あのこは貴族は日本的な女性映画

この映画どうも引っかかるから改めて考えてみた。
嫌いなものについて考えるってとても大切だと思うから。

冒頭のタクシー運転手の描き方は職業差別、浅はかなんだよな〜。
志は立派です。
ただステレオタイプはいけません。
おそらくは無関心だからこんな描き方になったのでしょう。
冒頭タクシー運転手が女性に嫌味を言う。その不可解さ。全部が"あえて"の発言に見えてしまう。言いたいことありきというか。映画である必然性がないんですよね。思想書でもブログでもTwitterでもできそうなことを映画でやろうとしている。
タクシー運転手ならこういうこと言うよね、をあるあるとして使ってしまう浅ましさ
この点を指摘しないのは、それがあなたの生きる世界でそれが当たり前とされているからです。
この映画を絶賛する、ということはこの日本という国で当たり前とされている価値観に取り込まれていると考えた方がいいと思います。
男性に対する偏見も酷いです。
男性を悪く描けば女性が持ち上げられるわけではありません。
女性を称賛する映画は素晴らしいと思います。
ただこの映画に出てくる女性には主体性が感じられません。
ただただ男性の気色悪さを強調します。
これでは説得力が皆無です。
皆思想性が現代的、"ちょうどいい"と思ってそうに思う。それではダメなのだ。
価値観を破壊しなければ傑作にはならない。
きっと冒頭のタクシー運転手のシーンも、女子高生が手を振るシーンも、自転車で街を走るシーンも脚本がよくて物語の中で意味をもち明確に機能すれば素晴らしいシーンになったのかも。脚本を重視する私のようなタイプの映画好きはイライラすると思う。

全体的に女性を無理して称賛しようとして男性を下げたところ女性も一緒に下がってしまったように見えた。とにかくがっかりした。観てて元気がなくなった。
いかにも"日本的な"女性映画なのだ。
すべてが枠の中で、村社会的でそれぞれの集団が分断されている。そうではないものを私は観たい。このような社会は現実でも嫌でも直面する。改めて映画の中で確認する蓋然性を見出せない。監督は中立的な立場を強調するが、言い換えれば日和見主義者である。何も変化しない。嘘でも良いから変化して欲しいですよね。現実は変化しないのだから。
これを絶賛されてるのを見るのもうんざりなのだ。だから社会は、良くならないんだよな、とひとりごちてしまう。
この作品は悲しい現実の反映だ。

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