君におはようが言いたくて


 いつ明けるかもわからない夜の中で、あたしは、ただ時計の秒針の音だけ聞いている。
 ベッドの枕の上に汚い体を座らせて。
 いつ誰がきてもいいようにパジャマではない。
 真白いワンピース。
 一目惚れして一年くらい前に買った指輪が、別売りだったチェーンとともに首に下がっている。
 肋骨の下くらいまで伸ばした、一度も染めたことのない無駄にお利口な黒髪の毛先を少しだけいじる。好きで間接照明にしち得る部屋の明かりじゃ枝毛の有無はわからないけれど、それでもきっと荒れているだろう。だってそこまで丁寧には手入れしてない。
 君に見つめられない限り、そんなのは意味がないから。
 どんな勇気もない自分なんかが、君に受け入れてもらえるわけもないのに、夜中に一人で悶々と。ただ君のことだけ考える。そんなこと、望まなきゃしないけど、好きだからするんだけど、でもそんな自分は大嫌い。
 この時間は好きでも、そんなこと思っている自分は大っ嫌い。
 なら、素直に隣に居させてって言えばいいのに。
 学校の昇降口で、たまに登校時間が一緒になったとき、おはようって言ってくれるけど、あたしは引っ込み思案が度を越してしまってうなづくことしかできない。顔も見れない。目も、当然。
 最低だ。
 ならこんな気持ちは殺してしまえ、とすら思う。
 きつい。正直マジできつい。
 何でこんなに誰ともまともに会話もコミュニケーションも取れなくなってしまった人間が、誰かのことを思うようになってしまったのか、本気でわからない。
 けれど、それが今の私にとって、黒い欲であることだけはわかる。
 こんなものは、本当は懐いてはいけないモノなのだと。
 ものの少ない、静かな自宅の部屋に、せめてもの流れる静かなピアノのポップミュージック。余計に切なさをかそくさせる選曲でもあるけど、それにしたって、雰囲気だけで、こんなこと考えさせるほどの影響力は今の私にはない。それは、明らかにあたしの中の地獄から出てきていることだ。

「おはよう、かぁ」

 明日も学校だ。もし会えたらすっごくそれを言ってみたい。
 それだけで、きっと自分はすごく変われると思うのだ。
 けど、だからこそすごく怖い。

 かつて。去年の夏に、友達数人とともに近くの海に行ったとき。
 突然の夕立から逃げて雨宿りするためにみんな走り始めたとき、君に握られた手。
 君に、握ってもらった手。
 少しだけの時間だけど物凄い夕立で、奪われていく体温と反比例して高まっていくあの想いの種みたいな熱を、まだ覚えているあたしは、結局囚われているのだろうけど、それでいい。
 もし、これから何年続くかわからない人生の中で、1日でも君の隣にいられるのなら。
「……おはよ」
 ひとりごちてみる。
 なんか、かわいこぶってるみたいで、気持ち悪い。
 くそう。もう今日じゃないか。
 うーん。
 どうしたらいいんだ。
 でも自分で決めないと歩き出せないように、自分で決めないと、君に挨拶はできない。
 よし。死ぬ気で行こう。どうせ死なないから。


 翌朝。
 通学する生徒が多くなってくる、つまりはいろんな生徒共通の通学路に入ったところで、反対の道から君がきたのが見えた。
 うわ。
 こんなに早く遭遇するなんて想定してないよ!
 けど、向こうもこっちに気づいて右手を上げてくれた。
 な、なら。
 あたしは少し歩行速度を落として、君が自然と隣を歩けるような速度に切り替える。
「おはよう。このタイミングで会うの、珍しいね」
 あたしはうなずくことしか結局できないけど、だめだこれじゃ。
「う、うん。お、おはよ」
 あ、あれ?言えた。
「……緊張してるの?」
「……だって」
 理由なんて言えない。それこそ死んじゃう。
「してるんだ。じゃ、一緒じゃん」
「……え?」
「僕だって守屋に声かけるの緊張するよ」
「……な、何で」
 そうすると君は、制服のズボンのポケットから取り出した携帯で時間を確認する。
「ホームルームまでまだ時間あるね。ちょっと、いい?」
 そういわれて、あたしは反射的にうなづく。
 そうすると君は、あたしの手を引いて、通学路からは外れてしまう路地に入った。
「ちょ、ちょっと、関谷君」
「少しだけ」
 名前を呼べた自分に驚いて、動悸が止まらない。
「ねえ守屋」
「……な、なに」
「もう少しだけ、仲良くしてくれないかな」
「え…な、なんで」
「僕多分、守屋のことが…」


 次の瞬間、君に言いたかった”おはよう"が、奇跡を連れてきた。

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基本的に物語を作ることしか考えていないしがないアマチュアの文章書きです。(自分で小説書きとか作家とか言えません怖くて)どう届けたいという気持ちはもちろんありますけど、皆さんの受け取りたい形にフィットしてればいいなと。yogiboみたいにw