間。朝から晩まで11時間。
・参加費32,400円(税込)
・課題図書の購入を推奨。

 改めて見るとなかなかのプログラムであるが、参加した事で実際に手応えを感じ、自分の中で何かが向上したという人が大勢いるということは間違いなさそうだった。説明会でもそう紹介されていた。参加したという人のSNSを見ても「参加して良かった」と言う書き込みが多く見受けられた。しかし、このプログラムが私にとって良いものとは限らない。本当に大丈夫だろうか。申し込んだ後になって、私は悩み始めた。セミナーに参加したのが平成30年の12月中旬で、セミナーは翌年の3月中旬の予定であった。当時の私は考えた。「私は本当に正しい決断をしたのだろうか」と。

5.誘導 ~そして異文化交流へ~

 某社が運営するセミナーへの申し込みを決めた次の日。つまり事前セミナーに参加した次の日に友人からLINEが来た。「運営側の人が色々な手続きのために確認したいことがあるんだって。連絡先を教えていいかしら」とのこと。私は了承した。しばらくして見知らぬ人からLINEが来た。キラキラの顔写真アイコンに過去のトラウマが吹き出しかけたが堪えた。送られてきたLINEは次の通りであった。

 運営さん「はじめまして!お申し込みありがとうございます!即決素晴らしいですね!お手続きの事で確認したいことがありますので、本日10分程度お電話可能なお時間はございますか?」

 事務的な印象など一切なく、むしろフレンドリーに接してくる運営が逆に私の不安を煽った。私は交友関係を築く際は長い時間をかけたい方なので、急激に距離を縮められると逃げたくなる性分なのだ。そのうえ電話である。見ず知らずの人間と電話というのは私にとって恐怖でさえある。事務的なやり取りならば幾らでも可能なのだが、運営さんはやけにフレンドリーであったため憂鬱だった。私(陰キャ)と彼ら(意識高い系)では文化が違うのだ。私は異文化の槍に突かれながらも、なんとか通話を開始した。私よりも二歳年上の女性だった。通話の内容はというと、「申し込んでくれてありがとう!」「フォームに記入して欲しいから後でURL送るね!」「ところでなんで参加しようと思ったの?」「課題図書みたいなのがあるんだけど買う?」「買った方がいいよ!」「じゃあ振り込みについてお話するね!」と、まるで友人と雑談しているかのような雰囲気で進んでいった。しかし、本の購入を勧めたり振り込みの話などをしている時点で明らかにビジネスなのである。私はそこに違和感を感じた。が、新しいビジネスの形と言われてしまえばそこまでであるから、これ以上は言及しない。とにかく私はよく知らない誰かと、雑談のような商談をした。この時からこのプログラムや会社自体が、なんとなく自分には向いてないと感じはじめていた。それでも、今更断るわけにも行かないので諸々の手続きを済ませて、「サァ、あとはセミナーを受けるだけだ!」と思っていた矢先、私の部屋に一通の大きな封筒が届いた。ちなみに、恥ずかしながら課題図書も買った。言いくるめられてしまった。いいカモじゃないか。私。阿呆なのか。

6.警鐘 ~なんかヤバくね?~

 昨年12月下旬。セミナーを運営する会社にお金を振り込んだ。自己変革セミナーへの参加費と、推薦図書の購入で計34,000円。高いと思った。バイト代1ヶ月分に近い。しかし、これだけ高いのだからそれなりに価値のあるプログラムなのだと思って耐えた。そして、振り込んでから数日後、私の部屋に一通の大きな封筒が届いた。運営会社からである。恐る恐る開けてみると、中にはセミナーの概要や推薦図書について書かれたA4の紙などが何枚か入っていた。てっきりおぞましい怪文書でも送り付けられてきたのではないかと疑っていた私は「なんだ、普通じゃないか。」と思いながらペラペラと紙を捲ってゆく。そうしているうちにそいつは現れた。チラシだ。しかも、ただのチラシではない。サプリメントやクレジットカードや目覚まし時計のチラシが計4枚入っていたのだ。


実際に入っていたチラシ


 鈍感で無知な私もこの時ばかりは流石に「おいおいヤバくねぇか?」と思った。いや、サプリメントって、クレジットカードって、お前それ完全に……。
 ここで私は考えるのを止めた。購入しなければいい。それだけのことだ。社長の声が入った目覚まし時計がなんだ。胡散臭くない。大丈夫だ。私はそう思うことにした。一周回ってなんだか笑えてきたのを覚えている。

