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息子が日本とベトナムでの成長の旅

私の母としての旅は、美しい日本で始まりました。そこでは我が家族にとって初めての奇跡が訪れた場所。息子がこの世に誕生したのです。コロナウイルスの影響が全世界を覆っている中、私たちは息子が2歳になるまで、日本で暮らしました。生活の中で、息子は10ヶ月で保育園に通うことになりました。そこで出会った日本の先生や小さな友達との日々は、息子にとっても私にとっても、言葉にできないほどの価値がありました。彼は愛らしい日本語の単語を一つずつ、心に刻み込むように覚えていきました。「先生」「ないない」「あっち」「アンパンマン」「救急車」「パトカー」。
しかし、人生の旅は常に変化に富んでいます。今回、私たちは第二子をこの世に迎えるため、ベトナムという故郷に戻りました。帰ってまだ3ヶ月間ですが、息子にとって新しい環境への適応、そして新たな挑戦と成長の機会が訪れました。息子の成長過程において、目を見張るような変化をもたらしました。これらの変化は、もし私たちが日本に留まっていたならば、異なる形で展開していたかもしれません。

  1. ベトナム語の語彙が増え、話す能力が顕著に向上した

息子が2歳になる少し前に、我々はベトナムへ帰ってきました。現在、もうすぐ2歳3ヶ月を迎え、毎日が新しい発見と喜びに満ちていて、息子の世界は目に見えて広がっています。
私の他に、祖父母、伯父伯母、従兄弟たち、さらには近所の人々とのふれあいを通じて、彼の心と言葉は日々成長を遂げています。この多彩な交流の中で、彼のベトナム語の語彙は驚くほどに拡がり、自身の意思や願いを5から10単語の文で伝えられるようになりました。彼の言葉が豊かになることで、私たちは微細なニュアンスで理解し合い、納得がいくまで話し合います。一方で、彼の意見が合理的であれば、私たちはそれを尊重し、彼の成長を促します。
このような豊かな交流とコミュニケーションの場では、息子の言語能力が劇的に伸びるのは当然です。小さな息子は、毎日、言葉を通じて心を開き、新しい世界を探求しています。彼の言葉の旅は、家族にとって、思いがけない喜びと発見の連続です。

2. 知的遊びから身体を使った遊びへシフト

日本で狭い空間での生活は、息子はパズル、絵本読み、レゴ、描きといった静かな知的遊びで楽しみを見出し、深く愛しました。
しかし、ベトナムへの帰国は、息子の世界を根底から変える転機となりました。200平方メートルの広大な家と、それよりもさらに広い庭が、息子に新たな舞台を提供しました。静かな室内遊びから一転し、彼の興味は三輪車をこぐ興奮、自由に走り回る解放感、お姉さんたちとのかくれんぼでの心躍る緊張感、砂遊びでの創造性の探求、車ごっこ遊びに移り変わりました。これらの活動は、彼の運動能力の発達だけでなく、探求心も育てました。
この新しい環境での経験は、息子の心に、感情の豊かさとともに、自由と無限の可能性への扉を開きました。かつては静かな室内での遊びがもたらした内省的な喜びから、今や外の世界で体を動かすことで得られる、生き生きとした感情の喜びへと、彼の心は大きく舵を切りました

3.社会的コミュニケーション能力が向上

ベトナムでの我が家では、私以外、祖父母や兄の家族も含め、8人が一つ屋根の下で共に生活しています。この家は、2歳の息子にとって、絶え間ない交流の場となり、彼の心に小さながらも重要な社会性の種をまいています。近所の子供たちや親戚がよく遊びに来ているおかげで、家はいつも活気に満ち、息子にとっては人とのつながりを学ぶ貴重な機会です。
このような生活の中で、息子は大人と年上の子供たちと一緒に遊ぶことで、自然と人との関わり方を学んでいます。兄の8歳と9歳の娘がお風呂の時間になるとお風呂に入れるお手伝いをする姿は、息子にとっても、私とっても、家族の絆の大切さを教えてくれます。
また、ベトナムに戻ってから、結婚式や法要、日常の家族の集まりが息子にとって親しみやすいものとなりました。これらの場は、小さな息子が自然と人との交流を楽しむようになり、社会的コミュニケーションの基礎を築くのに役立っています。息子が自信を持って周りと関わる姿は、私たち大人にとっても新鮮な発見となり、家族としての絆をより深めています。

お姉さんたちと楽しむ日々のひととき

4.田舎ならではの開かれた心と友好性

子供が田舎で育つことは、都会では味わえない貴重な体験を彼に与えています。この地での生活の中で、特に印象深いのは、地域社会の人々の親しみやすさと友好性です。田舎では、人々の心が温かく、誰もが自然に挨拶を交わし、会話を楽しんでいます。このような環境は、子供にとっても、人とのコミュニケーションを友好的かつ積極的に取る良い手本となっています。子供は自然と近所の人々、特にお年寄りや他の子供たちに挨拶をする習慣を身につけています。
朝市へ行くという日常の出来事も、この地域の温かさを感じる機会の一つです。何年もの間、顔を見なかった売り手が私のことを覚えていて、善意からお金を受け取らずに子供に手作りのケーキを贈ってくれるのです。これらの経験は、子供に地域社会の友好性や快適さ、そして人に対するオープンな心を育むことになると思います。
このように、田舎での生活は、子供にとって、人々との深い絆を感じる機会を提供しています。これらの日々の小さな交流が、彼の心に豊かな人間関係を築く種をまき、成長するにつれて花開くことだろうと思います。

5.手と心で触れる、日々の生活の学び

日本での生活が高度な機械化された便利さに包まれていたのに対し、ベトナムへの帰還は、2歳の息子にとって、生活の多様な色彩を直接体験する貴重な機会を提供しています。彼は、原始的な薪ストーブを使った料理の温もり、手による洗濯、そして日々の生活で必要とされる様々な手作業のを実際に目で見ています。家の掃除から草むしり、野菜園の世話、犬や鶏への餌やりに至るまで、彼は自然と共に生き、学ぶ喜びを知ります。
まだその意味を全て理解するには早いすぎかもしれませんが、これらの経験は息子の心にゆっくりと刻まれ、労働の価値と、自らの手で何かを成し遂げる喜びの根底を形成しています。これらの体験は、彼が成長するにつれて、自分の周りの世界に対する深い理解と感謝の気持ちを育むための土台となるでしょう。

最後に

ベトナムの故郷では、私は外国人としての自覚を感じる必要がなくなりました。これは、日本での生活体験とは根本から異なります。日本では、どれだけ言葉を操れるか、どれだけ文化を理解しているかにかかわらず、私の存在は常に外国人であることを思い出させ、公園やスーパーマーケットの日常の風景さえも、時には重い心の負担となりました。この自己認識は、周囲との自然な溶け込み、無邪気な交流を阻み、私たち家族に見えない壁を作り上げていました。
それぞれの国が子供の成長にもたらす恩恵は、その土地の文化と価値観に根ざしています。日本の保育園が子供に与える独立心、規律、読書や創造性への愛着は、計り知れない価値があります。それらはすべての親が子供に持ってほしいことです。しかし、ベトナムの温かい故郷では、子供たちは周りの人々から愛と快適さを受け取り、それが彼らを心温まる、コミュニケーション能力が高い人へと成長させるかと思います。


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