見出し画像

本当の関係を始めるにあたって~2021年を迎えて~

(前回の続きより。前回の記事はコチラからどうぞ)

 元旦の朝よりも、その翌日――1月2日の朝の方が、僕は好きだったりする。
 初詣やら初売りやらで年明け初日ゆえに巻き起こる賑わいすらも収まりきったあとの静けさが、最近になって心地よいものに思えてきたのだ。以前なら新年初日の喧騒に嬉々として飛び込んでいたのに。
 この変化を成長というべきなのか老いというべきなのか、僕には判断しかねる。それでも、一つだけ確かに言えるのは、僕という一人の存在が今日まで無事生き続けてこれたという事だ。変化というのはイコール生きているという何よりの証明なのだから。

 そういうわけで、今年も2日の早朝に初詣に参った。
 車も人も見当たらない静まり返った街を、薄明のグラデーションが照らしていく。その景色が曖昧なようで凛として見えるのは、真冬の冷たさのせいなのかもしれない。
 中学の授業で習った枕草子にも『冬はつとめて』という言葉があったが、なるほどこうして落ち着いて街中を歩き眺めながら見ると、確かに彼女の記す『をかし』という感覚というものに少しばかり触れられたような気がした。
 もっともそんな『エモさ』も、容赦ない寒さによって程なくして上書きされてしまい、感慨耽りモードから現実へと僕を引き戻させてしまう。

 のぼせの終わった今の身体に、この寒さは一段と身に沁みるというのに。

 目標やら夢という言葉の熱に浮かされ、今まで逃げ続けてきた。
 別に今の文字書きという夢をきっぱり諦めるわけではない。それは趣味やら自己満足の範疇でいくらでも続けられるだろう。
 しかし今の環境では、仕事と文字書きの両立はかなり厳しいと言わざるを得ない。現に昨年の師走の一ヶ月間は、パソコンに向かう事すらままならなかったのだから。
 ゆえに、そろそろ地に足を着けて、現実に目を向けるべき時が来たのかもしれない。
 とはいえ、ここから僕は何を目指せばいいというのだろうか。いつのまにか温い湯船の周囲に広がっていた、冷たく乾ききった荒野。目指す指針もなく一人取り残された僕は、どう歩けばいいというのだろうか。

 このまま何者にもなれない、平々凡々な人生。けれども、ささやかな幸福のある人生。
 幸い今の僕は、そんな安定した状況に留まり続けられるだけの環境にある。だから無理して考えず、現状という名のぬるま湯に引き続き浸かり続けるのも悪くはない。

 しかし、その選択肢を選び取るにはまだ早すぎるかなと思っている自分がいる。
 一見無限に広がっているように見えて実は残り僅かしか広がっていない可能性。残された日々を使って、それを覗いてみるのも悪くはないのかなとも。

 だから今年の初詣、僕はこうお願いした。いや、お願いしたのでなく、誓ったのだ。
『今までの自分を壊して、新しい自分になれますように』と。
 こう書き起こしてみると、実に抽象的な宣誓だと苦笑いが止まらない。でも、こう書く事で、とにかくどこにでも歩き出せるような、そんな気がしたのだ。

 名残惜しいけど、そろそろこの安住の地からオサラバしようと思う。
 新たな没頭や関係性を手に入れる為に。本当にやりたい事、やるべき事を定める為に。そこに犠牲や断念という痛みが伴う事も覚悟して。
 感情の赴くがまま書き散らしているので綺麗にまとまってはいないけれど、これが2021年の僕の決意表明である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?