 また、同じくらいの時期にとあるLINEグループに招待してもらった。県内の大学生が週一回のペースでどこかに集まり、何らかの活動をするという趣旨のグループであった。入ってみて驚いたのがやはり本人アイコン率の高さ。意識高い系は本人アイコンにしがちである。そして、絵文字の使用率が多い。異文化圏に迷い込んだ気分だった。彼らの中に笑う時に草を生やす人間は一人もいなかった。褒め言葉は基本「素晴らしいね」だった。互いに高め合いながら活動を続けているようだった。何人かの自己紹介を読んだり、LINEで通話をしてみたのだが、どの方も理想を高く持ち、目標達成に向けて日々努力している事が伺えた。このグループの意識は高い。それも応援したいと思える方の意識高い系だった。自分を高めたい、変えたい、力をつけたい。そんな人とっては最高の環境だと感じた。

 しかし、それが私にとっては息苦しかった。「まだ一回生なのに偉いね」と言われる。違う。そうじゃない。私は何となく流されてここまで来ただけだ。私が本気で選び抜いた結果ではない。なんとなくで選択してここに辿り着いてしまっただけなのだ。褒められる度に申し訳なく感じた。
 私は彼らとは違った。私は別に「自分を変えたい」とは思っていない。今の自分が好きだ。今の自分を気に入っている。今の自分のままでいたい。なので、自ら進んで自分を変えようとは思わない。本当にこのままこの集団の中にいていいのか。朱に交わって赤くなる前に抜け出すべきではないのか。選択が迫られていた。1月初旬の事である。
 余談。何故だか分からないが、当時のことを振り返った私は森見登美彦氏の「四畳半神話大系」を思い出していた。京都大学三回生の男子学生が一回生の春に選んだサークルによって彼の大学生活が如何に変化していくかを描いたマルチエンディング形式の作品である。ある章で主人公の男子学生が入ったのは「ほんわか」というソフトボールサークル。はじめ主人公はその雰囲気に溶け込めずにいたのだが何とか所属し続ける。しかし「ほんわか」は実は宗教団体が母体の怪しいサークルだったのだ!あぁ不毛!というオチである。なぜ思い出したのかは定かではない。いやはや何故だろう。

 それともう一つ。入ったLINEグループの中に仲間内から「ソマリア」と呼ばれている男がいた。一体なぜなのだろうと思い名前の由来を尋ねると、「ソマリアの栄養失調の子どものように痩せているから」とのことだった。
 正直、「お前ら意識高いくせにモラルは低いのな」と思った。疎外感を加速させたエピソードのうちの一つである。

7.盲点 ~いや、そっちかーい~

 意識高い系LINEグループは前章にも書いた通り、週一で集まって活動するためのものである。そこに参加しているのだから、当然私の元にも誘いが来る。友人に「お前は参加せんのけ?」と訊かれる度にのらりくらりとかわし続けて数週間。意識高い系LINEグループで交わされる意識高いやり取りにはもう既に慣れ始めていた。そんな感じで特に動きがないまま2月になった。2月の中旬。つまりセミナーまで1か月を切ったある日、父から電話が来た。

 「お前、自動車学校の講習期限切れてるぞ」

 サッと血の気が引いた。ここで分からない方のために説明をしておくと、自動車学校には講習期限というものがあり、期日までに教習が全て終わらなければもう一度入校してやり直すしかないのだ。で、私の教習期限が切れたと。どうなったかと言うと、17万円かけて再入校することになった。父にめちゃくちゃ怒鳴られた。当たり前だ。これはもう完全に私が阿呆だった。のらりくらりとサボりすぎた。読者諸賢。今回ばかりは私の意見を押し付けることを許して欲しい。よく聞いてくれ。

 自動車学校は決してサボってはならない。
 繰り返す。自動車学校は決してサボってはならない。

 さて、具体的にどのような状況になっていたかを改めて説明する。当時、私は既に仮免許を取得していた。よって教習は第二段階からのスタートとなる。仮免が切れる4月までに学科を10回。実技を20回受けねばならなくなった。「2ヶ月もあるから大丈夫でしょう」と思ったそこのあなた。甘い。自動車学校はこの時期、高校生で溢れ返っていた。受験を終え、卒業を間近に控えた高校生たちがこぞって教習を受けようと躍起になっていた。そんな中で私に許されるのはキャンセル待ちというシステムの利用だけだった。偶然教習がキャンセルされるのを待ち、技能教習を進める。それこそ毎日通わなくてはならなくなってくる。つまり私は17万円と3月末までの自由な時間を失ってしまったのだ。ちなみに、4月までに教習が終わらなければ、また仮免許を取り直してその教習所に4月以降も通い続ける事になる。2年次になると同時にキャンパス移動がある私にとって、それは絶対に避けねばならないことだったのだ。
 ここまで赤裸々に語っているのは読者諸賢に同じ過ちを繰り返して欲しくないからだ。週刊少年ジャンプで連載されていた「暗殺教室」という作品の中で殺せんせーというタコ型教師は次のように言っていた。

