見出し画像

2023/9/2 フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》

正直全然前と同じ頻度で更新できる自信がない。急に1週間くらい間があいても許してほしい……。
前回ちょっとだけルーヴル美術館展について触れたので今回も同展覧会に出展されていた作品について話したい。


フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》 1798年 ルーヴル美術館

フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》 1798年 ルーヴル美術館

今年に入ってから東京・京都を巡回した『ルーヴル美術館展 愛を描く』のメインビジュアルにも採用されているジェラールの《アモルとプシュケ》。

私がこの作品に出会ったのは、学部に入学してすぐの西洋美術史の通史の授業だった。「キューピッド(クピド)」の場合は幼子の姿で表されることがほとんどだが、同一人部のアモルは少年〜青年の姿で描かれており、プシュケーの額にキスをしようとしている。対してプシュケーはどこか遠くを見つめており、どこどなく冴えない表情のようにも見える。ロココの雰囲気を残す「砂糖菓子のような」空のブルーや衣服のピンクと穏やかな風景、そして愛の勝利の場面なのにあまりに静かすぎる雰囲気。

ロココは恋愛遊戯の時代である。思い思われ振り振られ、妬み嫉みに駆け引き、そしてコケットリー。その感情のアップダウンたるやジェットコースターの如しで、たしかにロココの代表作は「動き」のある作品が多い。同展覧会の目玉作品として出展されていたフラゴナールの《かんぬき》なんて、舞台の一場面かのように過剰にドラマチックだ。

さて、それに比べてると《アモルとプシュケ》がいかに"静か"な作品かわかるだろうか。もちろん、作者であるジェラールがロココへの反発から生まれた、安定感が特徴の新古典主義の画家であったことは多いに関係している。新古典主義の巨匠といえばダヴィッドが挙げられるが、彼の作品は明暗が強く直線的で安定している構図である。《アモルとプシュケ》も三角形構図を基本に、精緻な人体デッサンなど新古典主義の特徴を見ることができる。

作品の題材である「アモルとプシュケ」のストーリーはギリシア神話の中でも珍しいハッピーエンドの話だが、もちろん大団円までにはドラマチックな試練がある。簡単にアモルとプシュケの話を説明するとこうだ。

ある時、アフロディーテは、美しい王女であるプシュケーの話を耳にする。その美貌を妬んだアフロディーテは、息子であるアモルに命じてプシュケーに不遇な恋をさせようとする。しかしプシュケーに愛の矢を射る前に誤って矢で自分の身体に傷をつけてしまう。
プシュケーに止められない恋をしたアモルは、アモルの姿を見ないことを条件にプシュケーを妻にするが、プシュケーは夜の間だけしか姿を表さない夫への懐疑心からその寝姿を盗み見てしまう。
夫が人間ではないアモルであることに驚くプシュケーだが、アモルは自分の姿を見られたことを悟り行方をくらましてしまう。プシュケーは必死にアモルを探し、アフロディーテからの試練を他の神からの導きなどを頼りにくぐり抜け、晴れて本当の夫婦となった。

本当にざっくりなので、アモルがプシュケーに出会うまでやアフロディーテからの試練の詳しい内容などは各自ググっていただくのが良いかなと思います。

このジェラールの《アモルとプシュケ》に違和感があるのはなぜなのか。それは最大の愛情表現の瞬間であるのに心が通っているように見えないこと。アモルの献身的な態度と裏腹にプシュケーの視線はアモルを捉えず、全く明後日の方を見ている。なぜ二人の視線が噛み合わないのか、先程のストーリーを読んだ皆さんはおわかりですね。「プシュケーにはアモルの姿が見えていない(見せていない)時点だから」というのが有力な解釈。
ちなみにこの作品は別題があり、《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》とも呼ばれる。

試練を乗り越えてハッピーエンドの瞬間……という解釈もないわけではないが、個人的にもやはりこれはお互いよくわかっていない時点の二人であると思う。アモルのプシュケーの可愛がり方は愛玩といった感じですくなくとも想い合っている男女のそれには見えないし、ジェラールの描いた他の作品は視線を効果的に用いている。ジェラールは皇帝ナポレオンの肖像画も手掛けているが、こちらをまっすぐに正視するナポレオンの目線は新しい国のリーダーとして強く頼りがいのある人物であるように見せており、ジェラールが「視線」を表現の重要な要素であると理解していたのは間違いない。

そのため、目線の合わない二人というのは本当に「見えていない」ことを示唆していると考えられる。アモルとプシュケのドラマチックな瞬間より、まだ不安感の残るプシュケーと愛に恍惚となるアモルというのは、ロココの時代にそのドラマチックさ故に愛されたこのストーリーの、新古典主義的な反発の表象なのかもしれない。

でも私はこの作品に希望を見出したい。今は一方通行で相手が見えない愛情でも、アモルとプシュケーは最終的には結ばれるのだ。お互い好きあっていても過ごしていれば試練や難所は訪れるものである。一時はお互いが見えないかもしれない。離れ離れになることもあるかもしれない。しかし魂(古代ギリシア語でプシュケー)と愛(アモル)は分かち難い絆で結ばれているのだ。


ルーヴル美術館展にて プシュケーは「魂」の他に「蝶」の意味も持つため頭上に蝶が舞う

最近激推ししてるNew Jeansの「Cool With You」のMVも題材がアモルとプシュケーだった。こちらはアモルの正体がプシュケーにばれるドラマチックな場面をフランソワ=エドゥアール・ピコが描いた《アモルとプシュケ》が出てくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?