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スパジャー誕生物語 #2

①創刊への道のり
②なぜバイリンガルにしたのか
③“スパイス”がテーマの媒体を考え付いた背景

②なぜバイリンガルにしたのか

 本誌のすべてを英語バイリンガルにした理由はひとつ。国籍にかかわらずみんなと分かち合いたいからでした。そう強く感じてたのがやはり『THALI』(三重・松阪 1998~2001年)でのことです。

 ここには多くの外国人が来店していました。国籍は実に多様です。インド(ヒンディ、ムスリム、ノンベジ、ベジ)、スリランカ(ブッディスト)、カナダ(クリスチャン)、アメリカ(黒人カップル)、オーストラリア、イギリス人などなど。

 そこで彼らの多くがいつもこうもらしていたのです。

「もっと日本の普通を知りたいし感じたい。みんなと同じことで笑ったりエキサイトしたい」と。

 例えばジョージア出身の黒人女性Kは学校で英会話の教師をしていたのですが、ある日、自分の誕生日に生徒一人一人からプレゼントをもらい、その「お返し」に困っていました。

「ジャパンでは、もらったらそれと同じくらいか少し下の価値のあるものをカエスと聞いた。ワタシのクラスの生徒は30人以上。一人一人にカエス?」

 アメリカ人でもプレゼントを頂いたらお返しするのは当然のようにあると聞きますが、彼女は、日本には独自の風習「儀礼・礼儀」というものが存在していると考えていたのです。

「儀礼・礼儀」なんて今では死語扱いされているかもしれませんが、多くの日本人の根っこには根強く存在していると僕は思っています。そういう意味では何かお返ししたほうがいいのでしょうけど、確かに30人以上の、しかも小学生の子供たちが相手ですからどうしたものやら。

 僕も一緒に悩みました。で、結局は何もお返しをせず、子供たちと今まで以上に和気藹々と触れ合っていけばいい、という答えに行き着いたことをよく覚えています。

 ほか、カナダ人女性二人組みの場合はこう。日本料理が出来るようになったから、と家に呼んでくれたのですが、その時に出てきたものが、なんじゃコラ~な厚揚げ豆腐の炒め物。豆腐がやや焦げていて、醤油味が強く、バターの味がするのです。彼女たちは不安と期待が入り交ざるかのようなまん丸の目でこちらを見ています。

 僕は好奇心がとても強い性質なので、とても面白くおいしく感じました。また新たな発見をしたとさえ思いました。

 が、彼女たちはこれを和食として日本人の僕に試しているのです。何度も、これはちゃんと日本の味になってる?と聞いてくるので、この知識の仕入れ先を尋ねたら惣菜レシピ本でした。

 開いた頁を見ると、そこには厚揚げ豆腐の煮物が。味付けは昆布とカツオの出汁と醤油になっています。で、なにがどうなったらバターになるんだ?

 聞くと、何度か試してみてどうしても厚揚げ豆腐が焦げるとのことで油を添加すればいいと思い、ならばコクのあるバターを、となった模様。彼女たちのちょっとしたアレンジだったのです。さらにスーパーへ行っても昆布をみつけられなかったそうで(おそらく見てもわからない)、鰹節を単に混ぜただけの状態に。

 とてもおいしいのだけど和食ではないと言うと、彼女たちはとても不安な表情になってしまいました。

 彼女たちにとってはこれが、どう違うのか、どうしたらいいのか。本にある厚揚げの煮物を食べたくても、なんのこっちゃわからない。

 確かに、厚揚げの煮物なんて通常の料理屋でまずお目見えしない。また、そもそもが煮物なんて一見は簡単に見えるけどこれほど難解な料理法もない。僕は一所懸命に説明しましたが、僕の英語力の貧しさもあって上手に伝えることができませんでした。

 結局、後日に昆布をプレゼントして出汁の取り方を教えに行った次第です。そう、彼女たちにしてみれば、本に昆布そのものの写真は載っていても、どこに売っているのか、スーパーならどんなコーナーにどんな風な形で置かれているかがわからないのです。ま、入手できたとしても、水につけるという作業を理解できるとも思いませんが。

 他にも、このような例は山ほどあります。僕はそういう経験から、外国へ何回いったか、どれだけ食べ歩いたか、ではなく、その国の人間とどれだけ深くかかわりあい感動したかが重要なのだと痛感していました。これ、逆も一緒だと思います。

 特に日本人は外国人に対し、その殆どは持ち上げて特別扱いするか、日本や自分たちがどう見られているのか、どう思われているのかばかりが気になっています。

 彼女らは外国人としての一線を引いた扱いではなく、技術も知識も関係のない共感や共鳴が欲しいだけなのです。

 そのことに気づいて以来、僕は彼女らとただの友人としてフェアに付き合うようになりました。どこの国の、どんな宗教の、どんな肌の色でも関係ない。とにかく、今目の前にあることを共に感じようと。

 これが『スパイスジャーナル』をバイリンガルにした最大の理由です。

 創刊した2010年3月当時、わずかでも英語訳を載せている雑誌はあるのはありました。しかし、それらは一部を翻訳しているだけ。もしかしたら完全バイリンガルというのがあったかもしれませんが、少なくとも僕が調べた中では見当たりませんでした。

 諸外国人が同じところで同じものを見て、それぞれ何かを感じ取ることができるために、本誌はすべて並列デザインにしました。

 まぁしかし、現実は本当に難しかったです。もちろん専門用語やニュアンスを翻訳することも難しいわけですが、最も困難だったのは、英語は長いということ。

 同じテキストでは軽く150%くらいに膨らんでしまうのです。それでは並列デザインにできない。この本は完全2wayでなければ意味がないので、なんとかしなければなりません。

 そこで考えついたのが、翻訳用にまた別のテキストを書き起こすことでした。よく考えてみれば、日本語である限り、日本人ならそれって常識だよねという無言の前提ということがしばしば出てくるのです。

 なので、場面によっては言い回し方が違うとか、時に違う話をしていることもあります。それでは同じことで分かち合えてないではないか、と思われそうですが、そうではなくて、逆に日本語のほうにわざと余談を加えたりしてスペースを稼ぐんです。

 こんな風に、なんでもかんでもやりながら土壇場で解決していく手法でスパイスジャーナルは作られていきました。だから判型は小さくても斬新がいっぱい詰まっているわけです。

 バイリンガルにしたことで、たくさんの外国人からも好評をいただきました。また多くの外国人からメールでお便りももらいました。みなさん、媚びない日本の本に喜んでくれたのです。

③“スパイス”がテーマの媒体を考え付いた背景
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