 「そもそも人に何かを教えたいと欲するとき、大きく分ければ理由は二つしかありません。自分の成功を伝えたいときか自分の失敗を伝えたいときです。」

 好きな言葉なので太字にした。私の場合は後者である。私は私の失敗を伝えるために、この記事を書いた。これから教習を受ける者達よ。サボるんじゃねぇぞ。わかったか。
 さて、当時大学生の私にとって17万円はとんでもない大金である。父が立て替えてくれたが、「返済しろよ」と念を押された。加えて、三月末までの時間が消し飛んでしまったため、お金を作ろうにもバイトも入れられない。さて、どうしよう。車校でキャンセル待ちもしなければならないし……。
……ん?キャンセル?……( ゚д゚)ハッ!

8.閉幕 ~まだ終わりじゃねぇけどな~

 自動車学校をサボりまくって17万円と時間を失ったクソ現代っ子ゴミカスギリ10代の私は考えた。どのようにして17万円という大金を父に返すか。どのようにして時間を作るか。ひたすら考えた。考えに考え抜いた。そうして熟考に熟考を重ねた先、私は一つの結論に辿り着いた。

 セミナーキャンセルすれば良くね?

 まさに青天の霹靂。車校留年で自信を喪失していた私もこの時ばかりは自分が天才であると確信した。セミナーをキャンセルすれば万事上手くいくのだ。運営会社から郵送されてきた資料を確認したところ、幸いキャンセルという制度はあった。ただしキャンセル料で6400円程取られる。それでもよかった。当時の私には時間と金が必要なのだ。誘ってくれた友人や運営の方々、LINEグループの皆さんには申し訳ないが、やむを得ず私はセミナーをキャンセルした。不思議と気持ちが楽になった。ずっと背負っていた何かを荒療治で奈落へ突き落とした気分だった。私は自由だった。もう何も怖くない。なんとも晴れやかな気持ちだった。(なお、車校は見えないものとする)
 ここで一応補足しておくと、私がセミナーをキャンセルしたことで気が楽になったのは、決して胡散臭くてやめたくなっていたからという訳ではない。自己変革のプログラムに自分を変えたいと思っていない私が行ったところで何にもならないと内心思っていたからだ。自己変革を強いられるのは嫌だったからだ。もともと周りに流される形で参加を申し込んでしまい、後悔していたからだ。SEMのキャンセルは車校という不可抗力によってたまたま起きたミラクルなのだが、きっと車校事変がなくてもキャンセルしていたと思う。行きたくなったらまた申し込めばいい。ただ、当時の私にとって必要のないプログラムであったことは確かである。私は私が好きだった。別に向上心がない訳ではない。単に私は短期集中より、ゆっくり時間をかけて力をつけていく方が性に合っていると思ったのだ。あのセミナーは素晴らしいものなのかもしれない。しかし、きっと私には合わないものである。

 自由を手に入れたついでに、父にSEMをキャンセルしたことを報告した。すると、「そうか。まぁネットでの評判はあまりよくない感じいいんじゃないか」と返信が来た。
 父に言われてようやく気が付いた。「あれ?私ネットで下調べしてなくね?」と。逆に何故今までネットの評判を調べていなかったのか不思議でならない。「セミナー=素晴らしいもの」という刷り込みを知らぬ間に受けていたのだろうか。一応自分でも調べてみたところ、主に某知恵袋の質問が見つかり、ベストアンサーを斜め読みすると「洗脳」「マインドコントロール」などなどの文字が目に付いた。見なかったことにした。私にはもう関係の無い話だ。さらばセミナー。さらば運営会社。
 ここで補足しておくと、運営に携わっていた学生の皆さんはどなたも優れた人格の持ち主で、向上心があり、見る人が見れば憧れること間違いなしといった感じの人々だった(ガリガリの仲間を「ソマリア」と呼ぶけれど)。各々がやりたいことに夢中になり、本当に楽しそうだった。だから、彼らが悪いという訳ではない(ガリガリの仲間を「ソマリア」と呼ぶけれど)。そもそもあのセミナーも良く考えられた短期集中の密着教育であり、実績を上げていることは確かなのだ。と思う。知らんけど。
 これは単純に、私の方が意識高い系に向いていなかったという話である。だから、向上心のある人は是非、セミナーなどに飛び込んでみると良いと思う。私はもうしばらくは行かないが、きっと素晴らしい発見があるのだろう。
 これで私の経験談は一段落。

