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よか家族18  

母の回想が始まっ母の回想が始まっ

今日も曇り空、、、前回の原爆期あまりにも残酷な地獄絵をブログに書きました。

私も かいているうちに背中がぞうーとしてもう書くこと、をやめようと思いしばらく、は原爆のこと忘れようとしていました。

姉にそれを言ったら(そんなものではなかった)
もっと、もっと、ひどかったといいました・実に過酷な場面、、、現在の人たちにはけしてわからないことです。

でもぜひ、長崎、、広島に行かれたら原爆資料館に行ってみてください。

原爆投下その後の生活は哀れなものでした、食べるものがなく、白いご飯というと皆のあこがれでした。

だって正月しか白いご飯を食べられませんから、御餅といたっては正月3日日あればいいほうでした。

新学期が、はじまります、1月7日に学校へ行くと私の家はまだ御餅があるとか
きょうは、ぜんざいをつくってもらえるとか、いう子は組の中では一人いればいいほうだった。

でもそういう、話を聞いてもうらやましく、思ったことがないのです。

皆が食糧難だったhから、飛びう抜けてお金持ちがいたっても、皆平気でした。

妹は入学式のときにはランドセルがありませんでした。原爆のこともあんまり判らなかったでしょう。

それからしばらくして、バフン紙でできた。(今でいう段ボールです)でも強度は段ボールの半分もありません。
雨に濡れると、ふたのほうからひびが入り破れてしまうのです。

1年持てたでしょうか?でも妹は嬉しそうな、顔が今でもわすれられません。



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