柴田聡子の「あなたはあなた」の個人的な解釈について
柴田聡子さんの名作「愛の休日」に収録されているわたしが日本語で歌われたラブソングで一番好きな曲「あなたはあなた」。
この不思議な歌詞の捉え方について、わたしは様々なブログ等を渡り歩き確認をしてみたのだけれど、納得できるものにイマイチ巡り会えなかった。
まず登場人物に男性と女性がいると思われるのは、どの方でも共通の見解だと思います。
この歌の歌詞はシンプルな言葉しか使われていないにも関わらず、ことばのもつイメージが非常に芳醇であり、かつ情報量が多い。
フレーズごとにみていきたい。
別れた時を覚えていないのに
ということはこの男女は付き合っていた過去があったということ。
彼の方が年上である。
別れた時よりもインパクト大な「痛みもなくあざやかな春」=「あのこと」がある。
誰かから聞いた彼の最近のこと
語り部と彼との関係には今現在少し距離があるようだ
このフレーズはとても印象的である。
なおかつ突然主語がぼくになる。
これは語り部の女性ではなく、視点が彼側に移動したものと思われる(ここは人により解釈が分かれるでしょうが)。
頭が足になるような奇跡というワードがとても強く残る。絶対にあり得ないことの比喩だろうけど。
彼は絶対に起こり得ない自分に起こっていることに悩んでいる。
しかも肉体に関するワードをあえて使っていることを考えると、私は彼はセクシャリティに悩みがあるのではないかと理解した。
そしてそれは倫理的には間違ったことだと彼は認識している。
肉体の違和感と捉えれば自ずと意味が通る部分。
結婚せずに銀行に勤めるという先のフレーズとも重なる。
彼は旅行から帰ってきても家族におみやげを買ってこない人らしい
「お母さんも」というのが気になる
母であれば当然知っている部分がこの男には無いという示唆だろうか。
わたしはわたし あなたはあなたというのは母から彼への皮肉だろうか。
「思わないの」と「思わないよ」と語尾が女性と男性を思わせる言い換えがあるのが気になる。語り部と彼の間には何か他人に言えない秘密がある?
語り部も彼もここの意見は完全に一致するということ。これは冒頭の「痛みもなく鮮やかな春」に対応してるのかもしれない。それまでは痛みがあって不鮮明だった季節がこのことによって変わった。
語り部から彼への願い。
ありふれた温泉に2人で行ってみたい。
それは恋人としてではなく、無二の友達として。
だからありふれた赤い屋根の温泉なのだ。
ここだけメロディと歌詞が違い、あきらかにお互いを肯定するような力強さがある
胸の支えに目薬をさすという言葉に舌を巻く
語り部は彼との「痛みもなく鮮やかな春」によって、悩みが消えた。目薬という表現は、見えないものが見えるようになった、という意味なのだろう。
遊園地の二人乗り自転車、本来恋人同士が乗るアトラクションを、秘密を共有した同性愛者の男女が楽しんでいる情景が浮かぶ。
これが現実なら...と切に願わずにいられない。
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