9.総括 ~後日談というか今回のオチ~

 セミナーのキャンセルを申し込んだ時、運営会社からのリアクションは至って単純かつ事務的だった。メールで少しやり取りをしてそれでおしまいだった。キャンセルの手続きは思ったよりスムーズに進み口座にもお金が戻っていた。ただ一つ気になる事があるとすれば、メールの文末にあったあの一文だろうか。

 今後とも末永く、○○(会社名)をよろしくお願いします。

 見つけた時は少し深く考えてしまったが、ビジネスメールによくある一文なのだろう。そうに違いない。そうであれ。

 さて、ここからは私が皆さんに伝えたいことを適当に、ゆるりと書き連ねてゆく。読者の皆様もあまり身構えず、適当にくつろぎながら読んで欲しい。
 再三にわたって書くが、これは私の一個人としての意見である。読みたくなければ読まなくても構わない。決して押し付けたりはしない。どうしても伝えたいことは「覚えておいて欲しい」と欲する程度に留める。「覚えておけ」とは言わない。ただ、たまに思い出して何かの参考にしてくれると私としては非常に嬉しい。

 まずは意識高い系の皆さんとの関わり方についてである。「はじめに」や「第1章」でも述べたように、意識高い系は大きく二つに分けられる。
 一つは、あらゆるビジネスの可能性を模索したり、海外へボランティアに行ったり、自分のやりたい事に夢中になって取り組んだりしている良い意味で意識の高い人達。私が実際に会って話した意識の高い人達は全員こちらに分類される。もちろん事前セミナーを運営していた方々もこちらに分類される。
 そして、もう一つはSNSのダイレクトメッセージで突然ビジネスの話をはじめ、こちらが肯定以外の反応を示した際はブロックをなさるタイプの意識高い系アカウントさんである。
 第1章で述べたように、私にはタイムラインやダイレクトメッセージが彼らで埋め尽くされてしまった時期があり、そのせいで彼らに対して「苦手」という意識が芽生えたのである。嫌いではなく、苦手なのだ。彼らが行っているビジネス自体を否定する訳ではない。ただ、こちらに興味が無いと分かったら挨拶もなしにブロックするという態度に違和感を感じているのだ。流石に失礼だろう。

 私はこの世の意識高い系全員を否定する訳では無い。
 意識高い系の皆さんの活動を否定する訳では無い。
 お願いだからそこだけは理解しておいて欲しい。

 学生団体やセミナーなどの活動をしたいという後輩や同期に対しては「おう、いいんじゃね?やりたい事自由にやってみなよ」というスタンスを取るつもりでいる。否定はしない。陰から静かに応援もする。今回経験したことも話したりはするだろう。
 ただ、私が一緒になってそれらの活動をやるかと言えば多分やらない。私には意識が高い人達と活動するエネルギーがない。きっと馴染むことはできない。実際に身を置いてみて分かった。私は意識高い系には向いてないのだ。だから、応援する程度に留めておきたい。

 あなたにもし興味がおありなら是非参加してみると良い。あのようなセミナーや団体は互いに高め合える仲間と出会える貴重な場所だ。きっと良い経験ができるに違いない。
 一方で、私のような陰の者は無理をして意識高い系になろうとしなくてもいい。なりたいなら目指しても良いが、無理に背伸びをして意識高い系になる必要はない。意識を高く持って生きるよりも、自分らしく生きることの方が大切だと私は思う。意識高い系の皆さんは自分らしく生きながら意識を高く持って生きていらっしゃるのだ。

 さて、今回の一連の話は、元を辿れば私の「周りに流されがち」という性格が原因となる。周りに合わせるのは非常に楽な生き方だ。しかし、そういう生き方は今回のようなことを引き起こしかねないというのを覚えておいて欲しい。もちろんセミナーに行きたい人はどんどん行くといいだろう。ただし、なんとなく周りに流されて参加する場合は気をつけた方がいい。いつの間にか流され続けて、偏った情報だけを与えられ、選択の余地を奪われてしまっていたなどということもありうるのだ。実際私はそうだった。と思う。少なくとも、お金絡みの話は一度時間を置いて考えるべきである。即断即決が良いものとは限らないのだ。
 
 この話の結論は、「意識高い系の活動は私には合わなかった」というだけのこと。しかし、素晴らしさは理解できた。エネルギーと向上心に満ち溢れた者は参加してみるのが良いのではないか。私は、今はまだ自分らしく生きるのに精一杯である。

 それでは、またどこかで。

  

※この記事は筆者が大学時代(2018年~2019年頃)に執筆した記事に加筆修正をしたものです。情報や組織の在り方は当時のものであり、実際とは異なる場合があります。

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