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読書に対する見えない不安、吹き飛ばします

ピエール・バイヤールさんの著書で、
大浦康介さん訳の、
読んでいない本について
堂々と語る方法
』が、
あなたの読書に対する形のない不安を
全て吹き飛ばしてくれます。

なぜか?

それは、この本が
「本を読んだ」という
状況のあいまいさ

明らかにし、

あなたを無意識的に
縛っていた、
「教養」というイメージから
解放してくれるからです。



そもそも、読んでいない本について堂々と語る方法とは?

それは、
自分を語る」ということです。

「はい?」


という声が聞こえてきましたね。
私も、
最初にこの書籍を読んだ際、
同じ気持ちでした。


噛み砕いていうと、
本について語る
という行為。

それは、
創造」であって、
そこで語るべきは、
本の要素を盛り込んだ
「自分語り」
なのです。


作品はいずれにしても
言説のなかで姿を消し、
束の間の現れる幻覚の
対象に場所を譲るのである。

後者こそは、
あらゆる投射を引き寄せ、
さまざまな介入に応じて
普段に変容してゆく
幻影としての作品に
他ならない。

〜中略〜

耳を傾けるべきは
自分自身にたいしてであって、
「現実の」書物にではない。

後者がときに
モチーフとして
役立つことがあってもである。

そして自分を描くことに
専心し、
そこから注意を逸らされないよう
気をつけなければならない。

ピエール バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』


つまり、
「本について語る」
という行為が、

「自分を語る」という
立派な創作行為なのです。

その創作行為によって、
「本を読んだ」かどうかは
関係なく

むしろ読んだことで、
自分の意見が
作品から影響を受ける
可能性すらあるのです。
(影響の良し悪しは別で。)



とはいえ、読んだ本を語る方法を知りたい

ご紹介した本が、
小手先的な内容ではなく、
本質的で、
読書の概念に語りかけるもの
であることはわかりました。

しかし、
読んだ本を語る
具体的な方法も
気になりますよね。

本の中で紹介されていた
方法を紹介したいと思います。

その方法は2つ。

①全体の中での立ち位置を理解する

②押し付けられた「教養」
 というイメージから自分を解放する


①全体の中での立ち位置を理解する

文学について
考察しようとする真の読者にとって、
大事なのはしかじかの本ではなく、
他のすべての本の全体であり、
もっぱら単一の本に
注意を向けることは、
この全体を見失う危険を伴う。

あらゆる本には
広範な意味の
組織に与える部分があり、
それを見逃すと、
その本自体を
深層に置いて
捉えることもできない。

ピエール バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

教養において、
文学において、
書物は相対的な価値をもちます。

そしてもう1つ。

実は私たちも、
自分の中の「内なる図書館」、
いわゆる、自分自身が読んだ本達
を持つわけですが、

1つ1つの書物は、
その「内なる図書館」
の中の1つです。

つまり、
その書物単体でどうか、
ということより、
他の書物、ないし、
個人個人が読んだ数々の本の中において、
価値を発揮します。




②押し付けられた「教養」というイメージから
  自分を解放する

これは家族や学校制度が
押し付けてくる
イメージであり、

われわれは生涯を通じて
これにどうにか
自分を合致させようとするが、
それは無駄というものだ。

我々には
他人に向けた真実より、
自分自身にとっての
真実の方が大事である。

ピエール バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

そして、
自分自身にとっての真実は、
教養人に見られたい
という欲求から
解放された人だけが近づける、
と著者のピエール・バイヤールさんは
主張しています。


つまり、
無意識的に私たちの中に、
「本を読んでいる」
=「教養がある」
というイメージがあるんですね。

そして、
教養人に見られたい
という欲求がある限り、
自分自身の真実に
近づくことは難しいのです。




「本を読んだ」という状況のあいまいさ

あなたを、読書に対する
見えない不安から
解放するために、もう1つ、
「本を読んだ」という状況の
あいまいさを共有します。

ピエール・バイヤールさんは、
「本を読んだ」という状況を
一応は、4つの段階に
分けられています。

「未読の諸段階」
・ぜんぜん読んだことのない本

・さっと読んだ(流し読みをした)
  ことがある本

・人から聞いたことがある本

・読んだことはあるが
 忘れてしまった本

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

ここで重要なことは、
これら4つの段階も、
人によってバラバラで、
非常にあいまいなもの
である
ということです。

そして、
「読んだ」の程度は、
他人が確認することは
できません。

つまり、
一口に「本を読んだ」
といっても、
どの程度読んだか
誰にもわからない
のです。


誰にもわからない中で、
「読んだ」、「読んでない」
ということに
固執することが
無駄
だということが
よくわかりますね。



まとめに変えて

読んでない本について
語るという行為は、
創造」です。

そして、そこで語るのは、
本の要素を盛り込んだ
「自分語り」
なのです。


なぜ、「自分語り」に
なってしまうのかというと、

「本を読んだ」の程度は
さまざま、曖昧なもので、
誰にも測ることができないから。

つまり、
読んでいようと読んでなかろうと
「語る」ことはできるのです。

そして、
それを堂々とするために、
一般的に押し付けられた
「教養」というイメージを
捨てて
ください。

そもそも、
「教養」ですら、
学校や大人達から
植え付けられた
イメージですから。

「教養」というイメージが、
他社も本をたくさん読んでいて
自分よりも博学で・・・
という不安にあなたを
導いていたのです。


と・・・・
小手先の技術の話かと
思って読みすすめたら、

「読書」という行為の
本質をついたお話でした。

読書が苦手なあなたも
もちろん、
既に何冊も本を読んでいる
読書家の方へも
読んでもらいたい1冊です。

私自身の中でも、
定期的に読み直したい
本の1つになりました。



参考にした書籍

読書メーターの内容を見ても、
捉え方が人それぞれで、
書物がいかに
それぞれの「内なる図書館」
の中の1つであるか、
ということがわかりますね。

面白いので、
時間がある方は
読書メーターで色々な
感想文を読んでみてください。




本の内容に関係のない、ひとりごと

noteの新しいエディターが、
ワードプレスっぽくなっていて
使いやすくなりましたね!

見出しの種類が増えるだけで、
読む方もかなり
読みやすくなるんじゃないでしょうか。
(増えても、1種類しか使っていない
私がいうのもなんですがw)


noteでこれだけ創作活動が
しやすくなると、
あえてブログを持つ必要性を
あまり感じなくなってしまいますね・・

収益もこちらで確保できるし、
あとは、デザインと
こだわりだけですね。


それでは、
今週も良い1日を
お送りくださいね〜。







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